最近めっきりお客様が来ない 大王丸 のライブが本日吉祥寺BLACK&BLUEであります(笑)

大王丸のライブで2000円すよ!安い!!

と、わたしは思う。

本日は対バンありありだので、大王満月は9時界隈からかな。

今日はガンガン丸来ます!
ぜし!!
母の日が近いので、父ちゃんの事でも書くか…と、ふと思ったので、ほとんど語り合った事のない父ちゃんを思いだしてみよう。


漠然との記憶では、父ちゃんはあまり家に居なかった。

元刑事で設計技師の父ちゃん。いわゆる出張という事らしく、2~3ヶ月出張に出て1~2週間くらい家に居る、みたいな記憶しかない。

昭和40年くらいからか?わたしが小学生になった頃から父ちゃんが家に居る時の日曜日は、朝6時くらいに近所の子供達(親戚)6~7人を車に乗せて、パンを買いに行くのが恒例の行事になっていた。

車もキャロル(4人しかのれないミニ)~ブルーバード~観音開きドアのトヨペットクラウンと年々グレードアップしていった。

だが、キャロルでもクラウンでも乗っている子供達の人数は変わってなかった気がする。

パン屋への距離は車で15分くらいだったか?往復30分。 子供達にはパンより このドライブがうれしくてうれしくてしょうがなかった。

父ちゃんの買い物はいつも豪快。

親戚いれて4家族分のパン40~50個を買って帰る。

毎週(父ちゃんが居る時)日曜日の朝は、父ちゃんがそのパンを近所の親戚に振る舞うのである。

そして、父ちゃんはパチンコ屋へ行き、夕方大量のお菓子と、おでん の材料を買って帰ってくる。

日曜の夕食は、父ちゃん特製おでん なのだ。

親戚の子供達にお菓子を配り、父ちゃんはおでんの仕込みを開始する。

豪快な父ちゃん。おでんも親戚含めた4家族分を仕込む。

子供ながらに思ったが、なんてデカい釜なんだ、ってくらい 超デカいド釜 でおでんを作っていた。

作り方も半端ではない。鶏のガラ肉、削り節から、どれもキチンとダシをとる。
具材も 盛り沢山。

そして、夕食の時間帯になると、親戚のおばちゃん達が各々鍋を持ち寄り、父ちゃん特製おでんを持って帰るのである。

もちろん、このおでんも振る舞うのだ。

父ちゃんは 大人でも子供でも 人が喜んでいる顔を見るのが大好きだった。

父ちゃんはプロレスと映画鑑賞がとても好き。

パンとおでんを振る舞い 夜テレビの洋画を観る が父ちゃんの日曜日だった。

平日の父ちゃんも少し変だったと思う事がひとつある。

それは、夕食も終わり テレビも見終わり、そろそろ寝るか…となった時、いきなり台所へ行き ゆで卵 を作りだすのだ。

しかも、大量に。

わたしは幼少の頃、父ちゃん母ちゃんの部屋で寝ていました。

寝しなに、出来上がった ゆで卵 を父ちゃんとわたしで よく食べたのでした。
幼少の頃わたしの好物は、目玉焼き でした。

目玉焼き一個で、ご飯三杯食べていたのです。マルヴィス!

そんな、わたしの喜ぶ顔をみたい父ちゃんは、みんなが寝しずまると こっそり ゆで卵 を茹でて エヘヘヘー っと笑いながら わたしに差しだしてくれました。

エヘヘヘー っと笑うのは、冷蔵庫の卵をほぼ全部茹でてしまうため、翌日母ちゃんに叱られるからです。
今現在、わたしが作る おでん は、まぎれもなく 父ちゃんが作っていた あの おでん と同じ味だと思います。

そして、夜な夜な ゆで卵 を茹でて食べてしまう 今のわたしがいます。

他にも、父ちゃんが好きだった食べ物 は、今のわたしも好きです。


わたしは10代半ばで家を出たので、父ちゃんとは深い話をした事がありませんでした。

大人になり実家に帰っても、父ちゃんは居ないほうが多かったし、父ちゃんも、わたしがデビューしたなんて詳しく知らなかったんではないかなぁ…

久しぶりに父ちゃんと会ったのは、わたしが31歳くらいだったか…父ちゃんは72歳くらいかな。

わたしが福岡で3ヶ月くらい遊んでいた時期(印税を使いはたす)、そろそろ東京へ戻るべ!と福岡空港へ着いたら、なんと父ちゃんとバッタリ。

父ちゃんは、出張で福岡へ来てたと。

で、久しぶりに見た父ちゃんの顔は 真っ白 だった。
具合が悪いんではなく、いわゆる 白いどうらん を塗ったくっていたのです。

まるで、舞妓さんのように。

父ちゃんは昔っから、お洒落でした。つばありハットは、父ちゃんの愛用品のひとつ。

お肌の手入れもしっかりしていたんだろう…だが、しかし!真っ白いファンデーションはアカンやろ父ちゃん!と、言ってあげたかったが、あまりにもオモロかったので、そっとしといてあげた。

で、わたしが、「どこえ帰るの?」と、父ちゃんに聞いたら父ちゃんは「小松に帰るの~」と、普通に答えた。

皆様 これは普通の親子の会話ではないのです。

どこえ帰るの?と聞くわたしもわたしですが、普通は仕事が終わったら家に帰るものです。

小松に帰るの~ と言った父ちゃんの家、すなわち実家は山〇県でございます。
72歳でバリバリ仕事して全国飛び回り若者育成で講演したりして、小松に帰る父ちゃん。

ちなみに、小松に帰るの~ のイントネーションは、かなりの オネエ でした(笑)

父ちゃんは78歳で亡くなりましたが、風の噂では77歳で子供をおつくりになられたそうです。

そして、父ちゃんが亡くなった病院の待合室には、生まれたばかりの赤ちゃんを抱いた女性の方が居たそうです。

わたしが父ちゃんと最後に会話したのは、亡くなる二年前 電話での会話でした。

電話を切る寸前 父ちゃんがわたしに向かって一言

「みんな仲良くよ~」

でした。


父ちゃん、仲良くしすぎ(笑)

父ちゃんの葬式は、そりゃもう盛大でした。

コンサートホールが満杯でした。

家には帰って来なかったけど、日本全国で 父ちゃんが仲良くした人達がたっくさん 父ちゃんとのお別れを惜しんでいました。


人を愛した 父ちゃん

酒を一滴も飲めないのに クラブ活動し続けた父ちゃん

手術しないと余命二年ですよ!と宣告されても、設計は頭を使うから、脳にメスを入れたくない!と余命二年を受け入れ全うした カッコいい 父ちゃん


父ちゃんの浮気は 人助け だと、たぶん本人は思っているに違いない。

そこに関しては 納得出来ませんが、どことなく わたしは父ちゃんに似ている
20年くらい前か、母ちゃんから「お前は父ちゃんにそっくりだ!」と、言われた事があります。


夜な夜な、ゆで卵食べるの大好きなだけなんです。

母の日 近し 父ちゃんの思い出。
昨夜のボスへのイベントお越し下さった皆様ありがとうございました!!

そして、盛り上げてくれた出演者のスギバンド、トーマスアキ、天極、烏合の衆バンド、大王丸お疲れ様でしたー!

どれも素晴らしかったけど、やはり 烏合の衆バンド は凄かった!

一瞬にして ステージと会場を ひとまとめ にしてしまう あのステージング!
わたしはバンドメンバーですが、わたしがシャカリキにならなくても 安心してステージを任せられる 頼もしいメンバー達 最高です!

ま、各メンバー1人1人が 自分のバンド の 顔 みたいな存在だから当たり前っちゃあ当たり前なんすが。

だもんで、わたしも 大王ルイも、大王丸 では、そりゃ当たり前に 顔 をだしますよ!えーえーえー!

大王丸はボスの楽曲をカヴァーしてるわけではなく(してるけど笑)、オリジナルより、むちゃオリジナルでやっているので、頭も身体も激疲れるんだ!

カヴァーだけど、自分達の音にしてるね!等というレベルじゃないんだお!

昨夜の大王丸は!!

わたしなんて、ドラム叩きながら死ぬかと思ったよ。
ステージと会場を一体化させる烏合の衆バンド!

鬼気迫るステージで会場を凍りつかせる大王丸!


お客様をひきつける、魅了するという意味では、ある意味真逆な 烏合の衆バンド と、大王丸 ですが どちらもベクトルは一緒なんです。


そんな中、たった1人で挑んだ サラリーマン!トーマスアキ!!

わたしもドラムサポートしましたが、わたしなんて いらない のです!

そんなステージでした!


スギバンドは楽曲に助けられた感は否めない(笑)

そして、天極もズズさんと楽曲に助けられた感は否めない(笑)

そりゃ盛り上がるさ 楽曲が素晴らしいんだもん!


さあ、今日も吉祥寺BLACK&BLUEは、ボスのイベントを盛大にやっております!!
わたしも、最後のセッションで2曲ほど参加させて頂きます!ぜし!!