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K1号のブログ

日常での気づいたこと・夢中なもの

今日3月11日は多くの人が忘れたくても忘れることのできない日。

当たり前ということは時として当たり前じゃないということを思い知らされた日。

 

なぜか今年は南三陸町の防災庁舎に当時勤務されていた遠藤未希さん(24)の話をよく目にする。

14年前大きな地震発生後、窓の外を見た遠藤さんは海は遠くに見えた。そしてマイクのスイッチを入れ、防災無線を通じて避難を呼びかけた。その必死の呼びかけは「ただごとではないとおもった。あんなに必死に繰り返してくれて、みんなのことを本当に考えてくれる一心だとつたわったよ」と当時を語る高齢者の方は言う。

 

途中上司の方が避難をするよう声をかけても「もう少ししたら行きます」と言い、防災無線から「6メートルの津波がきます」

「高台へ避難してください。早く、早く逃げて!」と切迫した声で叫んだ。

 

そんな遠藤さんの声は、ことの重大さを多くの町民に届けた。

 

迫りくる危険の正体

どこへ行けばいいのか?

急ぐべき緊急なこと

それら全部が効果的に伝わり、町民の必死の避難につながった。結果1万7700人の町民の半数が避難ができ命を拾うことができた。

 

黒い壁のような大きな波が庁舎の近くまできていて上司に促された遠藤さんはマイクを離し、ようやく屋上へ向かうため部屋をでたが、庁舎まで押し寄せてきた黒い壁のような波は遠藤さんを飲み込んでいった。

 

その後遠藤さんは4月23日に志津川湾で発見されDNA鑑定で遠藤さん本人と確認された。

 

遠藤さんのこの行動は震災直後から知ってはいたものの、ここまでできる人って24歳の若さで凄いなと感じてはいたが自分にはできるだろうかという思いがこみ上げた。

他者貢献、誰かのためにと口では言うほどできるものではない。ましてや命の危険が迫るなかでの行動はなかなか難しい。

 

震災の3カ月前、偶然の選択が重なり生き延びることができた私は何のために生き残ったのだろう。私は何をするために生かされているのだろう、そんな疑問を探しつづけた14年間。ようやく自分の使命?のようなものが見えてきて、いつもの日常をおくれることに感謝する14年目の3月11日。

 

犠牲になられた方々にお悔やみを申し上げるとともに、行方不明者の方々が帰りを待ちわびているご家族のもとへ帰れますように