自粛期間中、

イギリスのお土産でいただいてから
15年くらい完成したことのなかったジグソーパズルができあがりました。

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実はこれ、プーさんの細かい絵でできています。

モザイクアートというものですが、

ピースを組み合わせるときの手掛かりになる色がね、

予測しづらくてかなり難航しました。

 

ていうかあまりにできなくて

「これピースが足りてないんだわ」

って本当に完成するその瞬間まで信じ込んでた。

思い込みって恐ろしい。

はっ!

もしかしたらこの頃から「ミッシングピース」を探していたのか・・・?

伏線回収できました。ほほほ

 

 

先週、

塾講師をしていた頃の生徒さんから久しぶりに連絡をもらいました。

「X先生が亡くなった」と。

X先生はですね、
背が高くて強面(なんつーか目力がすごい、目玉を回すとギョロリって言う)、
受験、特に中学受験のプロで、

授業中他のブースにもよく聞こえる声で喝を入れまくったりするものだから
最初はこえぇぇぇぇぇつってビビってたし
身長に反比例してリトルハート丸山だったから基本目を合わさないようにしてたわけ。

 

それが何のきっかけだったか、

私も担当コマ数が増えていくにつれて顔を合わせる機会が増え、

授業のやり方や共通の生徒の習熟度なんかも気にかけてくれたり。

授業レポート書けない時はX先生の書いたレポート盗み見て参考にしたりした。

私、非効率な真面目野郎でさ、変なこだわりみたいなものあるからさ、

たまにすごく生きづらくなってさ、

そういう時にさりげなく声かけてくれてた。ような気がする。

 

先生は競馬が好きで、

お昼や休憩の時に競馬新聞を見せてもらいながら
「この馬の名前かっこいいすね!」っていうミーハーな理由で当てに行ったり(当たらない)。

私はこの業界に入る前はシステムエンジニアとして少し働いていましたが

就職活動をしながら「ここに入りたい!」って思った会社があって

めでたくそこに内定をいただけたのですが、

そこを志望したひとつの大きな理由が、

競馬関係のシステムを作っているから、でした。

 

訃報を聞いて、まず心に浮かんだのは「通り過ぎる」という言葉でした。

あんなにお世話になったのにここ10年近くは会ってなかったなぁ、

英語で亡くなるってpass awayっていうよなぁ、

なんだか私はX先生の人生を通り過ぎたみたいだ、

X先生は私のあの時代を通り過ぎて行ったんだ、

ってぼんやり思ってたら生徒さんからのメッセージ読み落としてたりした。

「問題文をしっかり読め!!」と何十回と言っていた当時の自分に叱られそうである。

 

いろんな人が、交差しながら通り過ぎていく。

生まれて死んで、関わって離れて、

今日笑顔で言葉を交わした人が明日にはいないかもしれない。

 

さっき、新井リオさんという方の三浦春馬さんに関するツイートを読みました。

「伝える」ことの大切さが書かれていました。

キンキーブーツで見た彼のローラはもう言葉を失うほどで、

ここまで至るのにどんな苦労と努力を経たのだろう、と感動したし

カーテンコールの時の笑顔がキラキラで

いつかこの人をブロードウェイでも見たいなぁと

ぼんやり思ってた。

直接その感動を伝える機会はもうないんだな。

 

X先生さぁ、元気~?

塾って激務じゃん、年なんだから健康気を付けないと~!

って本人に言うことも、もうない。

最近競馬界どうなんすか?私シンボリクリスエスから止まってますw

って知識のなさを披露することも、ない。

 

まぁでもね!

いずれ私も行く世界にいるかもしれないから!

その世界みたいなものがもしもあるとして、

そこにも競馬があるのなら、

「んにゃ、外れちまった」って楽しめていますように。

「おい、まる、全然当たんねぇじゃねぇか!」って責任転嫁してきますように。

 

通り過ぎる人がいっぱいいる中で

言葉を交わせる相手というのはとても貴重でありがたいことだなと改めて感じています。

伝えたいことは伝えて

感じたことに蓋をせず

私らしく引き続き生きていこう。

いまはそんな気持ち。

 

塾を辞める時にもらった色紙を引っ張り出してみた。

「これからは仕事をがんばってくださいね。

がんばりすぎて体をこわさないように気を付けてもくださいね。 X」

って書いてあった。

いやそのままそっくりお返しするわい。

先生。