物事は表裏一体
よいこと、わるいこと
いつだってどちらか片方ではない
勝者がいるなら、敗者がいるし
何かを得た時には、また別の何かを失う
目標を達成してしまえばその目標は消えてしまうのだ
いま、私は自分と向き合っている
自分が何をしたいのか考えている
私は24歳まで母のために生きてきた
母に頼まれたわけではないが
勝手にそうしなくてはいけないと決めつけていた
父は母を愛していなかった
喧嘩も多く母に暴力を振るっていた
怒ると部屋も荒れ手がつけられなかった
父の親や親戚は誰も父の暴力を止めなかった
幼い頃から私と妹は父と母の仲介役だった
私たちが入ると父は母を殴る手を下ろすのだ
小学生くらいになると
事の善悪もわかるようになり
父が母に暴力を振るうことはおかしいことだと
自分の家庭だけであることを理解した。
母は父と離れたい思いはあったが
経済面を理由に別れなかった
別れられなかった
別れないことを正当化するために
母は父の肯定と否定を繰り返した
母はありたい夫婦を演じた
外では父をたて、暴力的な面を漏らさなかった
娘たちにも父親の良いところを伝えた
父が悪いのは母親のせいと姑のせいにしていた
「この家は普通じゃないからね」
「パパは母親に愛されなかったから
こんなことをしてしまうの」
「パパがいなかったら愛する娘と
出会えなかったからパパと出会えて
かわいい娘と出会えて幸せよ」
口癖のように母は繰り返し話した
こんな最低な父と別れないでいる原因が
私なのだから
私は母を裏切るようなことはしてはいけない
母にとって自慢の娘にならなければと
私は思い始めた
そして、私は母の真似をした。
母のように父を立てた
私も殴られることがあったが
人前では父を頼り、父のことが好きなふりをした
父はまんまと機嫌が良くなる
そんな父を軽蔑していた
そして、私は
スーパー優等生になっていった
幼少期(たぶん小学生)
「いいこ」に育つというのがよくない
という言葉をTVで目にすると
聞き分けの良い言いなりのいいこではなく
きちんと反抗期もなくてはと意識した
もちろん、勉強も少年団活動もした。
母はよく「文武両道」と話していた。
成績はいつもオールA
運動神経はそんなによくなかったが
努力して大会では入賞していた。
同級生の母親が自分の子と比較して
私のことを褒められると母は嬉しそうにしていた
私は母の得意げな表情が嬉しかった。
自慢の娘であるのだと安心できた。
私は人生設計でも優等生を発揮した。
小学生のころ
母に言われて電話をかけてみた
ユニセフ募金の電話だった。
私は偶然違う国に生まれたために
命を落としてしまう人の力になりたいと思った
それからの私の将来の夢は
国際協力を仕事にすることになった。
小学生の私は今できることを探した。
私はユニセフ募金に鬼電した。
英会話教室へ通いたいと母親に頼み
英語の勉強も始めた。
中学生になっても成績は相変わらずオールA
文化祭で英語のスピーチ
さらには、英語暗唱大会にも出場した
立派すぎる夢に向かって
高校は地元の進学校へ進んだ。
しかし、高校での私の学力は底辺に程近かった。
生まれて初めて挫折を味わった
勉強してもわからない
努力が足りないのだと思うが
全然教科書の言っていることが頭に入らなかった
でもそれはおそらく
勉強よりも楽しいものに
たくさん出会ったからとも思える
初めて行ったライブハウス
背徳感も感じる雰囲気
ただただ、その場には目の前の演奏を
各々好きに感じて体を揺らしている大人がいた
幼馴染ではない初めての友人
私よりもずっと頭が良くて
話も面白くて、忽ち高校の友人が好きになった
境遇も似ていた
友人もまた父親からDVを受けていたのだ
誰にも理解されるはずのない感情が
初めて心から共感される感覚
きっとずっと寂しかったのだろう
お互いの親の悪口を言い合った
人間関係の深さとは
一緒にいた時間の長さではないのだと
このとき実感したのである
また、人からの見え方も学んだ。
はじめて会った人と仲良くなる過程で
高校の名前を出すと、大人ですら引かれるのである
少し自分とはタイプが違うと
一線引かれる感覚を味わった
それは高校内でも感じた。
自分より馬鹿だと思う人に対しては
張り合わないので優しくなるのだ。
自分よりも優れてるものがたくさんある人には
尊敬よりも劣等感が強くなる。
優等生として背伸びするのではなく
馬鹿な部分を存分にオープンにすると
人に好かれた。特に男性に好かれた。
それを確信したのは中学の同窓会
「お前馬鹿っぽくなって話しやすくなった」と
幼馴染に言われた。
まぁ、そいつも馬鹿であるが
隙がある方が好感が持てるのだと気付いた
そうしているうちに
私はすっかり優等生をやめていた。
勉強もせず恋愛や音楽に夢中になっていた。
次第に私の心は母からも離れていった
しかし、そんな私をみて母は泣いた
こんなことになるだなんてと
母は私を責めた。
私は母の悲しげな表情をみて
大きな過ちをおかしてしまったのだと思った
やはり私は
母のために生きることをやめられなかった
こうしてまた、母に見直してもらうための人生が始まった
私は焦った。
昔掲げた将来の夢を達成するほどの学力がなかった。
しかし、看護師の資格を取って青年海外協力隊に
参加はできると思った
母は看護師になりたかったが
学力が低く看護学校すら浪人しても入れなかった
母の祖母が助産師で看護師への憧れが強かった母は、私の進路に大賛成していた
志望校には合格できず、私大の看護科へ進学した
滑り止めの大学は
付属の病院もないできたてほやほやの大学だった
しかし
卒業生が聖路加に就職したことを聞き
母に伝えると母は驚き喜んだ。
(※聖路加:日本看護の起源となった病院で、看護を志す者は知らない人はいないくらい有名。)
聖路加への推薦枠があり
首席になり推薦での入職を目指した
私は高校の同級生が驚くほど真面目に勉強した
こうしてまた優等生になっていった
大学3年生の夏
テストが終わり打ち上げをしていた私に
母から一本の電話があった
「パパに離婚してと言われた」と
朝目覚めると枕元には
離婚届と札束があったのだという
驚いた母は姑に尋ねたが
姑も知らず驚き母に同情したようだった
父から離婚を切り出したのは予想外だった
娘が大学を卒業した後に
私は母から切り出すのだと思っていたからだ
私は母に
「離婚できるね、よかったね」と
声をかけたが母は泣いていた
涙でか細くなる母の声を聴いて
私も泣かずにはいられなかった
こんな冷え切った夫婦関係でも
母は父と仲良しだった頃のように
過ごせることを諦めていなかったのか
父のことを恨むことの方が多かったのに
父と離れられることは喜ばしいことだと思うのに
どうして私たちは悲しいのだろう
複雑な感情が渦めくのも束の間
私の母を守らなきゃスイッチが作動した
父は弁護士を通して母を脅した
詮索するなと弱る母に追い打ちをかけた
父には母以外の女と子供がいたのだ
私はなんとなく勘づいていた
父にしては派手なストールを巻いたり
ここ数年、父は仕事が終わっても
家には戻らなかったからだ
父的には
妹の大学進学で北海道から離れた
このタイミングがよかったのだろう
妹はどちらかというと母よりも父に懐いていたし
父もそれを感じていたのだろう
私が母の味方の姿勢を崩さなかったので
妹は無意識下で父の側についていたのかもしれない
離婚することを告げられた妹は
案の定ひとり慣れない遠く離れた地で
大きな声で泣いていた
妹までも泣かす父が許せなかった
私はすごく冷静だった
父が提示した離婚の条件が確実に守られるように
母に公正証書を書いてもらうように促した
しかしその離婚の条件は私たちからすると
最低限のものだった
母への慰謝料も単に夫婦が離婚するのなら巨額だが
父の経済力とDV、浮気をしていたことを踏まえると
決して高くはなかった
こちらも弁護士を立てて戦おうと思った矢先
「下手な態度取ると払わないからな」
父のその発言が私の恐怖心を突いた
父が言うことには絶対に逆らえないと
幼い時から植え付けられてるあの感覚が
忽ち私の全身をめぐり支配した
父に正論は通じない
高校生のとき思い切って
父に私の正義を投げつけたことがあったが
結局殴られ、力でねじ伏せられた
そのときから私は父のことを
「話すに値しない人間」と
すっかり諦めていたのだ
私たちは父の条件を大人しくのんだ
父へのこれまでの憎しみ
最後まで父の言いなりになるしかない
弱者であることを思い知らされた屈辱
本当は吐き出したいすべての感情をのみこみ
私はまた笑った
父がすべてを隠し通せていると思えるように
私たちに少しでも罪悪感を抱けるように
全くそんなこと響かないことも百も承知で
無抵抗すぎる私の最後の抵抗
何も気付いていない馬鹿で都合のいい娘を演じた
何も言わずに穏やかに
笑顔で父と接する姉の行動を理解できない妹は
また泣いて私に理由を尋ねた
「わからなくていいことだよ」
と、私は答えた
妹の反応が普通だと思った
ただこれ以上私は母や妹を傷付けたくなかった
父の言い訳をだらだら訊きたくなかった
もう早く父と離れたかった
私は私と一緒に
父を責めずに涙を溜めた妹を抱きしめた
離婚が成立して、やっと1人になれた時
私はようやく感情にまかせて泣いた
私には一緒に泣いてくれる友人もいた
高校の友人以外に私の家の事情を初めて話した
なんとなく感じていた私の闇の答え合せをしてるように、友人は納得した様子だった
私はまた他人に話すことで
また一つ乗り越えられたような気がした
同じ境遇でもない他人に話せるレベルになったと
なんとなく不思議だが嬉しくもあった
その後、目標通り私は首席となり
無事聖路加の推薦入職を果たした
母は私が東京に行くことを寂しくも思うが
誇らしげな表情もしていた
私はまた少し、安心した
きっと私は自分のために生きたいけど
誰かに求められていないと落ち着かないんだろう
そこが安定しないと私のためには生きられない
愛や所属が満たされないと
自己実現へのステップへはむかえないのだ
(ここ数年マズローの欲求5段階説を多用している)
ただし、マズローの欲求5段階説には弱点がある
忘れてはいけない
人間何かを得ると同時に何かを失うのである
一つ一つ積み上げてきたはずの欲求も
達成された途端に価値は薄れていく
逸れてしまった関心を取り戻すのは難しい
いなくなっていることに気付けず
ただ自分は得ていると錯覚し続ける
つまり
悩みは悩みを生み続ける
次はどれにしようかと自分で悩みを探し続けているようなものだ
もっともっとと
一見、向上心があるように見えるが
それでは何も得られないのだ
考える時間も必要だ
悩まずして成長できないこともある
現に今こうして私は悩み
私の傾向に気付けたのだ
ただ、そればかりに囚われて
楽しく過ごせたはずの時間を壊してしまうのは
あまりにも美しくない。勿体ない。
泣きたい時は泣けばいい
泣き散らしたらまた笑おう