ここ数年、算数入試を行う私立中が急激に増えていますが、その中に、私が密かに注目している学校があります。

 

それは質実剛健・文武両道な校風を持つ男子伝統校の「巣鴨」です。

 

論理的思考力を見る算数入試は、数学教育を重視している巣鴨に合致しているので、巣鴨の存在感が高まるのではと思っています。

 

現在、巣鴨は医学部に強い進学校として知られていますが、私の中では開成の併願校という印象がとても強い。

 

昭和60年代頃に中学受験を経験した世代であれば、同じ印象を持っている人が多いはず。

 

当時の合不合判定テスト(四谷大塚)の判定表を見てみましょう。

 

▼これが昭和60年代頃の合否判定表。当時の合否判定は偏差値ではなく総得点で行われていた。

 

 

この表には、城北、巣鴨、聖光学院、桐蔭学園、灘、武蔵、ラ・サール、慶応普通部、慶応中等部が掲載されています。

 

巣鴨の緑のライン(合格可能性80%)は、500点満点中320点であり、聖光学院と同じ点数でした。

 

また当時の合不合には、緑のラインより上に、濃緑色の安全圏(合格可能性100%?)が設定されていました。

 

巣鴨は他校と比較して、「緑のライン~安全圏」の得点幅が大きいことから、不合格者の分布が幅広く、競争率の高い厳しい入試だったと記憶しています。

 

一方、開成の緑のライン(合格可能性80%)は370点でした(→合否判定表はココ

 

では、この当時の成績上位者はどこの学校を志望していたのか?

 

そこで、370点以上(~240位/6699人中)だった人の志望校をまとめてみました。

 

カッコ内は成績上位者(~240位)の志願率です。

 

 第1位: 筑駒 142人 (59.2%)
 第2位: 慶応普通部 127人 (52.9%)
 第3位: 開成 112人 (46.7%)
 第4位: 麻布 70人 (29.2%)
 第5位: 巣鴨 59人 (24.6%)
 第6位: 武蔵 50人 (20.8%)
 第7位: 栄光学園 37人 (15.4%)
 第8位: 慶応中等部 35人 (14.6%)
 第9位: 駒場東邦 21人 (8.8%)
 第10位: 灘 20人 (8.3%)

 

今も昔も成績上位者は筑駒を志願していることは変わりませんが、慶応普通部の人気が今よりかなり高かった。

 

また御三家中の志願者を合計すると232人であり、成績優秀者のほとんどが御三家を志願していたことがわかります。

 

合不合における志願者数と中学入試日程をもとに考えられる併願パターンを示します。

 

 市川(1/21)→開成(2/1, 2)→巣鴨(2/3)→慶應普通部(2/5)→筑駒(2/8)
 カッコ内は当時の入試日。

 

受験校が市川、開成、巣鴨の計3校という人も多かったと思います。

 

なぜ巣鴨を併願する人が多かったのか?

 

巣鴨の人気が高かったことは間違いないのですが、今改めて当時の受験資料を見てわかるのは、中学入試日程が学校の難易度に大きな影響を与えていたのではないかということです。

 

この当時、2/3に入試を行っていた学校は少なく、学習院、暁星、巣鴨、成城、芝浦工大、法政第一、明大中野の計7校しかなかった。

 

男子進学校という観点で学校選びをすると、巣鴨は魅力的で人気があったのも納得できます。

 

その後、時代が平成に入ると、高校受験から中学受験に生徒募集をシフトする男子校(海城、城北、本郷など)が増え、新たな共学校(渋幕、渋渋、広尾など)が誕生し、さらには複数回入試により、2月2、3、4日に入試を行う学校が増えて、学校間の生徒獲得競争が一層激しくなっていった。

 

この間、入試形態は多様化し、受験生の選択肢も増えていった・・・。

 

中学受験では試験日が1日変わるだけで、志願者が大きく増えて、偏差値が急にアップすることはよくある話で、中学受験をめぐる動きは複雑で激しいのが特徴です。

 

現在、算数入試は首都圏の一部の私立中で行われている先駆的な取り組みであり、その評価は定まっていませんが、算数入試を行う学校はライバルの少ない未開拓の領域に積極的に飛び込んで、優秀な生徒を取り込もうとする強い意欲が伺えます。

 

近年の算数入試の人気ぶりを見ると、算数入試は中学受験の勢力図に少なからず影響を与えるかもしれません。