以前のブログ記事(こちら)に書きましたが、

 

昭和時代の中学受験では国算2教科で受験できる学校が多く、合不合を2教科で受験する人がかなりいました。

 

当時の合不合資料を見返してみると、男子の受験者9442名のうち2743名が2教科受験でした。

 

これは受験者全体(男子)の約30%にもなります。

 

一方、昨年11月の合不合データ(女子)を見ると、2教科のみの受験生は約4%しかいない。

 

現在の中学受験では4教科入試がスタンダードになっていて、2教科入試を行っている上位校は少なくなりました。

 

特に2教科入試のみを行っている学校はさらに少ないのではと思います。

 

今回は2教科入試について書いてみます。

 

昭和XX年の第1回合不合で合否判定の対象となっていた2教科入試校を、合格可能性80%ボーダー得点が高い順に並べてみることにしました。

 

<2教科型(300点満点)>

215 : 桐朋
210 : 学芸大小金井、学芸大大泉
200 : 早稲田実業、立教
185 : 青山学院、学習院
175 : 成蹊
165 : 明大中野
160 : 法政第一
150 : 武蔵工大付
140 : 成城学園、獨協
135 : 成城、東大付
125 : 芝浦工大
110 : 日大豊山

105以下 : 日本大学、日大第二、佼成学園、京華、明治学院

 

当時の2教科入試校の難易度ランキングは、桐朋をトップに、学芸大小金井、学芸大大泉、早稲田実業、立教、、、と続いていました。

 

現在の難易度とはだいぶ異なりますね。

 

この時の合不合の2科平均点は152点でした。

 

つまり平均点レベルで武蔵工大付(現・東京都市大付)が合格圏だったことになります。

 

また合不合資料をよく見ると、さらに詳しいデータが出ていて、私が興味深いと思ったのは、4科と2科受験者の平均点が大きく違うことでしたびっくり

 

<2科平均点>

 4科受験者 : 164点(国語87点、算数77点)

 2科受験者 : 123点(国語70点、算数53点)

 

何と、平均点で41点もの差がありました。

 

算数は24点もの差です。今も昔も算数で差がついていたんですね。。。ショボーン

 

このデータから4科受験者の方が、圧倒的に学力レベルが高かったことがわかります。

 

4科受験者の平均レベル(164点)では、法政第一や明大中野が合格圏でした。

 

同じ母集団で比較することにより、法政第一や明大中野は、4教科入試校である市川、千葉大付、明大明治と同じくらいの難易度だったと推定できます。

 

また2教科入試を行っていた学校をよく見ると、大きな特徴があります。

 

それは、2教科入試校には大学付属校が多かったということ。

 

4教科入試を行っていた学校とは全く異なります。

 

当時、4教科入試を行っていたのは難関進学校が中心であって、実際に合不合の4教科判定校(29校)のうち、平均点未満で合格圏に入っていたのは、わずか5校しかなかった。

 

つまり、現在では考えられないほど、4教科入試はとても厳しくて、おそらく合不合受験者の半数近くが合格できない状況だったのだ。

 

一方、2教科入試校では、平均点未満で合格圏に入っていたのは22校中12校と、入学しやすい学校が多く、付属校や中堅校狙いの場合、2教科に絞って勉強している人が多かったんですね。

 

現在では、2教科入試を行う学校(特に上位校)は減っていて、今後の大学入試改革を意識して、科目横断型の思考力を問う試験問題が増えていると言われています。

 

ただし、これらの思考力のベースとなるのは、やはり4教科の幅広く確実な知識ですから、今後も4教科入試(将来的には、国算理社+英の5教科入試?)がスタンダードであることには変わらないのではと思います。

 

昭和時代には多かった2教科入試が減っているのは、時代の流れなのかもしれません。