五月五日

学校終わりですぐに新幹線に乗り、郡山まで。

父と一か月半ぶりに再会。

八時ごろこっち戻ってきた感想。

車がない。

八時ごろなのに夜の12時ころみたいな?

コンビニは二十四時間のところや、まっくらなところもありました。

久しぶりの家でくつろぎ、いつもどうり就寝。

夜中に地震があったらしいがまったくわからず。

マグニチュード9.0以外なら大丈夫さ!

5月6日

朝6時に起床し、壊滅的被害を受けた沿岸部へ

途中サンフランシスコキクチの隣の線路で、常磐線の電車を発見。

軽く放置プレイされてます。

カラスは飛んでいることに気づく。

そして、6号線にいってみると、海が見えました。

6号線から海が見えます。

さらに、海に近づいていくと・・・

想像を絶する光景が広がっていました。

芋虫のように縮んだ大きな鉄塔

地面にめり込んだシャベルカー

原型をとどめない車の数々

特にびっくりしたのが、1枚目の写真。


マルチメディアのブログ



暗くなっているところまで津波がきたということです。

そして、火発近くまでやってきますと・・・

いつもは煙を吹いてるはずの煙突は立っているままで

こげ茶色の地面、波にもぎ取られた残骸 レゴブロックのような防波堤の一部

「俺何もしてないっすよ」と言っているかのような

波と風の音が不気味でした。

せっかく海の近くまで来たのだから海を見ようと思い

階段を上がるとそこには

昔「うみだぁ~~~!!!」と言い走って行った砂浜はどこにもなく

すぐ目下には押し寄せる波がありました。

地盤沈下でしょうか?

そこにあったはずの海はどこにもありませんでした。

7時ごろ家に帰宅をして、母親のつてで小学校の現状を見ることに

いつもは子供がワイワイ騒いでいるであろう教室には誰もおらず

みんなジャージを着て(普段は制服です)白い紅白帽をかぶりマスクをして

体育館に集合していました。

三分の一の生徒は転校をしていました。

体育館に集まった生徒たちはバスで隣の小学校に向かいます。

バスが4台体育館の前に止まっています。

遠足のような風景が毎日続いているそうです。

生徒が乗る間運転手さんと話をすると

「燃料とか人員は大丈夫なんですが、空調が使えなくて子供たちが・・・。放射能のせいで換気ができないので、クーラーも使えず、窓も開けれず。日が差してくると25℃とかになってかわいそうです。汗かきますしね」

とおっしゃってました。

できるだけ肌の露出を控え、空気に触れないようにする。

それは、暖かくなっているのに長袖長ズボンでクーラーも使えないということです。

最悪、水ものめなくなってしまったら・・・。

これが現実ですよ。今日起こっていることですよ!

風化してませんか?まだまだこれからです


何かいいアイデアないですか?

これから大変になってくると思います。


このように、自分が伝えられることを伝えたいと思いますので

また読んでくれるとうれしいです。

次は、母校の話とボランティアに参加して感じたこと書きます。

明日は瓦礫撤去手伝ってきます。