例是道   ~レーゼシナリオ論など-ko-ki

「リンダリンダリンダ」を観たときに、山下監督や脚本家向井やカメラマン近藤のことを「やっと同時代的感性の邦画人が出てきた」と思って嬉しかったので、彼らを「ヘイズコード撤廃(アメリカンニューシネマを可能にした、1967年の映倫規制の緩和)以降に生まれた世代」っていう風にカテゴライズしていた。その後「愛のむきだし」も同時代感性と思ったけど、園子温監督の前作「紀子の食卓」を観たときは「部分的にはイケてるが所詮アラウンド1960年生まれの感覚」(園は1961年生まれ)と思ってた。ホントに「愛の~」には意表を突かれた。で、山下らや園のことをお下劣ながら「ヘイズコード撤廃以降に恥毛が生えた世代」とカテゴライズしなおしたのだが、都合の悪いことが起こってしまった。三谷幸喜も園と同じ年生まれだからだ。三谷幸喜は、ワイルダー、ヒッチコックらが映画的教養のバックグラウンドにあり、ヘイズコード撤廃以前の感性で、園らと違って音楽的にもロックテイストは皆無で、ガーシュインとかコール・ポーターとかあのあたりだ。和田誠と意気投合したりしてジジむさい(作品は好きなものも多いが)。で、三谷は1967年より前の時点の四~五歳くらいの頃に生えたと見なすことにした。髭も濃いし、ありうるよな。