2008年から2009年頃の作品だというから遅ればせながらですが、園子温監督の「愛のむきだし」を見た。4時間という長さだし、タイトルはさほど惹かれるものではないんだけど、この監督の前作が「紀子の食卓」というなかなか良い作品だったのと、今をときめく満島ひかりが出てるというので、それ以外の予備知識をほとんど持たずに見た。

いや~、素晴らしい映画体験でしたね(DVDですが)。作品としては終盤にやや弛緩と失速が感じられるのがタマニキズだけど、登場人物たちのことを好きになってしまうので、そこも、まあ、許せる。

本題に入る前に、「紀子の食卓」の話をしよう。疑似家族とか女子高生の集団自殺のような、いかにも現代社会の病理を描いてみました、という「狙ってる」感じ、つまりアザトさがあった。(「愛のむきだし」にはそれが少ない)あと、この監督の目には一般人が外国人のように見えてるのではないか、あまり普通の人の生活のことを知らないんじゃないか、と思った。よく洋画での日本人の描き方の奇妙さ(現代生活の中にサムライ風生活様式が紛れ込んでいたり、中華風の音楽が使用されていたり)が話題になるが、まさに、そのような目で一般人を見てると思う。たとえば、娘二人が家出したときに母が自殺するくだり。ああいう時に女親はわりと気丈なもので、母が病弱という設定は自殺の不自然さを誤魔化すために取って付けたもののように思えた。自殺方法も不自然で、ジャックナイフで胸とか喉を切り裂くなんて、そんな自殺をするオバサンはいないよ。光石研も娘たちを捜して会えたと思ったらそのナイフを振り回すというのも変で、心中するつもりらしいのだが、そうだとしても我が娘に対してあんな風にふるまう父はいないと思った。あと吉高由里子ふんする妹もあんな可愛いルックスであんなにグジャグジャと面倒な独白をする少女はいないよ、と思った。あんな面倒くさい内面を持つ子がいたとしたら、それは間違いなくブスだ(偏見です)。そのあたりが違和感ありありだった。いっぽうでコインロッカーベイビーのつぐみは、リアリティがあった。とくに実の母と再会するくだりや、「薔薇が咲いた」のくだりは凄い。
この監督はパワーがあるので、先述したような小さな違和感も強引に押し通してしまう。


例是道   ~レーゼシナリオ論など-mukidasi


で、「愛のむきだし」ですけど、今回は普通の人間が出てこないので、そういう違和感は少なかった。でも、主人公が終盤に精神病院に入るという設定は承知してたが、彼のように愛と勇気に溢れるまっとうな少年がどんな風に発狂するかと思って見てたらマリア像の損壊がきっかけだったので失笑してしまったし、あんなに自由奔放な継母があの程度の新興宗教団体に簡単に手なずけられるわけないよと思ったし、ヒロインがサソリを錯誤するところとか絶対ありえないんだけど、今回もパワーで押し切った。まあ、もともと漫画的な感性の監督だと思うんで、リアリズムを期待するのも筋違いなんだけど。

影響関係の有無は作品評価とは関係ないんだけど、この映画を見て三つの映画を思い出した。ケン・ラッセル監督の「クライム・オブ・パッション」、つぐみ主演の「月光の囁き」そして、これはやや意外だろうけどキャリアウーマン系のロマコメ「ブロードキャスト・ニュース」だ。園監督はこれらを見たのだろうか?「月光」は見てるよな、つぐみを自作に抜擢したくらいだから。変態の主人公とその愛を受け入れるヒロインというのは「月光」とつながる。あとラストに流れる、ゆらゆら帝国の「空洞です」は、「月光」の主題歌スピッツ「運命の人」に似た曲だと思った。クライムオブパッションは、やっぱ聖と俗の交錯する世界ってことで分かりやすく似てる。ブロードキャスト~は、オープニングで三人の主要登場人物のそこまでの生い立ちを描くところと、片思いの相手が危険領域に深入りすることに対して警告するシーンが一番の見せ場であるところが似てる。