つぎは日清戦争の激戦地 東鶏冠山要塞跡
ここに行くために旅順市内でタクシーを拾いました
東鶏冠山要塞跡に行って!というと
どことなく嬉しそうな運転手(o^^o)
途中の道でも色々と話しかけてきては
あれが何だこれが何だとガイドしてくれます
途中のチケット売り場で私が車を降りてチケットを買う姿を見ていた運転手が急に駆け寄ってきて
売り場の人には文句を言っています
どうも観覧料をごまかしていたようです
運転手の抗議でお釣りが50元ほど多く戻ってきました
その後の丘に登ったところで運転手さん
私に「ところでお兄さんここまで来ると帰りのタクシーはもう捕まらないよ(o^^o)
この後も自分が色々と案内してあげよう!
ついては180元でどうや?^ ^」との事
私は「いや山を降りるのは楽だから歩いて降りるよ」と言うと
そう言わずに乗ってって~と哀願され
さっきのチケット売り場の件もありそこそこ正直な人
「わかった!じゃ頼むわ150元で!」
ここからチャーターとなりました(o^^o)
ここ東鶏冠山要塞の時代背景は…
当時の日本はロシアのバルチック艦隊来襲に備えて
旅順港に残っていたロシア太平洋艦隊を仕留めるべく
海陸から攻めかけていました
まずは海からの攻撃は堅い守りのため失敗
そこで陸から旅順に迫ります
その旅順港を囲むように要塞が築かれて
鉄壁の守りを固めていました
東鶏冠山要塞はこれらの要塞群の正面最も堅い守りを持っていました
下からみた要塞
とても見晴らしが良く近ずく日本軍の姿は手に取るように丘の上から見える地形です
あろう事か日本軍はこの鉄壁の要塞の正面から攻撃を仕掛けたのでした
この時の日本軍の司令官が乃木大将です
小説家の司馬遼太郎はこの無謀な正面作戦をもって
乃木大将の無能と評しています
乃木大将も故郷の大先輩ですが現地を訪れて私もこの正面作戦は無謀にすぎると感じました
ここで数万の日本人が命を落とした事を考えると
要塞跡に近ずくにつれて心拍が上がってきました
丘の上からみた周りの景色はこのように
素晴らしい見晴らし
陣地は今でも残っていて
山腹を掘り抜いた大規模なものです
ひたすら丘を登って来た日本軍は機関銃と大砲で狙い撃ちされたのです
何度かの総攻撃でもここを落とす事は出来ませんでした
ここでまたまた故郷の大先輩の一人
児玉源太郎がこの戦場に派遣されてきます
彼の指揮でつぎの展開に進んで行きました
彼は正面攻撃をやめて裏側の203高地のロシア陣地に
攻撃を目標を変更しました
という事で次はいよいよ203高地です









