小山日記
小山から発信するブログ。
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11月7日

今日はもんちが実家にあいさつに来た。
もんちを実家に送り届けたら、たまたまお兄さん夫婦と遭遇した。
今日は移動してあいさつして、飯喰っての繰り返し。
肩こった。

秋山のカフェ住宅

松戸市の「秋山のカフェ住宅」(山口誠:設計 2010)を訪れた。中高層の集合住宅が立ち並ぶが、空き地も目立つ住宅地。開発途上のようだ。カフェ併設の住宅でプランは十字形。周囲には庭を配し、中庭と合わせると六つの庭が配されている。庭の植物が周辺の空き地の雑草と同じように、なんとなく生えているように見えるところが好ましい。(実際にはきちんと選定され、配置された植物だと思う。)袖壁で囲われたデッキでお茶を頂いたが、とても気持ちのよい空間だった。開いた感じと囲われた感じの両立。デッキ、壁の木の素材感。中庭の抜け感も良かった。あまり良い敷地環境とは言えないが、気持ちよいと感じる工夫を随所に感じる建築だった。

$所窪日記-秋山のカフェ住宅

最近訪れた建築

最近訪れた建築についてメモをまとめてみた。坂の上の雲ミュージアム/牧野富太郎記念館/豊島美術館/イサムノグチ庭園美術館/犬島/as it is/ホキ美術館について。ここの所だいぶ建築を見ているが自分のメモを改めて見てみるとディテールについてが多い。批判は簡単だから、もう少し計画的な部分でオルタナティブを提案する位のトレーニングはした方が良い気がしてきた。例えば、一番最近訪れたホキ美術館。周囲は住宅街でコンテクストから建築を導くのは難しそう。自分がこの敷地を与えられたらきっと相当悩むだろう。まだ答えは出ない。トレーニングが必要だな。

牧野記念庭園/猪俣庭園

「庭園」と名のつく二つの場所を訪れた。練馬区立牧野記念庭園と猪俣庭園。そこに建つのは展示室と個人邸という異なる用途の建物。単純に比較はできないが、そこに流れる雰囲気は明らかに違った。前者はとても和むのに対して、後者は緊張感が漂う。それは、建物にしても庭にしても作り方の違いに由来するのだと思う。内藤さんの創る空間は牧野記念庭園に限らず、きっちりしてるのに肩の力が抜けている気がする。だから和める。でも、そういう空間は意外と理詰めで創られているのかもしれない。もちろん吉田五十八の緊張感漂うディテールもとても勉強になった。どちらが好きかと聞かれれば、圧倒的に前者です。

ナガオカケンメイの考え

今日は一日本を読んだり、講演会映像の編集をしたり、iTunesで音楽を物色しながら過ごす。その中の一冊が『ナガオカケンメイの考え』(ナガオカケンメイ:著 新潮文庫2006)文庫本版で読む。印象に残っているのは

「好きなデザイナーがいない」ということは、まっさらな歴史の中で、ゼロからものをすべて発想していこうとしているか、まったく知らないか。このどちらかであろう。そこには、勉強していないということが浮き彫りになる。

という部分。ナガオカは「やりたいのなら、その周囲を猛烈に知ること」だと言う。この考え方には全面的に賛成だ。最近ようやく自分の好きなデザイナー、建築家が分かってきた。好きなデザイン、建築も同様。そしてやりたいことも見え始めている。猛烈に知るために猛烈に動かなくては。さしあたって、猛烈に知るために次の本を読む。

『環境のイエ フィジクスと住空間デザイン』(小泉雅生:著 学芸出版社2010)
『住まいの中の自然 パッシブデザインのすすめ』(小玉祐一郎:著 丸善2008)
『ヴァナキュラー建築の居住環境性能 CASBEE評価によりサステナブル建築の原点を探る』(村上周三:著 慶應義塾大学出版会2008)
『自然と生命に学ぶバイオミミクリー』(ジャニン•ベニュス:著 山本良一:監訳 オーム社2006)

しばらくは環境系の話を掘り下げて、アウトプットしていく。

英会話の本

部屋を片付けていたら、英会話の教材が大量に発掘された。いつの間にこんなに買ったのか。我ながらビックリする。どの教材もほとんど手つかずの三日坊主状態。英語は話せるようになりたいけど、いつも続かないという現実を突きつけられる。よし、今年はとりあえず手持ちの教材から始めよう。TOEICのポッドキャストも併用で。

環境建築メモ

末光氏
kokage
ツリーユニット
冷水(輻射冷房)
見える化
kubomi
サーマスラブ
地中に蓄熱するシステム
断熱材を入れずに土を直接温める

小泉氏
LCCM住宅
デモンストレーションであってモデルでない
×量産
×高気密高断熱
×閉じた箱

能動的になると受容範囲が広がる
窓の開閉ができる29℃は快適
窓の開閉ができない28℃は不快
リダンダンシー

内藤廣氏の発言の引用
ポストモダンの時代、表層の表現よって隠されていた構造は近年、見えるようなってきた。設備は未だ隠されたままである。カミングアウトが必要。

意匠、構造、設備をパラレルな計画の必要性

プール

映画『プール』を見る。「理由なんて、愛ひとつで十分だ。」というコピーの付けられた映画。大森美香監督はあるインタビューで、

「愛」は、「繋がり」ですかね。台詞の中にも、「いつも一緒にいることだけが、大事なわけじゃない」というのがあるんですけれども、一番この映画の根底にあるのはそういうところだと思ってます。

と述べている。この映画では食事のシーンがとても多い。また、舞台であるタイの宗教的な儀式のシーンも登場する。映画を見ていて「繋がり」を感じるのはそいうシーン。これからの家族は、食事や宗教など他人同士が無理なく共存できる営み、そういったものを通して繋がっていくのかもしれないと思った。

シミュレーション

通風、日射、温熱環境などのシミュレーションソフトを扱う会社と打ち合わせをする。学生時代から興味を持っていた会社。Build Live Tokyoのプレゼンや太陽光発電シミュレーションなども見せてもらう。どちらも興味深い。シミュレーションを活用してスタディの幅が広がれば良いのだが。シーリングファンの効果や素材の違いによる輻射熱の効果が可視化できると面白そう。シミュレーションから形を導くと言うよりは、仮説を立てて組み立てたプランをシミュレーションで検証するという使い方になるだろう。思い込みを修正するという方が近いだろうか。

みえないかたち

吉岡徳仁さんの『みえないかたち』を読む。共感したのは

「作品の新しさは、斬新さは、かたちでなく切り口に宿る。新しい素材や技術が、新しい「切り口」をもたらしてくれることはままあるが、多くの場合、それは技術の新しさでしかなく、かならずしも作品の新しさではないということ。」「エコロジーや環境意識といった社会的な標語とは別のところで、なにかが言おうとしている。」

といったところ。吉岡さんは

「デザインとアート、両者の中間あたり、どちらにも属さない、ある意味中途半端な場所で、自分なりの独自の分野を確立したいという思いが出てくるようになりました。」

と本書で語っているが、僕からすれば、吉岡さんは完全にアーティストのように思える。実際に人が住み性能を要求される建築では素材や技術の新しさで、新しさを表現してしまいがちだし、それは、エコロジーや環境意識という社会的な標語と相性が良いので、そちらに流されてしまいがち。社会的な要求を満たした上で新しい「切り口」を見つけなくては。言葉で言うのは簡単だ。
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