天橋立を歩く[1] 江尻から大天橋の松並木へ〜冬至丹後元伊勢行(15) | 日々のさまよい

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龍となり吹雪に舞い昇った天橋立〜冬至丹後元伊勢行(14)←(承前)

 

 

 

 

天橋立の東北端、旧府中村(現宮津市)江尻からの入り口に到着しました。
雪は止みましたが、風が少し強めに吹いていましたから、サチエの顔が寒そうです。

 

ここから先は、歩行者と自転車および原付バイクのみ通行可。
向こう端の文殊地区にはレンタサイクルが数店ありますから、自転車でこちらの府中地区まで来られる方も時折おられるそうです。

 

 

 

 

「特別名勝 天橋立」

 

日本海の宮津湾にある『天橋立』は、陸奥の『松島』・安芸の『宮島』とともに、日本三景とされている特別名勝のひとつです。
幅は約20~170m・全長約3.6kmの砂嘴(さし)でできた砂浜で、大小約8000本もの松が茂っている珍しい地形で、その形が、天に架かる橋のように見えることから『天橋立』の名が付きました。

 

天橋立観光ガイド/観る/天橋立

 

 

天橋立公園は、砂嘴である大天橋、小天橋、第二小天橋と、これらの地域が展望できる傘松の4つの地区からなります。

大天橋は江尻から南西に潮流に沿ってできた長さ2,400メートルの砂嘴で、約3,700本のマツが成育しています。

 

京都府/公園・自然歩道の案内/天橋立公園(風致公園)

 

 

 


空はまだ厚い雲に覆われて太陽の光を遮っていますが、次第に山の向こうから青空が見えてきました。


天橋立の宮津湾に面した東側は、このようにずっと砂浜が続いています。

 

天橋立は、沿岸流や波浪によって運ばれる砂礫(されき)が細長く突堤状に堆積してできた砂嘴(さし)によって形成されています。
その砂礫は、主に丹後半島東岸の河川から流出したもので、それが海流により宮津湾の奥へと東から運ばれると、今度は宮津湾西端奥に河口を持つ野田川の水流と湾内でぶつかって、砂礫は海中で細長い線状に堆積します。
そうして砂嘴が育ち続け、約4000年前に天橋立が海面に現れたと推定されているそうです。

京都府/丹後広域振興局/天橋立の概要

 

ですから、今でも東側から砂礫が流れ来るため、このような砂浜になっているようですね。

 

ところが、

砂州の侵食
近年、天橋立は侵食により縮小・消滅の危機にある。
(中略)
 侵食を防ぐため、行政では写真の南側よりの眺めである飛龍観の右側のノコギリ状になっている砂浜部分に養浜を行うために砂州上に小型の堆砂堤を多数設置し、流出する土砂を食い止めている。

Wikipedia/天橋立/景観をめぐる問題

 

ということで、実のところこ、これは今ほとんど人工砂浜ということのようです(泣)

 

 

国土交通省/平成24年度近畿地方整備局研究発表会 論文集/新技術・新工法部門
No.15「宮津港海岸『天橋立』における侵食対策事業について
森 宣和・山口睦雅(京都府 建設交通部 港湾課)

 

(2) 空中写真による汀線の変化傾向
図-3は天橋立付近の海岸地形を各年代毎に撮影した空中写真を示している.1963年および1975年の空中写真では,砂嘴の幅が狭く砂浜が侵食されている状況が確認できる.また,江尻港防波堤の上手側(北側)には砂が堆積している状況も確認できる.この時期には侵食対策として大小の突堤群を設置しているが,汀線はほとんど変化しておらず,上手側の構造物により漂砂移動が遮断され抜本的な侵食防止に至っていないことが分かる.次に,1989年の空中写真では,1963年および1975年に比べ,突堤の上手側で砂が堆積しており,全体的に砂嘴の幅は広くなり,汀線は前進している状況が確認できる.先に述べたとおり,1979年には研究会を設立しその後サンドバイパス事業を開始しており,開始10年後の1989年には天橋立全体で砂浜が回復したことが分かる.また,2006年の空中写真では,1989年と比較して,全体に汀線の大きな変化はなく,比較的安定した砂浜が形成されていることが分かる.


あと、松食い虫、流木、カキ殻島など、問題は山積のようですから、どうにか今の景観を自然のままに長く守り続けられますよう祈っています。

 

 

 


松の威容。
おもむろに青空となって来ました。

 

 

 


松並木に陽光が降り注ぎ始めます。

 

ちなみに天橋立が選ばれている8つの「日本百選」。

「日本の松百選」(1983年)
「日本の名水百選」(1985年) ※磯清水
「日本の白砂青松百選」(1987年)
「日本の道百選」(1987年) ※府道天の橋立線
「日本の渚百選」(1996年)

「美しい日本の歴史的風景風土百選」(2007年) 
「日本の歴史公園百選」(2007年) 
「日本の地質百選」(2007年)

 

 

 

 

天橋立には数多くの命名松があるのですが、これも予習が足らず、松名サインもひとつひとつにありながら、何が何やら分からないまま行き過ぎてしまいました。

 

京都府/丹後広域振興局/天橋立の命名松一覧

 

 

 

 

天候は晴れへと向かっていましたが、まだ風が冷たくサチエは寒そうです。

 

 

 


名前があるのかなかったのか、もう覚えていませんけれど、下に延びた枝がグイッ〜と上に向けてカーブした松。
すごい生命力です。

 

 

 

 

歩いて来た北の方向を橋立の西海岸から望みます。

 

画面右、松のかかった下に見えるタテ縞は、傘松公園へのケーブルカー。
連なる山の一番奥に見える頂上は鼓ケ岳(成相山)、その右手前で雪の積もったピークの下辺りに成相寺があると思います。

 

 

 

 

いつまでも寒そうに、強張った表情で松並木の道を歩くサチエ。
北方向の空は、まだまだ厚い雲に覆われたままですが…

 

 

 


東側の浜辺に出てみると、青空になっていました。
見る見るうちに明るくなって…

 

 

 


あっという間に、海が夏のように冴え渡った鮮やかなコーラルグリーンへと変化します。
コートのフードを被った姿は、一転して違和感を放ちました(笑)

 

 

 

 

とするうちに、またまた厚い雲が太陽を覆います。

 

 

 


これは、千貫松。
特徴のある銘松ですから、この名前だけは後で分かりました〜

 


ということで、大天橋を2/3くらい進みました。

 

天橋立を守る会/松の記憶(史跡など)

 


ここの少し先から砂嘴の幅が広がって、濃松(あつまつ)と呼ばれる地になります。

 

 

 

(つづく)→ 天橋立を歩く[2] 濃松の磯清水と天橋立神社〜冬至丹後元伊勢行(16)



 

 

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