2014晩春信濃行(1)善光寺〜戸隠水芭蕉園 | 日々のさまよい

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先の4月28日から5月1日の晩い春に、夫婦で信濃を訪ねてきました。

大阪から高速バスに乗り松本を経由して長野へと入り、まずは牛に引かれてのことわざ通り善光寺へのお参りから始め、そこから戸隠に一泊、次いで諏訪にて二泊というスケジュールでした。

ひとつには、仕事でお世話になった松本の方にお会いしてご挨拶をさせて頂くという要件が長らく果たせなかったこと。
もうひとつには、かつて戸隠の蕎麦屋で食べた蕗味噌の味が忘れられず我慢も限界になってきたこと。
そしてもうひとつは、妻にとって未見だった戸隠と諏訪の素晴らしさをこの度の再訪にて共有して貰うことなどが旅の動機です。




特に、蕗味噌については時期が限られるため、この3月から信濃行にウズウズし出して、そのため本ブログを始めてしまったのはこのブログについて(1)でも書かせて頂いた通りです(笑)

そのため、少しはこのブログを意識して、いつも気まぐれにしか写真を撮りませんけれど、今回は今までになく小まめに妻のスマホで記録したところ、整理して残った写真が140枚を超えるほどになってしまいました。

ということで、それらを一気に公開というのもページが重くなり過ぎるのと、せっかくですから道中で感じたアレコレも記しておきたいと思いますから、このシリーズはチョット長めの連載になるかと思われます。

どうかお気軽に、ボチボチとお付き合いくださいませ。




全行程(夜明04:22/日出04:56/日入18:33/日暮19:08)
▼4月28日(月)
大阪08:00⇒13:33松本インター前13:40⇒14:43長野駅14:50⇒15:00善光寺16:57⇒17:49戸隠中社~白樺荘
▼4月29日(火・祝)
白樺荘04:20~奥社/九頭龍社~森林植物園/鏡池~中社~火之御子社~宝光社~そば処よつかど13:38⇒14:38長野駅15:00[特急ワイドビューしなの18号]→16:01塩尻駅16:12→16:35上諏訪駅~レンタカー>民宿すわ湖
▼4月30日(水)
民宿すわ湖04:20>04:50上社前宮06:00>06:10上社本宮07:00>07:30御射山神社08:10>08:50民宿すわ湖09:30>諏訪湖>10:00下社春宮11:00>11:20下社秋宮12:20>12:50御射山社13:40>諏訪湖間欠泉>15:00民宿すわ湖
▼5月01日(木)
民宿すわ湖04:20>05:10杖突峠登山口~守屋山~立石登山口~杖突峠登山口09:50>10:00守屋神社10:30>11:20民宿すわ湖11:50>12:30八島ビジターセンター~旧御射山社~八島ケ原湿原14:50>15:30大和屋湖魚店>レンタカー~上諏訪駅16:26⇒22:23大阪
(凡例:⇒バス/~徒歩/→鉄道/>レンタカー)



■4月28日(月)
大阪~松本インター~長野駅~善光寺~戸隠白樺荘




大阪から松本バスターミナル行きの高速バスを松本インター前で下車。
・高速バス松本-京都・大阪線

反対車線のバス停から、長野行きの高速バスに乗り換えます。
・高速バス長野-松本線

時刻表では下車と乗車に7分の猶予しかないため、この乗り換えに失敗するとJRの特急を利用することになりますが、松本へは定時より早くの到着となって一安心。

長野行きのバスは、一路長野自動車道をひた走り1時間余りで長野駅前に到着します。
道中では北アルプスの山容が遠くから見守ってくれています。

ちなみに7世紀後半、天武天皇は唐の首都長安と副都洛陽の複都制に倣い、この松本平へ首都藤原京を補完するべく副都を造営する計画を持っていたそうです。

しかしながらそれを果たせないまま、皇位を継承した妻の持統天皇は、691年の異常気象に際して止雨祭祀を行うにあたり、大和の風神である竜田神と水神である広瀬神に対応させ、信濃の風神である須波神(諏訪)と水神である水内神(戸隠)をも、日本全土を救う神の代表として勅祭したということです。




善光寺の仁王門。
・善光寺

額にある「定額山」は、善光寺の山号となります。
後で知ったのですが、ホームページによれば、

仁王像並びに仁王像背後の三宝荒神・三面大黒天は共に高村光雲・米原雲海の作であり、その原型は善光寺史料館に展示されています。

とのことでした。
次の機会に、ぜひ拝見したいと思います(苦笑)




善光寺山門。

1750年に建立された二層入母屋造りで、重要文化財とのことです。
そして「善光寺」と書かれた額は「鳩字の額」とも通称されて、3文字の中に鳩が3羽隠されているとのこと。
これも知らなかったので、今度はぜひ数えてみたいと思います(苦々笑)




ぬれ仏と六地蔵。

ぬれ仏は、1722年に善光寺聖・法誉円信が全国から喜捨を集め造立した延命地蔵尊とのことで、八百屋お七の霊を慰めたものという伝承が伝えられているため、俗に「八百屋お七のぬれ仏」とも呼ばれているそうです。

六地蔵は、1759年に浅草天王町祐昌が願主となって造立されるも、昭和10九年に戦時の金物供出に出されてしまい、現在の六地蔵は昭和29年に再興されたものだそうで、

六地蔵とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の6つの世界で我々衆生を救ってくださる菩薩様

とのこと。




善光寺本堂。

ご本尊は、一光三尊阿弥陀如来。
一光三尊とは、一つの光背の中に、阿弥陀如来とその脇侍仏である観音菩薩と勢至菩薩が三尊ワンセットになった仏像で、いわゆる阿弥陀三尊が1枚の舟形光背におおわれている状態とのことです。
これは彫刻史で「善光寺式阿弥陀三尊像」と称され、なかなかお目出度い様式のようです。

けれど少し不思議なのが、これほど有り難いご本尊が本堂の正面中央に祀られていないこと。
中央には、御三卿という善光寺開山三体の神像が祀られており、阿弥陀さまは向かってその左側となります。

まあ、何はともあれ内陣に入らせて頂くと、阿弥陀さまに焼香してお参りし、お戒壇巡りの闇の中で結縁の錠前に触れさせて頂きました。




善光寺の北へと出て、戸隠行きの路線バスに乗ります。
・戸隠線

善光寺北のバス停横、善光寺第1駐車場の植え込みに鮮やかなチューリップが咲いていました。




バスが終点の戸隠中社に近づいた所で宿の白樺荘に電話をしておくと、バス停まで車でお迎えに来てくれました。
・白樺荘

この写真は、その白樺荘の見事な水芭蕉園です。
水芭蕉がこれほど群生しているのはとても珍しいそうで、長年のお手入れによる賜だそうです。
木々を整備し、枝を払って日当たりを良くして行くと、次第に群生が育って来たとご主人からお話しを伺いました。

実は宿に着くと早々に、戸隠神社奥社への近道はないかどうか尋ねたところ、建物の裏手に導かれこの水芭蕉園へ案内して頂きました。
奥社へは、水芭蕉園の左手を抜け藪の小道を辿れば旧参道へ出られるとのことで、参拝に絶好のポジションです。

前回は、戸隠神社で一番標高の低い宝光社から参拝を始め、奥社までを徒歩で往復しましたから結構な距離と標高差を歩きましたけれど、今回は奥社から宝光社まで順次下っていくだけの片道ですから随分と楽になる作戦です。




咲き誇る水芭蕉は、どれも痛みが少ないまま、花弁の
様な苞の無垢な白さが清々しく輝くようでした。




夕暮れの中、木々の向こうに戸隠連峰が望まれます。
明朝、その麓へとお参りできることを思って、夕餉の席へと赴きました。



(つづく)→  2014晩春信濃行(2)戸隠神社奥社参道




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