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駄目なまま行こう(1)


>そのままでいくという事ですが、これはとても勇気がいる事ですね。

ハハハ、そうですね、ちょっぴり勇気は必要ですね。
いや、かなりいります。(笑)
生死巌頭、大死一番と云うくらいですよ。
100Mの岸壁から飛び降りるごとくといって良いくらいです。(^_^)
まあ、バンジージャンプですね。(笑)

ただ心の方向の問題が解ると、
その場その場で心が切り替わって行きますから、
後は、自分のはからい、思いを離れて流れに乗ればいいですから、
力みは必要なくなりますよ。

どうも、こうなったらいけない、ああなったらいけないの、
今まで蓄積されてきた枠組みに当てはめて、その場に臨もうとするから、
それらの比較設定が気後れ感となって身動きできなくなります。
”100Mの岸壁から飛び降りるごとく”とは、
それらの比較設定も考える余裕もなく
身を投げ出すようなものですから、
とにかくさらけ出す以外にないって感じですよ。

自分の思いはひとます置いておくわけです。
ああなるな、こうなるな、こりゃあ傷つくぞは、
その場の流れに任せるわけです。
傷ついてもいいじゃありませんか、自分をバランスとって、
安全に、身を守りながらの気持ちが、逆にがんじがらめにしている。

あらかじめ用意した、頭の思いではなく、その時の状況、流れに体を任せて
見るんですよ。その時どうなるかは、準備する必要はないわけです。
なんとも、思いがけなく、スーっと行く物ですよ。

>もう傷つきたくないという気持ちと、人に嫌な思いをさせてしまっているという
罪悪感とがあって、外に出たり人に会ったりするのが恐いんです。
やっぱり自分は駄目なんだ、と思わざるをえなくて落ち込みます。

丸ごと良くわかりますよ、まったくその通りです。

駄目なまま行く
罪悪感を持ったまま行く
怖いまま行く

駄目な自分、罪悪感を持った自分、怖い自分等、
それらを解消しようとしても、なかなか難しいです。
駄目な自分に対して、良い自分のイメージを立てている。
その落差や、こう向かう物が、現実を見えなくしたり、かえって不安や恐怖を
呼んでいるわけです。

一定の固定した思いが、それが基準になってしまって、心が流れないわけです。
そのままという一定の状態というものは無いわけです。

そのままが、バランスとれた安定した状態と決め付けると、そのままではなく
なりますよ。

駄目な状態も、そのままの状態です、そのままのを離れていません。
罪悪感の状態も、そのままの状態です、そのままのを離れていません。
不安定な状態も、そのままの状態です、そのままのを離れていません。
気おくれしている様態も、そのままの状態です、そのままのを離れていません。

そのままとは、全部の状況を認めた状態ですから。
なにがあっても、そのままから離れていないし、良いわけです。


駄目なまま行こう(2)

ですから、

駄目な状態も、良いわけです。
罪悪感の状態もも、良いわけです。
気おくれしている様態も、良いわけです。
身がすくむ恐怖の状態も、良いわけです。

心の状態は、それらが微妙に行き来して、
あたりまえにうまく行っているんですよ。
この状態が悪い、こうならねばいけないという、決め付け固定観念が、
逆に心の流れを、縛り、規制し、現実をみえなくしているんですよ。

どうあっても、そのままの状態ですから、
ひきこもりの状態でも、十分威張って良いわけです。
ひきこもりの、気おくれいっぱいの状態で、出ていって良いわけです。

出ていって、大恥を掻く。
えらく傷つく。

それも、又、良いわけです。
立派に、そのままの状態を維持しているわけです。
そのままは決して、バランスとれた安定した状態だけではないのですから。

出ていって、大恥を掻く。
えらく傷つく。

も、立派な、あたりまえの心の流れの一部なんですから。
そのように、その場その場で心が切れて行くことが大切です。
そうすると、自然な流れと云う物が掴めます。

自然な流れを掴もうとすると、掴めない。
掴まずに行くと、掴めるわけです。

心のバランスをとろうとすると、とれない。
大恥を掻きながら、傷つく心を、そのままにして、不安定のまま行くと、
知らぬ間に、バランスがとれているわけです。

心を取り扱わない、自分で制御しない分、自然に制御されるわけです。
自分で、こうなければの、ああでもない、こうでもないが、
逆に、どんずまりを呼んでいるわけです。

どうなっても、あるがままを離れていないわけですから。
こうなければの、ああでもない、こうでもないは、落ちても良いわけです。

きっかけがあれば、即、今、解ることですよ。
すべて、今に気づきがあるわけです。
こうなって、ああなっての果てに求めがあるのではないということ。
良いも、悪いも、すべてが、そのままの状態だなと、
実感することだけなのですから。

別な、もっと良い、解消する方法がある、不安を安心に変える方法があると
思っているうちは、まず解りません。

不安は不安な状態でいいんだな、苦は苦であたりまえなんだな、
別な、安定した、スッキリした自分を求めるので無く、
その場その場の心の状況を邪魔にすることなく、そのまま行けば良いんだな。

ただ、それだけなんですから。

心の捜し求めるものがなくなる。これが開放感を呼び、静寂感を呼ぶわけです。
安心を求めなければ、安心が来るわけです。