6年前の年賀状 ですが
正月早々 縁起でもない言葉を
並べて 家族からは辞めてくれと
言われながら 最近まで続けていましたが
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私も 手術を経験したり
死を意識するような年に
なってしまいました
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もはや死がいつ訪れるか
誰に言うでもないですが
伝えたい言葉 として
過去の年賀状を
時々 投稿したいと思います
この辺りから ワードで作成していますね
文章のみで 白黒になっています(^^)v🍀🌼👨
Word ワードのファイルが有りましたので PDF に変換し
それを JPEG に変換して投稿しました👨
スマートフォンで撮影したものではないので 文字が綺麗と思います 👨
🌼今までのパターンは あまりにも味気ないので
コラージュして 工夫してみました(^-^)/🍀👨🌼
🌼だんだんと文章が多くなって 年賀状 いっぱいに
になってしまいました 汗(;_;)/~~~😅💦🍀🌼👨 .
何はともあれ
地獄行きのキップ
これが大切なようです
ですが
これはなかなか大変です。
心がぞん底に落ちなければなりませんから
但し、悩み多き人は
可能性がありますね。(^-^)/🍀🌼👨
🌼『歎異抄』3章
「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」
しかるを世の人つねにいわく「悪人なお往生す。
いかにいわんや善人をや」
この條、一旦、その謂あるににたれども、
本願他力の意趣に背けり。
その故は、自力作善の人は、
ひとえに他力をたのむ心、かけたる間、弥陀の本願にあらず。
しかれども、自力の心を廻して、他力をたのみ奉れば、
真実報土の往生を遂ぐるなり。
煩悩具足の我等は、いづれの行にても、
生死を離るること、あるべからざるを憐れみたまいて、
願をおこしたまう本意、悪人成仏の為なれば、
他力をたのみ奉る悪人、もっとも往生の正因なり。
よって「善人だにこそ、往生すれ。
まして、悪人は」と仰せ候いき。
この章も良いですね(^^)v🍀🌼👨 .
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🌼仏道をならふというふは、自己をならふなり。
自己をならふといふは、自己をわするるなり。
自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。
万法に証せらるるといふは、
自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。
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上記《正法眼蔵/現成公案 の巻 》 道元禅師ですが
これも良いですね(^-^)/🍀🌼👨
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🌼 追記です 重要なとこを忘れていました
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「自己をはこびて、萬法を修証するを迷いとす。
萬法すすみて 、自己を修証するは悟りなり。」
上記《正法眼蔵/現成公案 の巻 》 道元禅師
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🌼「この生死は即ち仏の御命なり。
これをいとい捨てんとすれば、
即ち仏の御命を失わんとするなり
これにとどまりて、生死に著すれば、
これも仏の御命を失うなり。
仏のありさまをとどむるなり、
いとふことなく、したふこと
なき、このときはじめて仏のこころにいる 」
上記 『正法眼蔵・生死 の巻 』道元禅師 です
がこれも良いですね(^-^)/🍀🌼👨
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『生きながら死人となりてなり果てて思いのままに するわざぞよき』
上記『至道無難禅師』
これも良いですね(^-^)/🍀🌼👨
🌼大分年賀状投稿 資料が少なくなってきました
ほんのちょっぴりでも
仏教に興味を持っていただければ 幸いです(^-^)/🍀👨🌼
ネットでの説明
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浅原才市(あさはら さいち、1850年(嘉永3年)2月20日 - 1932年(昭和7年)1月17日)は、
浄土真宗の妙好人のひとり。石見の才市と呼ばれる。
「口あい(くちあい)」と称せられる信心を詠んだ多数の詩で知られ、
「日本的霊性」として鈴木大拙によって世界的に紹介された。
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