苦痛になりきる。(2)


最後に、森田博士の著書の文を載せておきます。

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『患者は、その苦痛なり恐怖なりを逃れよう、それに勝とう、否定しようとしては
いけない。それは神経質がますますその苦痛にとらわれ、心の葛藤を盛んにし、
症状を複雑にする手段になるのである。種種雑多な療法を講ずることも、
宗教的に助かろうとすることも、みな同様に常に執着する結果となるばかりである。
「あるがまま」になることができないからである。

いまたとえば重い病苦に悩み、動けないで病床に呻吟しているとする。
「あるがままでよい」気を紛らせるとか、これを治すために種種の方法を探っては
いけない。独りで我慢し、苦悩している外に仕方がない、
苦悩の去る時節を待っていればよい。もしこれが生死の境に立った真剣な態度に
なり得たなら、そこにいわゆる窮すれば通ずという境涯が得られ、苦痛から脱却する
ことができる。

白隠法話集の中にも、身体の病気でも、心の煩悶でも、苦悩の極に達した時に
大悟され易いという事実が載せられてある。これは本人が純一に苦痛そのものに
なりきって絶対境になるからである。すべての比較、相対を離れた時に始めて
苦痛を超越することができるのである。
また例えば時々発作的に心筋梗塞を起こし、死の恐怖の不安に襲われることがある。
この場合にもこれをじっとそのまま我慢していなければならない。
普通は医者を呼んで、注射をするとか、氷嚢をつけるとか大騒ぎをする。

或いは電車の中で発作が起こって、人に助けられて、病院にかつぎ込まれると
いうことがある。みな間違っている。注射などしてはいけない。
やはりその「あるがまま」でなければならない。

....この発作性のものは、一つの驚愕ということに相当する。
驚きは感動であって、夕立のように、一時的に経過する、すなわち発作性である。
したがって他から手数を加えず、自分で工夫なく、単なる驚きに還元してしまえば、
ごく短い時間で終わるのである。』

「神経衰弱と強迫観念の退治法」 森田正馬著 より引用
白揚社