ゲストブックのレスです。 苦痛になりきる。(1) しろくまさんいらっしゃい。こちらに書いておきます。 森田療法では、森田療法に向いている気質を神経質としていますので、 違っていれば、無視して下さい。 >教育入院してまず7日間だったか、床に臥して何もせず過ごすのですよね。 からだが落ち着かず寝ても起きてもいられないので、まずそこから無理な感じです。 絶対臥じょくと言う方法ですね。 ”からだが落ち着かず寝ても起きてもいられない”これが根本だと思うのですが、 なぜ、そうなるのか、思い当たる事はないでしょうか? 過去のトラウマによるものか、肉体的な先天的なものか、 精神的な薬で収まっているのであれば、トラウマなど精神の働きで恐怖を感が生じて、 肉体に働きかけているように思えるのですが、 何が原因なのか、自覚できないでしょうか? ここが一番の手がかりと思います。 ”絶対臥じょく(臥褥)”では、まず症状に手をかさず、ほっておき、苦痛になりきる。 そうすれば、精神交互作用が生じませんから、それで自然に収まると言うことを、 体験させるということですね。 恐怖から逃れようの、心がだんだん増幅して身動きできなくなる(精神交互作用) この悪循環を断ち切る必要があるわけで、絶体絶命になって苦痛になりきる、絶体絶命療法と言われる所以です、 >家庭園芸は好きで手広くやっていました。今、庭はジャングルです。またいつかやりたいと思っていましたが、 今後集合住宅に転居するにあたり、もうこのまま今までのようには園芸を出来ないだろうと思って寂しくなります。 今まで枯らしてきた花を思っても悲しくなります。綺麗に花を咲かせているお宅を見かけても、つらくなります。 薬でぼやっとしていたり、何かにとらわれているときは、なかなかそちらの方面に心がむかないですね。 家庭園芸は、自然観察が必要であるし、創意工夫も大変必要ですね。 家庭園芸の実感や味わいが出てくれば、ほぼとらわれから脱却しているとして良いのではないですか? とらわれから逃れようとすれば、余計とらわれが増幅します。 とらわれのままに、症状を治さず、身近な事に手を出して行くと言うことが作業療法になりますね。 ですから、入院しなくとも、心の方向性が定まれば、たった今、実行できることでもあるわけです。 >最初から今まで、私は順○堂越○病院で診て頂いています。基本投薬治療ですね。 どこもそのようでそれが平均的治療なのでしょう。 現在、断薬中ですが、主治医は次の薬を用意しているようです。 今、断薬されているのであれば、薬を抜くチャンスと思いますが。 せっかく生を受けて、せっかく心の病になったのですから、あるがままを味わうチャンスと思います。 釈迦も、親鸞も、禅の祖師、森田博士も皆、心の病から、脱却しあるがまま、自然のすばらしさを説いています。 病になったからこそ、味わうことがあるわけです。 >現在、貯金を取り崩し生活している事(弁護士や医師からは、いずれは生保受給をと勧めます。避けたい事です。) 同居の娘二人は成人していますが自立していない事。不可解な言動の元夫と裁判離婚をしましたが、娘たちにも不可解な父親でしたので、 娘たちも心が不安定です。私が家を開けると娘たちはさらに生活が荒れました。そういう訳で入院はもうめったな事ではしないと思っています。 こんな私でもいないよりはマシなようです。 良い意味で早く親離れ、子離れしたいものです。 実際、生活が大変なんですね。 入院でなくても、心の方向性をみつけられれば、今すぐ実行できることですから。 お母さんが、良い方向性がでてくれば、娘さんも感ずるものがでてくるのではないですか。 まあ、ゆっくり行きましょう。