ヤフー、森田療法掲示板の方の投稿です。


愚のままに。
Yさんへ。
 

>縁をそのまま受け入れていく事は、とても苦しく、どうしても逃げようとしがちです。
受け入れようとすると、心と争うことになりますので、
受け入れられない心のままでいいと思います。

苦しいままでいいし、
逃げよとする心のままでいいわけです。

心の状態はこうでなければと決め付けないで、
いろいろ変化する心をそのままに自覚、見守っていけば良いですよ。

今安定してる、だから良いんだという事も無しです。
治った状態がこうだと言うものがあると、
心を限定することになり、又状況により流れなくなってしまいます。

只、流れの状況からは逃げずに向かったほうが良いでしょう。
逃げよとする心のままに、逃げない。
そのために、途方もなく心が揺れ動き、
不安にさらされるとと思いますが、
まあ、これもしかたない、愚のままに一緒に流れていけば良いです。

>ただ今も、妻と喧嘩してつらいから、そのつらさを紛わすために、こちらにお邪魔しています。
でも、そのつらさはどうしようもないですね。 

どうしょうもないです。
つらいままにするしかないですね。
自己のわがまま、他者のわがまま、いろいろ要因はあると思いますが、
自己の言い分を押さえ、いくぶんか絶体絶命になって他と対応すれば、
自然な流れがやってくるものです。


><自己を守ろうと過剰な人が、自己を守れず、
自己は縁により守れない時もあると、
しかたなく絶体絶命に前を向く人が、
逆に自然な縁の流れに乗ったり出来るものです>
僕は、どうしても自分を守ろうとしてしまいます。 そのことばかりに囚われています。
また、お邪魔します。   
 
守ろうとするのが人間ですから、これもしかたないです。
守ろうとしたが、どうしても守れない、
しかたないなあと、だからこそ絶体絶命になれるわけですから。

守れない縁こそありがたいと言うことになるでしょう。

絶体絶命の先は、もうわからないんです。
わからないまま、いけば良いです。

神経症は、ある意味、予定、決めつけ等、道筋を自分で立て、
その設定の中で生きようとして逆に破綻している状態かもしれません。

それを、有心、自力と呼び、
逆にそれらを放下した生き方、これが無心、他力と言うことになるでしょう。

糸の切れた凧、どうなろうとも、愚となってすってんころりんと行けば良いですよ。