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もとどうあろうが手つかずの自然です

 このスレからの行きがかりでもって提唱は修証義です、生死。
人身得ること難し、仏法値うこと希れなり、今我等宿善の助くるにりて、
すでに受け難き人身を受けたるのみに非ず、偶い難き仏法に値い奉れり、
生死の中の善生、最勝の生なるべし、最勝の善身を徒にして露命を
無常の風に任すること勿れ。

人として生まれてと、つくずくというか革めて考えたことがありますか、
当然だという何が当然なんでしょう、権利と義務で云えば享受した分何かしら
果たすべき、でなかったら半分、いえほとんど生きた証拠もないんです、

何を果たすべきか、仏の法です、人間としてものみなに対する、すべてを救いうる、
すなわちものみなの完結です、他には一切ない、あるいは生まれ変わり死に変わりして、ついにこれを得る、仏となる、まさにこれと。

そんなの仏教の独善だという、いいえそんなことはないです、
仏とはおぎゃあと生まれたすべてです、生まれる以前からのほかなしです、
本来本当に長長出する幸福です、理想と現実が同じなんです、

理屈なんてないただこのとおり、たといものみなできそくないだろうが、
仏はこれを知る、不増不減不垢不浄、もと掌するんです、仏から見れば、
自分というよこしま、なにかしら取り計らいが根無し草です、

もとどうあろうが手つかずの自然ですか、あっはっはそうですよ、
その通りに坐って下さい、いつだってこれ答えのど真ん中です、
気がつくのにいんも、これっていうことですよ、他なしっていう、
まるっきり手間ひま要らんです。