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もののないことを知るのが大悟徹底

 だからわしのような人間がいるのですよ、坐のノウハウを知り尽くした人間です、
坐しか解決の道がなければはじめっから坐が正解です。回り道をしないことです、

あなたのように坐という予備知識を持っているんですよ、
だから無理だとかオウムだとかいう、とっても無理だとかいう、

子供にこうだよというと、はいと言って坐ってほとんど悟りに近くなります、

またせっぱつまって、どうにもならぬ人に坐を示すと短時間で開示します、

坐とはなにか自縄自縛の縄をほどく、仏はほどけ、ほどけば仏なんです、

ですからノウハウの第一は先入主、思い込みを外してやることです、

あなたは座禅見性、悟りというものを想定する、そうしてむずかしいの、
わからないのという、座禅見性というものはないんです、

まったくそういうもののないことを知るのが大悟徹底なんです、

もとの自分本来事に戻ること、手続きは不要です、放てば掌に満つ、

ただこれ。わしの務めは握り締め得ようとするところを外し外ししてやるんです、

わしというもの無きゆえに同時的に同事にこれが可能です、
あっはっはだから稀有なんですよ。

はい取るも取らぬもあなたのご勝手。


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>まったくそういうもののないことを知るのが大悟徹底なんです、

無功徳、不生、無碍の一道。

麻三斤

森田で言えば治さずに行く。

まったく、求めようにも、なにものもない。

なにも発する言葉も無い。

一指、只、指を上げるだけである。

(和尚さん以前より、微妙に説法の方向が変化してますね。
より、自然とか、あるがままとかに、近づいている。)

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