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探さない心

他のブログでの最近の対話を載せておきます。

>他の方法に変えるか考えています。

だって、良い方法が見つかったでしょうか、
そしてこれからも見つかるでしょうか。
今の心を改善したい、そういったどこまでも心を探す思考が、
あるがままを見えなくさせているんです。

森田に期待する、其の心が、森田を見えなくさせているんです。
こうあろうとする、心の期待、決め付けたものが、
心の自然な流れをせき止めている。

森田に期待が無い所に森田があり、禅がない所に禅がある。
神に期待がない所に神があるわけです。

治そうと期待があるところに、治るは無い。
ですから、絶体絶命と言われるわけです。

期待は自力であり、期待が尽きたところが、他力です。
つまり、期待が尽きたところが、絶体絶命と言うわけです。

絶体絶命は、”他の方法に変えるか考えています”どころではありません。
地獄一定、地獄さえも、しかたない、受け入れざるをえない心持、

心のどん底ですね。

そこに至って、初めて自己が静まる、静寂が現れるわけです。

自己が他を探すことを、初めてそこで観念する、
心の深層であきらめるわけです。良い方法を探すうちは、解らない、

まだ、探す余裕があるうちは解らない、探す余裕が尽きたところの、
どんずまりに、探していたものが、忽然と現れるわけです。

探さない心、絶体絶命に、心を開いて無心に、やって行こうと言うわけです。
(あるがままと言うこと。易行道。http://blogs.yahoo.co.jp/marucyan1/16889222.html)