○ 他力 そうですね、ちょっとでも体を動かしていけば、意に反して、 動きの中で、動きそのものが、色々と教えてくれる筈です。 思考や、前もっての、あれこれの考えが以外と役に立たず、 取り越し苦労であったりして、それよりもむしろ、無心に物事に対面して、 リアルタイムの無心から出てくる情報の方が大切なことだなあと、 つくづく感じるはずです。 前もっての、こうなければを置かず、手放しで物事に向かう。 そうすると自然な形で、かえって物事がスムーズに収まって行く物です。 >追いたてられる気分になります。 そういった、不快な気分も、そっと、そのままにして、消そうと動かさず、 そのままに抱えて行くと言う事ですね。 それが非常に大切なことで、それがあるがままの核心と言うべき事ですから。 これが他力と言う事にもなります。 不快な気分を、自らの心で消そうとするのが自力です。 不快な気分が残っているのは、これは自然なことで問題はありません。 不快な気分が消えるのは自然に任せる意外ないと言う気概が 他力ということになります。 いや、まだ努力で不快な気分は取れる筈だと、そう言った心が残っている人は なかなかこの事が理解できないものです。 何もやっても駄目だった、自力が尽きた人がはじめて 他力のありがたさが解るわけですね。 自力は葛藤がついて廻りますが、他力は葛藤が減少します。 葛藤が減少したところに、或る安心が芽生えるわけです。 その安心が、”ありがたさ”と言うわけです。 つまり、不快な気分や不安な心を抱えた中にもささやかな安心があるわけです。 それから,今回は他力といいましたが、あるがままも、他力も、無心もなんら 違いはありませんので。 理屈は二の次で良いですよ。 自分の心を離れて、色々物事が進んでいくものだなあと、実感できれば良いですよ。 自分でこうなければと決めつけた事柄は、非常に小さいことです。 自分の理屈や、心を離れたところに、色々学ぶことがあると言う事ですね。 ですから、心を決めつけない事を、心の丸ごとと言うわけで、 沈んだ、ぞん底の心を意識したとしても、それも自然な状態だなと、 丸ごとの心の一部だなと、なんら問題無くやっていけば良いですよ。 ただ体調はバランスを考えてやって下さい。 自然な流れのなかで、休むべき時、頑張るべき時のいろんなメッセージが あるものですから。 縁に従うと言う事は、今を生きることでもありますから。 過去や未来でなく、たった今を大切にしようというわけですね。 そうですね、たった今のなかで、思考、観念を離れて、目前の事柄に工夫を 見出して行く中に自然な努力が現前するものです。 それが見出された時、思考、観念を離れて居るがゆえの幸福感が味わえるものです。 >うつや強迫観念、あってよし、なくてよし、どちらもよし。 そう少しずつですが思えるようになりました。ありがとうございます。 そうですか、これが出てくると良いですよ。 相対を脱却して絶対が見えてくるわけです。 治らずに治るとか、言うもので、治るとかを超えていくわけですね。