と日に日にゆっくりこの疑問が確信へと変わる日々である。
自分の存在価値に比例せず、私がここにいたいと願い、受け入れてくれた街はニューヨークであった。
ツーリストという枠組でビザをとったが故にそこで生産性のある活動を強いられる事もなかったのは大前提の話である。
悶々としたものを抱え 眠れないとき、私は決まって意識する事がある。
タイムズスクエアのど真ん中、ブロードウェイのラッシュチケット売り場の赤階段から見える景色と街の雑踏だ。
あそこを行き交う人の熱量。夢、国籍。世界の真ん中を感じざるを得ない。
そのうちの6割が観光客だろうか。
私はどちらともつかない立場の埋れた空気になれた。
それはそれは空気。ただ世界の真ん中に存在しているだけだった。
ラッシュチケットを買うわけでもない、この後の予定もない。
そんな時わんさかと買い物をして上の景色ばかりの写真を撮る中国人を横目にスラッピーをゴクゴク飲んで摩天楼を見上げるのは、とても贅沢な時間だった。
目を閉じていつもそれを思い浮かべる。
どこに一人で行っても孤独にならなかった。
見栄を張り、背伸びする事をやめた。
お買い物中毒な彼女はソーホーに通い詰めていた。
私はベンダーフードを買い、冷めないうちにとニューヨークタイムズかCBSペーパーを買い、アッパーウエストを小走りに、セントラルパークのメトロポリタン近くにあるお決まりのベンチに行くのだ。
ただ救ってくれる人はいなかった。
それが私の人徳であり運命であろう。
リスク回避能力に問題がある。
来月ネパールにいく予定をニューヨークに変える。
それで何が変わるわけでもないが、まだ自分というものを保てる地球上で唯一の場所だろう。ただそんな事も甘えだと知っているし生産性はゼロ。今後の人生の肥やしになる見込みもない が、しかし行かなければならない。不慮の事故に見舞われない限り私はこれからも生きて 人格を持ち 考え 意思を持たなければならないからである。
街に何が変えられる。
そんな事を考えていたらどこにも行けない 何も知ることはできない。ブルックリンのアパートから夢を見るのだ。
夢と熱気にあるれる街から生きるための勇気を分けてもらおう
アーメン












