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※私のブログは日常などを書き記すものではありません。
私の実体験を書かせて頂いています。
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「私は、実家が嫌いだ。」
2020年現在、20代中間。
"今までの1番楽しかった記憶は?"
と聞かれて、
恋人と過ごしてきた時間だったり
妻と出会えた事 だったり
両親と笑いあった日々
とか。十人十色。
色んな答えが返ってくると思う。
だけど私の中の
1番楽しかった記憶に
実家は存在しない。
私の父は、無口で無関心。
小さい頃はよく旅行にも
連れて行ってもらっていたが
一緒に遊園地の乗り物に乗った訳でもないし
何か特別な話をした訳でもない。
私たちが乗り物で楽しんでる時、父は
近くのベンチで待機するだけだった。
でも小さい頃はそんな父でも大好きだった。
だけどそんな幸せな感情は
あの人によって、壊された。
"祖母"
同居していた、私の父の、母。
祖母は根っからの昔人間と言うか
気難しい人だった。
と言うか、言うならば
"卑怯な人間"だった。
何も悪さをしていなくても
迷わず私の兄を疑った。
「手を出してみ、ほらあんただ」とか。
兄は必ず犯人扱いされていた。
それ他、私や姉には
両親の悪口を吹き込んだ。
「休みでもあんた達の親は何にもしない」とか
幼いながら、両親の悪口は
軽いものでも胸に刺さった。
そんな時でも父は助けてくれなかった。
たとえ泣いていたとしても。
中学に上がり、私は不登校になった。
"いじめ"と言うか
私自身がそれをされた訳では無いが、
私が大好きだった友達が
陰口を言われていて
ハブられたり、していた。
そんな友達を私は助けられなくて
そんな自分が嫌で、
教室に馴染めず不登校に。
不登校の子達だけが集まる
特別教室みたいな場所に
通い始めた。
荒れた。
髪の毛を金髪に染めたり
メイクして、ピアスして
学校に通っていた。
夜遊びもした。
それは自分が悪いとは分かっていた。
祖母も案の定、
「恥だわ」とか
「恥ずかしくて外あるけんわ」とか。
言われていた。
髪が派手と言うのもあるだろうが
祖母にとっては、
"不登校"と言うのが恥ずかしかったんだろう。
当時の私は、気が強く
誰に何言われようが
右から左へ流していた。
だけどその後、
分かり合えると言うか
凄く波長の合う友人2人と出会ってから
私は毎日、ではなかったが
学校へ行くようになった。
相変わらず教室は怖くて無理だったけど
その2人が会いに来てくれたり。
でも2人も最終的には
特別教室へ通うようになった。
それからも、またバカをするようになって
髪色は相変わらず派手だったし
チャラチャラしていた。
でも、ある人に言われた。
「容姿なんてどうでもいいんだよ。大切なのは君たちが楽しいと思えている事だからね。僕は君たちが毎日学校に来てくれてとても嬉しいよ」と。
びっくりした。
大人はみんな、祖母みたいな人だと思っていたから。
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