今晩は、将来国政に出て政治家として活動したいと思っているものです。中学生、高校生の頃もamebaで政治ブログを書いていたのですが、大学生になって時間にゆとりが出てきたので再び書き始めたいと思っています。取り上げる話題は、個人的に気になったものにするつもりです。政治に限らず、様々な社会問題について自らの意見を伝える練習をする場として利用したいと思います。

 

                 第1回  <~メディアのあり方について~> 

 

 記念すべき1回目のトピックを何にしようかと非常に悩みましたが、元ジャニーズの方や、殺人及び誘拐などの重大事件の関係者に関する報道の仕方、国政に関する話題の報道の仕方、に対して若輩者ながら疑問に思うところがあったので少し書きたいと思います。

 

 中高生の時はほぼ毎日ニュースを見ていたのですが、最近はニュースのほとんどに嫌悪感を抱くようになり、ニュースどころかテレビそのものから距離を置くようになりました。嫌悪感というものは曖昧でとても個人差があるものだと思いますが、私自身はtwitterなどでよく見るような、「テレビはフェイクニュースを放送するから嫌いだ、見たくない。」という意見の持ち主ではありません。私が嫌悪感を抱く理由は、ニュース番組がまるで日本社会の意地の悪さ、変なところでの異様な厳しさといったものを凝縮したものに見えることです。

 

 例えば、先のジャニーズの方事件では、被害者のご両親の声明にもありましたように、被害者の関係者に対する執拗な取材があったそうですし、加害者に対しても、事件の詳細をあまり理解していないようなコメンテーターの異様なバッシング、例えば示談が成立しているにもかかわらず氏の解雇を強く主張したりなど、があったと思います。ここに私は、非難しやすい人間の過ちに対して多数の人間が、過ちを犯した人物をやり玉に挙げて一斉に誹謗中傷を浴びせる、“裏切り者は許さない”村八分的な要素”を見いだしてしまいます。繰り返しになりますが、被害者家族は元メンバーの引退をあまり望んでいないような趣旨の発言をしていたにも関わらず、元メンバーは即刻引退すべきと言うコメンテータがいる。被害者の負担を考えずに長期間にわたって報道を行う。昔のTVがどのようなものであったかは私にはわかりませんが、自分のまだ短い人生の中でも“報道”という物のモラルが下がっているように感じます。

 そのほかにも、これは既に当たり前のことになっているような気がしますが、刑事事件の容疑者の個人情報を詳細に公開したりすることにも疑問を抱きます。これはよく言われることですが、無差別殺人を起こした犯人の親や兄弟が自殺することは実際に起こっています。報道機関からすれば唯々事実を報道しているに過ぎないのかも知れませんが、犯人の親族に取材の手が伸びることで親族の社会的信用が大きく損なわれてしまうでしょう。

 無論、報道関係者も情報番組の出演者も“数字”が出なければ首になってしまうのだとは思いますが。だからといって関係者をむやみに傷つけて良いことにはならないはずです。報道に携わる方は、その一文字、一言が他人の人生を狂わせ得ることを念頭に置く必要性があるように感じます。

 

 このような感じで書いていきたいと思います。何でも良いので、コメントしていただけるとありがたいです。