二度の流産を乗り越えて…ママになりました!そして二人目妊活苦戦中…からの二人目授かりました!

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私の妊活奮闘記!!

結婚・妊活・妊娠・流産
人生いろいろ

共感していただければ嬉しいです☆

4年前に脳梗塞で倒れ入院。

その後も何度か入退院を繰り返し

2年前?(やったかな?)に大きな交通事故にあい

長期入院とリハビリを経て

なんとか歩行もできるようになり

腕を上げられない、重いものが持てないなど

不自由は残るものの日常生活を取り戻し

ようやく母と2人で暮らすことができてきた

そんな矢先でした。


実家のトイレで倒れ

母が気づいた時には目も口も開いた状態で

意識を失い心肺停止状態だったようです。

パニックになった母は救急車ではなく

姉に電話しそこから救急車を呼び

心臓マッサージもしたそうですが

病院に着き状態を聞くと

『くも膜下出血による重度の脳死状態』とのこと。

強い薬で心臓だけを動かしてもらっていましたが

意識が戻ることはない。

もって数時間から数日だと言われたそうです。


私は遠方に住んでいるため何も知らず

珍しく姉からの着信でドキッとするも

保育園の帰りだったためすぐ出られず

姉からの家族LINEで

『お父さん倒れた。心臓マッサージしてる。』

のメッセージで1人パニックでした。


帰宅して子供達のご飯を用意して

義兄から電話がきて

『状態があまり良くない…』と涙する声に

あぁ…もうダメなんだなと察しました。

ビデオ電話に切り替えてもらい

かろうじて薬で心臓だけを動かされてる

父の姿を見て、つらそうで苦しそうで

見てられませんでした。


1時間ほどテレビ電話を繋いでもらい

また状況が変わったら連絡をもらうことにし

子供たちのお風呂寝る準備と

とにかくやらなきゃいけないことを

やるしかない状況でした。

その後も気にはなるけどなんの連絡もなく

とにかくできるだけ早く帰った方がいいと

旦那に言われ

そうは言っても旦那は『明日どうしても外せない仕事がある。ごめん。』と言い、人の命より大事なもんあるんかと言う苛立ちもありましたが

かと言って子供たちのことも心配な為

朝、保育園に子供達を預け

私は準備出来次第帰省する。

保育園のお迎えは義両親にお願いし

そのまま預かってもらう。

と言う手筈を取ることにしました。


とにかくついたら病院に直行しよう。

そう思いながら眠りにつきました。

そして朝方、兄から『お父さん眠りにつきました』とLINEがきて…

暖かい父に会うことはできませんでした。

ある程度の覚悟はありました。

遠方に住むと言うことは、

そう言う場に立ち会えないと。

分かってはいたけど辛い。

そして母のことも気がかりで

できるだけ早く帰ろうと。

とにかくやらなきゃいけない事をやろうと。

なんせ子供たちは待ってくれません。


無事保育園に子供たちを預け

荷物をまとめて帰省。

行き先は病院ではなく葬儀場でした。

そこには母、姉、兄家族がいて、

父が眠る部屋に案内してもらい

ようやく会う事ができました。

もう冷たくてでもすごく綺麗な状態で

眠っていました。

当たり前ですが生気がないとは

こう言うことかと思いました。

新幹線の移動中も泣くことしかできず

父に会って『辛かったね。頑張ったね。』としか言えませんでした。本当に父の生涯は波瀾万丈で幸せだったのかな…と少し疑問になってしまうくらい壮絶な人生だったと思うので、本当に『お疲れ様でした。』と『ありがとう。大好き。』の気持ちしかありません。

父が眠る部屋から出ると姉が抱きしめてくれて

また涙が止まらず…

『生きることってこんなに辛いことなのか』と

本当に思い知らされました。


その日初めて喪服を姉と共に買いに行き

私は母と共に実家に帰りました。

父が過ごしていたであろう風景が生々しく

本当に辛くて受け入れららなくて

母の悲しみを考えるととても耐えられるものではありませんでした。


父が倒れる直前に作ったもやし炒め。

味付けも父がしたそうで本当に美味しかった。


翌日、義姉に迎えにきてもらい

母と一緒にまた葬儀場へ。

特に何をするわけでもなかったのですが

私はできるだけ父のそばにいたかったので

一日葬儀場で過ごしました。

これでもかと言わんばかりに

父の顔や手をたくさん触りまくりました!!

またその日は実家に母と二人で戻り

翌日、お通夜だったので、

わたしの子供達・旦那・義両親が来ることになり、その準備にバタバタとしていました。


お通夜の日

旦那達を駅まで迎えに行き実家に泊まってもらい

私と母は葬儀場に泊まりました。

父と過ごせる最後の日だったので

子供達には申し訳ないけれど

旦那や義両親に無理言って子供達のことはお願いしました。


お通夜が始まる前に湯灌と棺納式があり

これで父に触れられるのは最後。

湯灌の間たくさん手を握らせてもらいました。

姉が『火葬したら何も残らなくなってしまうから』

と言って髪の毛を少し切ってもらい私も少し分けてもらいました。


家族葬で小さくの予定でしたが

結果としてとても華やかにできたなと思います。

お通夜の後はみんなでご飯を食べ解散。


私と母と父の3人で最後の夜を過ごしました。

父のいる棺の横で母が父への名残惜しさと言うか『残された私はどうすればいいの?』と言った不安をたくさん話していると心なしか父の顔色が紫に?!


翌朝除くとまた綺麗な顔に戻っていたので

気のせいだったのか?

でも明らかになんか顔色悪かったよな…とも思ったり。もうこの際、何があってもおかしくないなと思いました。


そしてお葬式の日。

離れたくない。別れたくない。

その気持ちでいっぱいで刻々ときてしまう時間が残酷に感じました。

最後の棺にたくさんのお花を入れると

もうこれで本当に最後なんやなって声をあげて泣きました。嫌だ嫌だと言う悲しさと最後本当に棺にたくさんの花が敷き詰められ『お父さんよかったね』と言う気持ちにもなれました。


そして火葬場へ。

火葬場についてからは気持ちも落ち着き

火葬されている間にみんなでお食事へ。

その後お骨上げへ。

体格の良い父の骨はしっかりと残っている印象でした。

最後頭の骨を収める時、骨に血のような紫の跡がありこれもくも膜下出血の影響なのか?ととても冷静に見てしまいました。

その後、火葬場で解散し

私の家族・義両親・母、父の遺骨を持って実家へ帰宅。

義両親だけその日に帰り、私の家族は実家で数日過ごしました。

一人になってしまう母のことが心配で…

ただタイミング悪く息子の誕生日もあったりとあまりゆっくり実家に留まることはできませんでした。


この後もまだまだいろんなことがありました。

自分の気持ちを整理する為

少しずつここで吐き出させていただきます。


父が亡くなりより一層もう3人目は諦めようと思えました。

父に会わせられないし。

抱っこもしてもらえないし。

それならもう二人で十分。

生きるの辛いな。

自分も子供たちが大人になる姿を見届けられる保証なんてないよな…って改めて思いました。

せめて子供たちが自立するまでは生きて見守ってあげたい。

もうそれで十分かな。長生きはしたくないな。


お父さん、大好き!

ずっとずっと何があっても大好きです!

今までたくさん支えてくれて、

たくさん迷惑もかけたけど、

たくさんいろんな相談・話聞いてくれてありがとう!

お父さんと過ごした貴重な時間今では本当に宝物です。たくさんの宝物ありがとう。

大好きなお母さんのことちゃんと見守っててよ!

いつかそっちに行く時はまたたくさん話そうね。

心残りなことたくさんあるかもしれないけど…今はゆっくり休んでね。痛みのない世界で楽しく過ごせている事を願います。

お父さんの子供でうちは幸せでした。

本当に大好き。今まで育ててくれてありがとう。


まだまだ想いは溢れるけど…

この辺で止めときます。


長々とすいません。