すわたしの特性として、
五感で感じられるものが好き、
ということがある。
自分軸を探すときにも、このあたりは必ず引っかかってくる。

実体験でなくとも、
聴いていて、読んでいて、触れていて、
その匂いや、風景や、温度が感じられるもの、ありありとイメージできるものが好きなのだ。

本の場合は。
それにプラス、「日本語の使い方」
がキーポイントで、それが合うか合わないかで、
その作家さんが好きかそうじゃないか、が分かれる。
そもそも、ありありとイメージするには、純日本人な私には、違和感なく日本語で書かれていることベースになってしまうから、海外作家さんのを訳した物は、面白いと思って読むものはあっても「大好き!」にはならない。

そんな中で。
今のところの自分の好きな作家さんといえばダントツ。

長野まゆみ
恩田陸

の、二人。

長野まゆみは、その描写、日本語の美しさ。
恩田陸は、日常を「当たり前でない視点」で捉える感覚。

同じ青色でも、わたしの見ている青と、他の人が見ている青は、まったく別の色かもしれない、とか。選んだ選択肢のもう一方を生きる自分がパラレルでいるかもしれない、とか。
そんな、ふと思ったことがあること、でも言葉にうまくできなかったことが、物語で表現されていて、「そう!これを、わたしは言いたかったの!」ということが多くて、すっきりするような、あらためて不思議な感覚を思い出すような。


恩田陸の短編集「図書室の海」の中の、ノスタルジアの一節

電車の中、窓から駅のホームを眺める主人公
「新宿駅のホームは背広姿のビジネスマンでいっぱい。この窓1枚を隔てて、日常と非日常の、時間が流れているのを見るのは不思議だ。車窓というのは額縁を似ているな、と思った」
「こうしてぼんやりと車窓からの風景を眺めるのが、私の至福の時だ。頭を空っぽにしていると、普段の生活の下にしまいこまれていたさまざまな追憶の波が押し寄せる。叫びだしたくなるような記憶、切なくなるような記憶、いつのものかも分からない記憶。」


電車やバスの中から眺める風景は、なぜだか感情を呼び起こす。それは、その温度感から切り取られた世界だから、そこにいるのにいない感覚、だから。じゃないかな、、、そう感じながら白馬の山々みていた、あの頃を思い出す。


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