50代看護師乳がんになる

50代看護師乳がんになる

2024.4月乳がん告知
6月右乳房温存術/リンパ郭清なし
7月病理検査/ルミナルB HER2 陰性 リンパ転移なしステージⅠ グレード2 ホルモン受容体50%↓ Ki67 20% オンコDX提出後の結果待ち

今日は父の命日です

 

思い出の中の父は私より年上なのに、いつのまにか私は父より10以上も歳を重ねています

 

​せめて後10年生きたいなぁ
そしたらまるの花嫁姿も見れるやろ?

 
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と、ポツンとつぶやいた父のこと、今でもはっきり思い出せるのにね悲しい

 

がん告知をしない時代

 

私の父はがんで亡くなりました。享年47歳

原発不明がんでした

 

父ががんと診断されたのは1989年、平成元年です

私が看護師2年目になろうとする3月の春の日

 

具合が悪いと言いながら病院にかかろうとしない父を引きずるように勤務先の病院に連れて行き、数日後に私ががん告知を聞きました

 

がんであることは本人には知らせない

 

ひと昔前はそれが主流の考え方だったんです

 

父にも知らせませんでした。主治医からも告知はしないと言われました

でも父は自分の病名を知りたがった

 

そりゃそうです

どんどん具合の悪くなる身体、黄疸が出て、腹水がたまり、浮腫も強くなり、身動き一つできなくなってくる

 

なんでや?

病気は何なんや?

がんじゃないのか?

俺はもうあかんのか?

 
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病室に来る看護師につめよって質問するので困ると言われたこともありました

 

入院から逝去まで4ヶ月

あっという間でした

 

父は自分の病気について何ひとつ知ることも、治療を選択することもできなかった

 

そして私は娘として、看護師として何もできなかった

 

悲しさよりも、無力感だけが強く残りました

 

 

父の看取りは心残りばかり

面接やセミナーのワークショップで

 

看護師として印象に残っているエピソードがありますか?

 

と質問を受けることがあります

 

印象に残る場面、患者さんは多々あれど

 

ダントツ1位は父の看取りです

 

やりたいこと、やらないといけないことがあった

会いたい人に会い、大切な人に伝えたいことがあった

 

でも父にはその機会が与えられなかった

 

私に何かできることはなかったのか?

精一杯、父に向き合ったのか?

悔やんでも悔やみきれません

 

たとえそれがその時代のスタンダードだったとしても・・・

 

インフォームド・コンセント

時代は変わり、本人へのがん告知は当たり前になりました

 

私も父と同じくがん患者になりました

 

がんになってよかったとは思えませんが、治療についての選択が自分でできる時代であることはよかったと感じます

 

予期せずあっという間に人生を終えてしまわれる方も大勢いる中

人生には限りがあると、改めて意識する時間をもらえたことは幸せかもしれません

 

 

金子さんがご逝去されたニュースに接したとき、人生最期への取り組み方に驚いたことを覚えています

 

私はどんな風に生きて、そして最期を向かえたいんだろうはてなマーク

 

最近、もう一度読み直しました