1997年7月よりタイを中心に始まったアジア通貨危機から、韓国は通貨危機というよりも金融危機、経済危機に陥ります。

でも・・・「IMF危機」って名称は何よ?
IMFが作った危機だからでしょ!

アジアのほとんどの国はドルと自国通貨の為替レートを固定するドルペッグ制を採用していた。それまではドル安で、比較的通貨の相場は安定していた。また、諸国は固定相場制の中で金利を高めに誘導して利ざやを求める外国資本の流入を促し、資本を蓄積する一方で、輸出需要で経済成長するという成長システムを採用していた。中でもタイはこのパターンの典型的な成長システムであり、慢性的な経常赤字であった

そこに目をつけたのがヘッジファンドである。ヘッジファンドは、アジア諸国の経済状況と通貨の評価にズレが生じ、通貨が過大評価され始めていると考えた。過大評価された通貨に空売りを仕掛け、安くなったところで買い戻せば利益が出る。1992年にイギリスで起こしたポンド危機と同じ構図である。ほとんどの国でドルペッグ制が採られていたため、ヘッジファンドは売り崩せれば巨額の利益を得られる一方で、失敗したところでアジア諸国の通貨が上昇して損を被るという可能性は低く、この非対称性が大規模な通貨への売り仕掛けを呼ぶこととなった。

かくして、ヘッジファンドが通貨の空売りを仕掛け、買い支える事が出来ないアジア各国の通貨は変動相場制を導入せざるを得ない状況に追い込まれ、通貨価格が急激に下落した。

タイは勿論のこと、ミャンマー、ベトナム、ラオス、カンボジアも少なからず打撃を受けた。
フィリピンや香港も金利上昇など大きな影響を受けた。

一方、韓国はマクロ経済のファンダメンタルズが十分であったが、一方で金融部門では不良債権を抱えてしまった。過剰な借金は経営判断で大きなミスを招き、経営交代を招いた。起亜自動車の倒産を皮切りに経済状態が悪化。IMFの援助を要請する事態となった。

アジアの市場に異変を感じたムーディーズは、1997年7月に、韓国の格付けをA1からA3まで落とし、同年の11月にはさらにBaa2にまで格を落とした事で、既に落ち込んでいた韓国の証券取引市場をさらに冷え込ませて、韓国の経済を不振に陥れた。

先進国協調の下で、韓国に対する金融支援パッケージが組まれた。日本も第二線準備としては最大の100億ドルの支援の意向を表明したが、結局、第二線準備金は使用されることはなく貸し出されることはなかった。(何故?あやしいです。IMF体制にする内部の工作じゃない?)

ソウル証券取引は、同年11月7日に4%も落ち込み、翌日には一日の株価変動としては、史上最大の7%の下落を記録した。この後 IMF がしっかりとした再建を行うかどうかの不安感も災して、1997年11月24日にはさらに7.2%落ち込んだ。12月12日時点で韓国の抱えていた民間短期対外債務残高は320億ドル、その借入先の内訳は、日本が118億ドル、欧州全体で118億ドル、米国42億ドルであったとされる。そして、同年末に韓国はデフォルト寸前の状況にまで追い込まれた。これにより IMF が韓国の経済に介入し、現代グループなどに対して財閥解体が行われた。先に述べた日米欧の民間銀行に対する債務返済繰り延べ(リスケジューリング)の成否が、まさに韓国の国家破産を回避できるかどうかの鍵を握っていた。日本政府は、邦銀に対して返済繰り延べの説得に奔走し、混乱する金融市場の中で邦銀の合意を取り付け、1998年1月29日には日米欧民間銀行団の短期債務繰り延べ交渉を妥結に導いた。これは市場に大きな安堵感を与え、1月29日に1ドル=1,678ウォンであった為替レートは、翌1月30日には1,524ウォンまで値を戻した。なおIMFは韓国に対し救済融資をする傍ら、国債発行量に枠を定めた。しかし中央銀行は「通貨安定証券」という名の事実上債権の発行に踏み切った 。この高い利払いにより、中央銀行は赤字決算に陥った。

その後、金大中大統領によって海外からの証券投資に対する規制が緩和され、対外証券投資の流入が促進された。こうして韓国の国際収支は安定を取り戻していった。韓国では、1997年の経済危機は「朝鮮戦争以来、最大の国難」「IMF危機」と呼ばれている。

マレーシア
1997年までにGDP(国内総生産)の6%にも及ぶ膨大な借金を抱えていた。同年7月にはマレーシアの通貨リンギットがヘッジファンドによる空売りの打撃され、同年8月17日、管理された変動相場制(事実上の固定相場制)から変動相場制へ移行した。
1997年始めに1ドル=2.5リンギット程度だったレートが年末には1ドル=5リンギット程度と50%減価した。これを受けS&P(スタンダード・アンド・プアーズ)の国債格付けが下がった。1週間後には、マレーシア最大のメイバンクの格付けが下げられ、同じ日にクアラルンプール証券取引所は1993年以来の最大の856ポイントもの落ち込みを記録した。同年10月2日には再びリンギットが下落し、マハティール首相は資産のコントロールを発表した。しかし、マハティール首相が経済建て直しのため道路・鉄道開発、パイプライン計画を発表した同年の暮れには再三のリンギット値下がりがあった。翌年の1998年9月、リンギットはドルペッグ制へ移行し、1ドル=3.8リンギットとなった。再生計画にも関わらず1998年度は経済が落ち込み、建設業は23.5%、工業は9%、農業は5.9%落ち込み、GDP は実に6.5%下がった。

マハティール元首相は、これが植民地政策だと確信しているはず。TPPもそのものだ、と最近訴えています。

インドネシアはタイバーツとの為替相場でやはり影響がでた。バーツが変動相場制に移行した1997年7月から。

中国は外国為替(元相場)が事実上のドルペッグであったにも拘らず、為替取引に関する「事前申請制」を採用していた事により影響はほとんどなかったと言われる。


韓国政府とIMFとの合意。(現在にも大きな影響があります。儲け吸い上げシステム)

合意内容には、
「財政再建」
「金融機関のリストラと構造改革」
「通商障壁の自由化」
「外国資本投資の自由化」
「企業ガバナンスの透明化」
「労働市場改革」
などが盛り込まれた。


韓国銀行の海外支店について、貸付状況監査と不採算支店の閉鎖
全ての銀行がBIS規制を満たすよう、実現スケジュールを策定

WTOコミットメントの準拠
・貿易補助金の廃止
・輸入ライセンス規制の廃止
・輸入多様化プログラムの廃止(日本製品を対象にした輸入制限規制)

資本勘定の自由化
・外資による国内銀行の株式4%以上購入規制の緩和
・国内市場において、外国人投資家による金融商品購入の全面解禁
・社債市場における外国投資の全面解禁
・企業が、外国より融資を受ける事に対する規制の廃止

コーポレート·ガバナンスと企業体質
・銀行の融資判断を尊重し、政府は銀行運営・個別融資に対して介入しない。政府による現行の融資指示は直ちに撤回する。政策融資(農業・中小企業融資)は維持するが、利子補給は政府予算から支出する。

個別企業救済のための、政府による補助金支援・減税支援の禁止