(五瀬命(いつせのみこと))、「賤(いや)しき奴が手を負ひてや、死なむ」とのたまひ、男建(をたけび)して崩(かむあが)りましぬ。故其の水門に号けて男水門(をのみなと)と謂ふ。陵(みはか)は紀国の竈山(かまやま)に在り。 (『古事記』 五瀬命)
五瀬命は、「賤しい奴のために手傷を負って死ぬのか」と仰せになって、怒り嘆いてお亡くなりになった。それでその港に名付けて、男水門と(おのみなと)いう。御陵(ごりょう)は紀伊国の竈山にある。
今日は五瀬命(いつせのみこと)の神社の「竈山神社」に来ました。
(参考までに『日本書紀』では「彦五瀬命」と表記されています)
五瀬命は初代天皇神武天皇のお兄さんで、
神武東征のときに戦闘で怪我を負って亡くなってしまいます。
上の引用はその亡くなるシーンです。
セリフといい、雄叫びといい、すごい死にぎわですよね。
神武天皇は4人兄弟で、五瀬命は長男、神武天皇は四男として生まれました。
(二男は妣の国(海神の国)へ、三男は常世の国(異界)へ行ってしまったと記されています)
五瀬命は神武天皇と九州から旅をしてきますが、白肩津(東大阪市日下町付近)で登美能那賀須泥毗古(とみのながすねびこ)との戦闘になり、登美毗古の放った矢で手に深い傷を負ってしまいます。
すると、
「吾は日の神の御子と為て、日に向かひて戦ふこと良くあらず。故賤しき奴が痛手を負ひぬ。今よりは行き廻りて、背に日を負ひて撃たむ」 (『古事記』 五瀬命)
「我は、日の神の子孫として、日に向かって戦うことは不吉であった。だから賤しい奴から深傷を受けてしまったのだ。もはや今は向きを変え遠回りして、日を背中にして敵を撃とう」
と言って、それ以後は熊野(新宮付近)に向かって移動を始めます。
(つまり、五瀬命も太陽神アマテラスの子孫ですので、太陽が昇ってくる東方向を向いて戦うという縁起の悪いことをしてしまったために負傷してしまった、と言っているのです)
しかし、その途中で五瀬命は傷が悪化して、志半ばで亡くなってしまいます。
兄の五瀬命はが亡くなった後でも
さらに神武天皇は旅を続け
ついには初代天皇になるのでした。
竈山神社の裏には五瀬命の墓と伝わる古墳があります。
おわり