「今日は、2つの星について話しましょう。
火星と木星です。
この双子とは言い難い2つの星にも、
実は関係があります。
木星は、命を育む星です。
火星は、命をあたためる星です。
命を育むとは、命を養い、育てるということです。
命をあたためるとは、命に力を与える、
活力を生み出すということです。
そのどちらも、生きていく上で欠かせません。
この木星のエネルギーが、今後変化していきます。
(太陽の)道が変わっていくからです。
火星のエネルギーは、変わらずそこにありますが、
注ぐ先が変わっていきます。
個から全体になっていきます。
つまり、グループとしてのあなた方に
力が注がれるようになっていきます。
個としての力強さではなく、グループとしての
力強さとなっていきます。
今後はこのように、星のエネルギーの働きも
少しずつ変化していくでしょう。
それは自然に起こりますので、何も心配はいりません。」
土星は?
「土星はまた、機会があればお話しますが、
土星の道が開きます。
これは人それぞれです。個人の領域において。」
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2017年3月17日 11:10頃(フランス時間)に書き出したものです。
最後が中途半端な終わり方になってしまいましたが。。。
通信中、なぜ木星と火星?と思いながらずっと書き出していました。
書き出してみた後で、読み直してみて、そういえば惑星の並びで火星と木星はお隣さん同士だったなぁと思い出しました。
火星は、西洋占星術では個人的な性質を表す天体とされており、木星はもう一つ大きなグループといった感じの部分を表す天体として扱われています。
それが、「個人」の在り方が変化してきている今、つまり「個」が「全体」と繋がってきている今、火星のエネルギーが注がれる先が一枠広がるのは、なんとなくわかるような気がします。
グループソウル全体に同じものが注がれる感じ、つまり今後はグループ(全体)がシンクロしているのを個の部分で感じながら進んでいく感じになるのではないかという気がしました。
「個」と「全体」の両方を感じて生きる人が増えていっているからこその変化なのだろうと思います。
木星のエネルギーの変化というのも、それぞれの個人が感じる集合的な部分での変化、志に向かう変化が起きているからこその変化、という感じに私は受け止めました。
「今日は、宇宙の道についてお話します。
宇宙には、3つの道があります。
太陽の道、月の道、地球の道。
その3つを統合して、新しい未来を開きます。
太陽の道は今すでに開かれています。
月の道と地球の道は、じきに開かれていくでしょう。」
きのうの絵は、それを表していますか?

「そうです。」
(宇宙を見た感じになった)
この3つの道は、一体何を表しているのですか?
「あなた方が生きていくのに、ふさわしい道です。人間として。
人間として生きるのに必要な道、とでも言いましょうか。
地球の道を確立する前に、月の道を確立してください。
そうすると、うまくいきます。」
月の道とは、何ですか?
「あなた方の内側に眠る、道です。」
そもそも、この"道”とは何ですか?
「道は、道なのですが… 通り道、と言いましょうか。
通路のようなものです。」
異次元の?
「そうです。その中を通って、進むのです。
太陽の道を、あなた方は通っています。
その3本の道を統合することによって、
新しい時代を開きます。」
新しい時代は、いつ開かれるのですか?
「もうすぐです。数年後には。」
ありがとうございました。
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2017年3月15日 09時頃(フランス時間)に書き出したものです。
昨日の朝、筆ペンで、自動書記のような感じで絵を描いていました。
「宇宙」と浮かんだ後で、ほとんど目を閉じたような状態でぐるぐると手を動かして、できたのが、記事中の写真の図です。
描き終えて、見たときに、これは満月の図(太陽と地球と月の満月時の天体の位置)のような、もしくは原子核と電子2個のような…と思いました。
今日の通信の内容は、この絵と繋がるようです。
通信中にその絵のことが頭に浮かんだ後、ふっと別のところに繋がった感じになり、宇宙を見た感じになりました。
私が宇宙を見たように感じるとき、その宇宙は、いわゆる私の頭上はるか高くに物理的に存在している宇宙というよりは、自分の体の中に広がる宇宙のような気がしています。
先日、この体の中の宇宙のほうこそが「大宇宙」であり、頭上に広がる宇宙のほうではない…という話を聞き、とても納得がいきました。
通信終了後、ふと思ったのですが。
太陽の道とは、いわゆる志のことかもしれない。
月の道とは、自分の在り方とか、生き方とか。
地球の道は、よくわからないのですが、それを具現化させるとか、アンカーさせる場所というか、人間で言えば肉体次元のような。
私には、そんな風に思えました。
「今日は、水の話をしましょう。
地球は水の惑星と言われていますが、
それほど水は多いと思いますか?
かつてそこにあった量と比べると、
それは少なくなっています。
砂漠化もその現象の一つです。
そこに、水を戻していきましょう。
水による、豊かさを戻していくのです。
砂漠の緑化には大量の水と
気候の変化が必要となってきます。
それを2020年~2024年にできるように
がんばっていきましょう。
意識をそこに合わせることによって、
実現していくことができます。
世界は動いているのです。
世界は動かすことができるのです。
以上。」
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2017年3月14日 10時頃(フランス時間)に書き出したものです。
今回の話は、特にブログに載せなくても良いような雰囲気でしたが、一応載せることに。
最近、私は、この世界との自分のつながり、世界と自分が連動していることなどを、見ているところです。
そこに確信がいってからでないと、無理な部分があるのだと思います。
世界は動かすことができる。
確かに、そうなのだと思います。
人間の言葉には、いくつも種類がありますが、
それらでさえも、一部の表現にすぎないのです。
文字に書き起こせない言葉こそが、本当の言葉である
とも言えるのですが、文字は原始的な記録媒体として
生まれました。
次元の切り替わりなどのショックにも、石に刻んだ文字は
残せることができたからです。
しかし、文字と言葉はイコールではありません。
文字はあくまで記号、物質的側面を持ちます。
言葉は、情報です。人と人の間に流れるものです。
言葉を記号化したものが文字です。
ですから、記号化できない言葉もあります。
体感などが、そのような言葉になります。
体感を突き詰めていくと、宇宙の言葉につながっていきます。
宇宙の言葉を読む(知る)には、体感が必要となってきます。
どこまで読めるかは、人それぞれによります。
詳しく読みたい場合には、体感を上げていく必要があります。
バイブレーションです。
感覚が鋭くなるにつれ、いろいろなものが知覚できるように
なっていき、宇宙の文字も読める(わかる)ようになっていく
でしょう。
以上。」
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2017年2月2日 15:50頃(フランス時間)に書き出したものです。
通信をはじめる時、頭にギベオン(鉄隕石)を感じていました。
ふいに、自分が持っているギベオンの薄片が頭の中にあらわれ、それを見ていました。
そして通信の間じゅう、このギベオンが何度もチラチラと見えていました。
終わってから、写真に撮ろうと思って手持ちのギベオンを探したのですが、なぜか見つからず…。
それで、ネットで写真をお借りしてきました。
こんな感じのものです。

ギベオンと呼ばれる鉄隕石を切ると、断面にこのような模様が出てきます。
もう20年以上も前に、小さな薄片を鉱物標本として購入した時、この不思議な模様に魅力を感じていました。
最近、私の中に「宇宙は1つの物質からできている、宇宙は情報でできている」というような考えが出てきています。
この情報が、今回の通信内に出ている「情報」と同じだと思いました。
「文字」は書いて記録をする媒体。
「言葉」というのは、人の感覚の中に存在する、いわば概念的存在ということだと思います。
たとえば「痛い」という言葉があり、それは「痛い体感」を表現しています。
それを長い年月を経ても物質的に残していけるのが、「痛い」という文字。
この文字を岩に刻んでおけば、数千年後の人が解読をして、あぁこの時この人はこんな風に痛かったんだなと、理解してくれる…かもしれません。
岩に刻むというのは、高度な文明を手放した後でも可能な方法だったからかも。
「痛い」という言葉(単語)自体、「痛い体感」を表現するために作られたものです。
だから、地域によって、国によって、この体感を現す言葉が違っていても、体感そのものは大体同じであろうと思います。
だから、言葉の元は、この体感そのもの、とも言えるのかもしれません。
そしてそれが、情報。
体感そのものが言葉である、と考えると、ちょっと不思議な気持ちになりますね。
ある意味、世界共通言語かも?
なかなか言葉にできなくってもどかしい感情や感覚が生じる時がありますが。
そういう時、言葉にできないからといってそれがおかしいわけではなく、その感情が存在していないわけでもなく。
それに見合った言葉(単語)がまだ作られていないだけかもしれません。
素晴らしい未来についてです。(^^)
未来というものは無いということは、もうおわかりですね。
未来というのも座標のひとつに過ぎないのです。
地図上の一つの点なのです。
過去も同じです。
つまりそれが、過去も現在も未来も同時にあるということです。
面でも球でも良いのですが、同じところに(過去も現在も未来も)
存在しています。
そこが、あなたがたの住む3次元空間なのです。
住むというよりは、あなたがた“個人”が“感じている”と言った
ほうが良いでしょう。
その3次元の空間を表す座標において、未来、現在、過去を
選択していきます。
同時に選択することも可能なのですが、普通は一つを
選択しています。
また、そこにある軸は、これはベクトルと言っても良いのですが、
力の向きを表すのではなく、作用そのものを表現しています。
よって、あらゆる方向に向くことができるのです。
昔を思い出すとき、あなたはその“昔”の地点へ向けての
ベクトルを放ち、その反射を受け取ります。
それが過去の回想です。
これだけでは、決して過去を実際に“体験”していることには
なりません。
そうするには、またもう一つの作用が必要となります。
移動です。
座標上で実際に移動するには、その位置を正確に知る必要が
あります。それから、そこに合わせて飛びます。
この方法を使えば、未来へも簡単に行けます。」
未来は可能性であって、まだ存在していないのでは?
「計算上では、存在しています。
だから、それを実際に体験することは可能なのです。
しかしそれを現在を通過して過去に持って行くことはまだ
この段階では出来ない、ということで、可能性として
存在している、ということになります。」
つまり、たくさんの未来の可能性(=たくさんの計算式)が
存在していて、そのうちの一つのまだ確定されていない未来
を訪れることはできる、ということですね。
「そういうことです。」
この、時空を超えた旅そのものが、私たちの素晴らしい未来
なのですか?
「そうです。そういうことです。」
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2017年1月27日 23:00頃(フランス時間)に書き出したものです。
私は今週、ちょっと理由あって座標や数学用語と戯れています。
子どもの頃から算数・数学が苦手で、高校の頃には赤点取って補習も受けたくらいな私が、なんの因果か…苦手な数学に触れることに。
今日は、ちょっと気になった「虚数」を調べていたので、通信もその影響が出てます。
今さら数学を学ぼうと思っているわけではなくて、数学的な感覚(考え方)というか体感?が、宇宙の仕組みを理解するのに役立ちそうな気がして、なんとな~くやってみてるだけです。
今回の通信、出してる最中には「あ~、なんかわかるような…」と思いながら書いてたんですが。
読み直してみたら、ハッキリとは分からない箇所がいくつもありますね。。。
たとえば2次元に置き換えて考えたとします。
x軸とy軸でグラフを作り、そこに任意で置いた点が、いわゆる現在とか過去とか未来とか言われる「情報」もしくは「場所」という感じです。
それが無数にグラフ上にあり、現在とか未来とか区別されて感じられている。
そんな感じの話です。
後半部分は、これはタイムトラベルみたいな話ですよね…。
「人生」ではなく、「グラフ上の点(=情報)」だと考えてしまえば、この点(現在)からあの点(未来)へ移動するには、移動に必要な計算式を使ったら良いだけなのです。
その計算のための公式を知っている人にとっては、移動は難しいことでは無いのだと思います。
マークさんの言う「素晴らしい未来」というのは、私たち地球の人間が、時間の流れは一方向であるという固定された概念から解放されることを意味しているのではと思いました。
今日は一日こんなことを考えていたので、なんだか頭がパンクしそうです。。。(^_^;)