秋の夜長如何お過ごしでしょうか?テーマ『大名跡』を考えてみました。
六代目圓生継承の話をするまでもなく、『圓生』の名前は遺族の物なので、名跡は勿論、宇野信夫作品の権利もだと思います。
だから、六代目圓生の型だからって『文七元結』や『死神』をやるのに圓生のご遺族の許可は頂かないが、『江戸の夢』はそうはいかない。
立川志の輔師匠は、やる前に遺族に仁義を切って、多分、菓子折りを持って、寸志の銭を御祝儀袋に包みご挨拶をしてから高座に掛けているハズである。
その昔から、名跡はお金になるので、ヤクザもんの利権だった。興業主がヤクザだから当然で、ヤクザ者は貧乏芸人の面倒を能くみる。
理由は、大名跡をその芸人が継ぐ可能性があるからだ。先に恩を売り、襲名披露興業で後にガッポリ儲ける算段のヤクザからしたら先行投資だ。
明治から昭和初期、講釈師と浪曲師の殆どが、ヤクザ者に飼われて居た。なぜなら、講釈師や浪曲師は一門の単位が狭く、講釈師同士、浪曲師同士、すこぶる仲が悪い。
だから、協会とか組合を作らない。コレには理由がある。講釈師、浪曲師は、二十話、三十話は当たり前の続き物を寄席で掛ける。
三十日が一単位、いやいや長い興業になると九十日が一単位だ。そこに、一番人気の興業となる人気噺を、みんなが同時に掛けたら寄席が成り立たない。
寄席はご近所さんの小屋の集まりだ、一斉に、『忠臣蔵』や『清水次郎長傳』をやったら、客の奪い合いになり、儲るハズの興業が台無しになる。
そこで、興業師が暗躍し、掛ける根多を調整するし、又演者も咄家みたいに、矢鱈と誰彼なく根多は教えない。『清水次郎長傳』は神田派の伯山一門にしか伝承されないみたいなぁ〜。
『寛永三馬術』は宝井馬琴一門のお家芸だ!『天保六花撰』は一龍斎貞山一門の専売だ!とか、大島伯鶴グループの様な不思議な寄せ集めも存在した。
一つの続き物が十話以上、長い噺は五十話以上あるから、二十タイトルくらいが覚えるのが限界。端モノと呼ばれる一話完結物も五十から百は持つ事になり、
連続モノは派閥内だけに継承され、端モノはある程度、派閥横断的に伝わる落語と同じ扱いになる。だから興業師=ヤクザは商売になりそうな噺を覚えている芸人に目を付けて先行投資する。
そして真打格となり、師匠の名前・大名跡を継がせて貰えそうになると、盛大な襲名披露となるのですがコレが思惑ハズレになると大問題、大事件に発展するのです。
そうです!その最たる事件がご存知、「五代小さん襲名事件」です。詳しくは省略しますが、小さんの名跡を自身が襲名すると信じていた蝶花楼馬楽(稲荷町の正蔵)が、
黒門町の文楽から「小さんは小三治(目白の小さん)に継がせる。」と宣言され、どうしても小さんを継ぎたい!小さんに成りたい馬楽は、世話人である上野のドン山春にコレを相談する。
山春は「何んて事をしてくれとんねん!」と、落語協会は蜂の巣状態の大騒ぎになる。山春と黒門町が話合いの末に、落とした結論が青天の霹靂。
小三治を小さん襲名させ、一方で、蝶花楼馬楽は同年に八代林家正蔵を襲名させると言うのである。黒門町は山春に「小さんでは叶わぬ襲名披露だが、どうぞ!正蔵で存分におやり下さい。」
そんな落とし所なのだが林家に全く無縁、七代目正蔵三平の父の死から一周忌も済まぬうちに、文楽は剛腕を見せて山春に殺されない為か馬楽を正蔵にする。
コレは落語協会に対する甚大な貸しを三平は造ります。東宝名人会所属だったが父七代目正蔵が亡くなり、当初は芸協への移籍入会を模索したが、空きがないと断られた為、
七代目圓蔵に入門し、落語協会で前座からやり直している最中、この『正蔵の名跡を貸して?』と会長文楽に言われたら渡りに船で二つ目に直ぐなるのです。
七代目林家正蔵、初代三平の父は、小三治からの正蔵なのだが、コレは実に複雑な経緯で、落語協会からの難癖に近い抗議、「小三治が二人居るのはおかしい!」と言われて、小三治を落語協会、柳家に返す形で、正蔵襲名に至る。
師匠である初代柳家三語楼が、落語協会(当時は東京落語協会)から脱退したからそれに従って、東宝に在籍したのに、小三治を返せ!は酷いし、その代わりに、林家正蔵を貰うのも…猫の仔じゃないよ。
この様に大名跡が興業主にとっては、大切な飯の種だと分かったかと思いますが、高度成長期を迎えて、寄席からラジオ、テレビに咄家の収入源が移り、ホール落語が定着すると、寄席の衰退が始まります。
そして、落語協会も落語芸術協会も、必死で寄席を守りはするが、どんどん寄席からは席亭と協会だけを残して、興業師は離れてしまい、ヤクザの影も消え失せます。
それから、五十年が過ぎて令和の現在。大名跡は使い道が薄れて、当の咄家、講釈師、浪曲師自身が、あまり魅力を感じていない様子で、近年だと松之丞の伯山くらいです、大名跡を継ぎたい!継ぎたい!と、吠えていたの。
六代目圓生のあとの『圓生襲名騒動』は、五代目圓楽一門と圓丈一門の茶番劇に近いエンターテイメントでしたし、志ん生襲名の静かな動き、鈴本の席亭は菊之丞さん推しですが…、一門の小姑は許さない。
さて、ヤクザ者の興業師が昔は権利で暗躍した大名跡ですが、今は誰が持っているのか?!コレが意外と知られていなくて、だから、留名になり易い原因なのですが…。
基本は、最後に名跡を名乗って居た芸人を、最終的にお世話して、看取って葬式を出して、寺での供養、◯◯回忌とかを仕切っている方が権利を主張されています。
しかし、それが余りに大名跡で、巨大な一門が形成されていると、親族では維持管理出来ないので、芸能事務所や、お席亭が持ち管理しているケースも有ります。
有名な例は、笑福亭松鶴などは松竹が管理していますし、桂米朝も米朝事務所さん案件だと思いますし、圓生騒動を見て古今亭志ん生、志ん朝は鈴本演芸場の席亭預かりです。
故に小三治、小さん、正蔵、圓生なども、早く世襲色を感じない名跡管理団体、NPO法人か?文化庁の外郭団体の特殊法人で管理して欲しい。
芸人や、その親族、興業師のヤクザ、元ヤクザが持っているよりは、よっぽどましに感じますが、皆さんの考えが知りたいです。
さて、立川談志の親族、舎弟、息子、娘の談志利用とか、脇で見ている人は、よく耐えてますよね。故人は何も言わないからね。
あの、平治の文治師匠が、文治を襲名するのにも、未亡人にウン十万円払ったと本人が語っていますから、未だに大名跡には流石に、命は取られないが、銭が発生します。
ここからは、下衆の勘繰りですが、人間国宝の松鯉先生は、小山陽から伯山になる噺が有ったらしいのですがコレを断念し、隠居名とされる松鯉を襲名し、この名前を大きくされています。
ただ、松之丞は襲名出来て、松鯉先生には出来ない何か?それは銭ですよね。襲名には保有者に三千万円要ると言われても、松之丞の伯山先生なら、右から左にポン!と、出せますもんね。
兎に角、講師の名跡は、エッ!て思う連中が持っています。山春と一緒とまでは申しませんが、かなり複雑且つダーティーです。神田山陽の様に、無駄に三代が持って離さない特殊な例も有りますが…。
一方で、ややこしい人に持たれた為に、留まる大名跡も問題ですが、ポンコツが大名跡を継いでしまうのは、更に大問題だと感じます。
だからと言って、袴にソフトクリームを入れて嫌がらせする前に、襲名のルールを、そろそろ、明確にすべきだと、私は思います。
因みに、一番最近の例では、小辰くんの入船亭扇橋襲名はギリ許しますが、扇橋なんだからタコの子の唄を寄席で歌うべきです、扇辰師匠並みに。