落語や講釈でやる際は『深見新五郎』として演じられて一話完結で二つにはしない。ただ、朗読で聴くと全く端折ったり、編集して丸めたりが一切無いから、ダレ場でも実に圓朝全集を忠実に読んで下さるのが嬉しい。


 松倉町の捕物 後篇 https://youtu.be/Yk7NX4jIubI


深見新五郎がお園に懸想して、好いて!好いて!好きになる余り、若い二人に間違いが起きるのであるが、普通、咄家や講釈師が演じる場合は割愛し、軽く取り上げるだけの、

因縁と因果に付いての部分や、圓朝の幽霊画のコレクションの噺は、全生庵の圓朝祭ではない限り咄家は殆ど語らない。

尚、圓朝の幽霊画コレクションは、現在は菩提寺でもある全生庵が所蔵していて、時々一般公開するので、私は三十作品くらいですが、おどろおどろしい応挙の幽霊画の二番煎じ的コレクションを見ています。


さて、朗読は朗読で良い部分が在りますよねぇ、そこをやはり愚直に原作通りにダレ場関係なく読んでくれるのは、実に朗読ならではで、本当に嬉しくなります。

最後に本編も描写が原作に忠実な分、現代の咄家や講釈師には無い、圓朝の幕末・明治のテーストが感じられて、新鮮な感動を覚えます。

さぁ、次回はいよいよ『豊志賀の死』となる怪談『真景累ヶ淵』の前半のクライマックスで、一番有名な部分と成ります。