落語や講釈でやる際は『深見新五郎』として演じられて一話完結で二つにはしない。ただ、朗読で聴くと全く端折ったり、編集して丸めたりが一切無いから、ダレ場でも実に圓朝全集を忠実に読んで下さるのが嬉しい。


 松倉町の捕物 前篇 https://youtu.be/UWjYInTB5gE


兎に角、深見新五郎の父親、旗本の深見新左衛門が妾女を拵えて、宗悦の亡霊に惑わされてご内儀を殺し、更には芝居でも有名な、座光寺源三郎とおこよの法度を破って結ばれた悲劇!

芝居で謂います所の『夢結蝶鳥追(ゆめむすぶちょうにとりおい)この下りが原作通りに朗読される辺りは、講釈や落語とは一味違います。


また、「一陽来復」と来ると講釈師や咄家であると、必ずと言って宜いほど「新玉の春」が来ましてと続けるのが反射的な常套句ですが、原作に忠実な朗読らしく「春」とだけ申されて余計な修飾語は付きません。

個人的には、こう謂う所が嬉しくなりますね。端折らず、余計な詞を付け足さず、個性を殺して黒子に徹するような所が魅力で御座います。


梶井主膳とう易者が座光寺源三郎とおこよの縁結びに手を貸していて、結局、公儀の御用で源三郎宅を見張っていた旗本・深見新左衛門は、この梶井主膳一味の手により殺害され、お家は断絶します。

そして、ここが後々の話の遠因になるのが、深見新左衛門に関係する二人、妾女のお熊!此れは女子を孕って居て後に出産致します。もう一人は下男の勘蔵。この男は新左衛門の幼い次男、新吉を連れて深見家を跡に致します。


そして、宗悦殺しの段階で家を飛び出した深見新五郎と謂う新左衛門の長男が、北関東を放浪しますが結局、下総の親戚三右衛門宅に居候致します。

併し、田舎暮らしに馴染みの無い新五郎は、三右衛門の家の暮らしに退屈し、江戸表が恋しくなり父親、深見新左衛門に詫を入れて江戸に戻る算段を致します。

ところが、江戸表に帰ってみると我が家は『座光寺源三郎とおこよ』の一件で改易になり存在しませんから、途方に暮れる新五郎。

仕方なく菩提所、旦那寺の清勝院へと出向き改易の仔細を聴くと父はお勤めの最中に突き殺され、母親はその父が斬り殺したと知る。

もう、夢も希望も失った新五郎は菩提寺の先祖の墓の前で切腹しようと決意しますが、其処に清勝院の檀家、谷中七面前町の質屋、下総屋惣兵衛と謂う人が墓参りに来て、新五郎の切腹を止めて下総屋で働くように説得します。


ところが、此の下総屋には何の因果か、宗悦の次女、おそのが先に働いており、其処へ父の仇、深見新左衛門の実子、新五郎が現れて一つ屋根の下で同じ奉公人として住み込む事と相成ります。

そして、新五郎が知らぬうちにおそのに懸想するのですが、おそのは新五郎を何故か?生理的に厭な様で、新五郎を側にも近寄らせないのですが、片想いが募る新五郎はもう気が狂わんばかりにおそのへの愛が爆発します。

或日、おそのが病に掛かり床に寝た切りとなると、新五郎は献身的に其の看病をするのですが、おそのは益々、新五郎が気味悪くなり二人の仲はなかなか上手く行きません。

新五郎は、おそのに別れを告げて、何処か遠くで死にます!と宣言すれば、おそのは振り向いて呉れるかも?と、淡い期待で告白しますが、死ね程新五郎が嫌いなおそのからは、期待した答えは返って来ません。

益々、こじれる二人の仲で、此の前編は終了となりますが、次回後編は二人の仲が怪談じみた悲劇に向かうと謂う噺に成るのですが、続きは次回のお楽しみと相成ります。