咄家・柳家小三治(本名・郡山剛蔵)師匠が七日、心不全のため亡くなっていたことが10日、分かった。81歳だった。
私が、最後に柳家小三治を見たのは、池袋演芸場の昼の部・主任、『長短』が最後の演目となりました。
私は、矢鱈と細かく緻密な落語をやっていた四十代までの小三治は、聴いては居ましたが好きではありませんでした。
それが。。。扇橋師匠が、高座で歌うようになった辺りから、その芸にインスパイアされて、小三治の芸が、適当でアドリブに富む様になり、エモ言えぬ魅力溢れて参りました。
そして、NHKのプロフェッショナルで特集された辺りから、真夏の八月、池袋の昼のトリの興業が有名になり、
私も2006年辺りから毎年、毎度、朝七時ぐらいから炎天下の池袋に並ぶようになりました。
正月は鈴本、ゴールデンウィークは浅草、真夏の八月が池袋で、十一月には末廣と、小三治の寄席のトリ興業はどこも超満員になる。
そして、
落語協会の会長となり、春風亭一之輔を二十一人抜きで抜擢真打にし、翌年には、古今亭志ん陽と古今亭文菊の二人も抜擢真打となる。
そして、協会会長就任直後に人間国宝となり、名実共に『名人』の仲間入りである。
さて、小三治と言えば、代表的な演目を思い出す前に、やはりマクラの語りです。
私は、伝説のようなマクラと言うかぁ、高座を幾つか目にしておりますが、その中でも忘れられない高座が三つ有ります。
一番目は、横浜の『県民寄席』。ごらく茶屋の濱永さんの会での高座。
天皇の御幸と天皇制の噺のマクラで、スイッチが入り、マクラを一時間。
その後、『御慶』を一時間やり神奈川県民ホールの定時を過ぎて慌てて撤収となったのである。
次は、2011年のサンパール荒川で、一席目のマクラでは半年前に起きた東日本大震災の話題でスイッチが入り、えらく長いマクラから、『お化け長屋』に入る。
すると、直後にマイクとPAの不調で声がスピーカーを通して出せなくなりしました。
すると、1,300人、超満員の巨大ホールで小三治師匠は、腹式で語り出し、一番最後列でもハッキリ聴こえる声で、
約二十五分、落語『お化け長屋』を腹式のマイク無しで語り切るのです。流石に、是には観客が驚き、割れんばかりの拍手喝采だったのですが。。。
この日、この後、仲入り後の二席目が始まると、マイクは復旧していたのですが、マイクの件で会場に貸しが在る小三治師匠。
「今日はマイクの件が有りましたから。」と、言って二席目の『馬の田楽』前にも、長いマクラを振り、一時間以上喋り続けて、結局、終演は22時15分位になりました。
そして、最後は、2018年八月の池袋演芸場の昼トリ二日目で、マクラでは、盟友・入船亭扇橋の思い出噺でスイッチが入りました。
夜の部に食い込む長いマクラから、『長短』を二十分やりました。夜のトリが正雀師匠だったけど、大変だったと思います。
もう、昭和最後の名人が亡くなり、落語界も、新しい時代へと突入致します。