久次が帰る前に、言い訳の準備に思案するお富で御座います。そして、返り血を浴びた自らの着物と帯は、ひとまず、天井裏へと隠して仕舞います。

明け六ツ前の七ツ半過ぎ、まだ、お天道様が昇る前に、與三郎は丸ノ内へ自訴して出ると、久次の家から出て行った事にし、

一方、小粒で十両持って来た熊十は、ハナから来なかったとシラを切り、熊十がその十両を持ってとんずらこいたと、騙す事に致します。


明け六ツを告げる増上寺の鐘が鳴り響き、豆腐や納豆やが、長屋の路地を往来し始めた頃、鮫洲の賭場から観音小僧久次が、我が家へと帰って参ります。

久次「お富!今、帰ったぞ。與三郎さんはまだ、居なさるかい?!おい、早く開けてくれよ!!お富。」

お富「ハイ、只今、開けますから。。。そう、ヤイのヤイの言わないで下さい。ささっ、開きました。」

久次「それで、與三さんは?!」

お富「それが、まだゆっくりと娑婆の名残を惜しむと宜いからって、アタイは言ったんだけど、與三さん、どうしても行くって。。。ズルズル娑婆に居ると、未練が残るからって、半刻くらい前に出て行きましたよ。」

久次「丸ノ内へ自訴しに行ったか?!」

お富「恐らく。」

久次「鮫洲の鐵ん賭場で、まだあと二、三日勝負しようか?!とも、思ったんだが、何んか昨日の與三さんの様子が気になってなぁ〜。

それで、最後に顔を見て挨拶したくなって、我慢出来ず、鮫洲からスッ飛んで来たんだが、逢えなかったかぁ〜、残念!!」

お富「どうします親分、一本つけます?!」

久次「そうだなぁ、気が昂ぶって居るから、熱い奴で貰いたいなぁ!!魚勝の刺身は、まだ在るか?!赤身だけ?其れにしても、よく食ったなぁ〜。。。鯛の吸い物がある!!ヨシ、だったら二本つけろ!赤身と吸い物でやる。」


久次は、酒をちびりちびりやりながは、マグロの赤身を摘んで居ると、ふと、熊十を我が家へ使いに出した事を思い出します。

久次「そうだ!お富、熊十が昨晩来た筈だが、野郎、小粒で十両!ちゃんと届けに来たかぁ?!」

お富「熊さんがぁ?!ウチに?来ないよぉ!!」

久次「来ないって。。。野郎、やりやがったなぁ〜、十両猫糞(ネコババ)して逃げやがったなぁ?!小粒じゃないと、與三さんが、牢で使うに困るからと、わざやざ、崩して持たせたのが、アダに成ったかぁ?!

野郎、鮫洲の賭場に戻って来ないから、変だなぁ〜とは、思ったんだ。二十年も俺が可愛がってやったのに、何んて野郎だ!!見付けたら、だだじゃ置かないぞ!!」

お富「本当、飼い犬に手を噛まれるとは、此の事ったねぇ〜。でも、お前さんも少しいけないよ、十両何んて大金を、熊十如きに見せるから、だから起きた間違いでもあるからねぇ〜。」

久次「與三さん!たっぷりツルを握って牢へは入ったかな?!少し心配だぜぇ〜。」

お富「大丈夫、其処は島帰りだから抜かりは無いよぉ〜。心配しなさんなぁ。」


そうお富に言い含められて、久次は二階で仮眠を致します。すると、仰向けに寝て、何気なく天井の木目を見ていると、廊下側の天井板に、血が滲んだ様なシミが在るのに気付きます。

久次「お富!ちょっと来てくれ?!二階に!」

お富「ハイ、お前さん、何の用だい?」

久次「あそこ、見てみろ!?天井、アレは血だよなぁ?!何の血だぁ?!」

お富「アレかい。。。アレは、大家が飼っている猫が、ネズミを取るからだぁよぉ!ネズミの血だわぁ、きっと。」

久次「そうかぁ〜、アレはネズミの血かぁ〜。大家ん所の猫じゃ、文句も言えねぇ〜なぁ。」

お富「それに、ネズミを取るのが、猫の仕事だからねぇ〜」

何とか誤魔化したお富であったが、久次は、少しふに落ちぬ表情で、布団から起きて莨をキセルに詰めながら、ボーッと考え事をしているのか?!火を点けるでなく、キセルを持ったまんま、佇んで居た。


其処へ、家の裏木戸を激しく叩く奴が現れる。『誰だ?!こんな朝っパラから。。。けたたましい野郎が現れた?!』そう感じてやや不機嫌になる久次であった。

久次「お富!開けてないのかぁ?!下が騒がしいぞ?!誰が来やがった?!」

お富「お前さんが、戸締りはきっちりしろと言うから、まだ玄関戸は閉めたまんまだし、雨戸も閉め切ってあるから。。。誰だろうねぇ〜、こんな朝早くに。。。アラぁ!親分。」

お富が裏木戸を開けると、其処には安兵衛と松五郎と言う二人の岡っ引が立っていた。

お富「安さんに、松の旦那。今日はお揃いで、何ですか?!こんな朝っぱらから?!」

松五郎「朝、自身番に行ったら、もう八丁堀の青木の旦那が来ていて、何でも本宿の偉いお役人からのお声係りらしい。久次は居るかい?!」

お富「へぇ居ますよ、まだ布団の中ですが。」

松五郎「御用の筋だ!青木の旦那の御用だって言って、此処へ連れて来てくれ!!」


呼ばれて、まだ眠くて気怠い感じの久次が、ハシゴを降りて参りますと、其処に松五郎と安兵衛がおりますから、少し驚いた表情に変わります。

久次「是は是は、大門下の親分!今日は何んの御用で御座いましょうか?!」

松五郎「俺もまだ詳しい事は聞いてないんだが、どうやら殺しらしい。兎に角、ご足労だが、番屋まで来てくれ!青木の旦那がお待ちだ。」

久次「へぇ!参りますが、流石に、この格好では出られませんから、着替えて参りやす。跡から追い掛けて参りヤスから、先に行ってて下さい。」


そう言って久次は、松五郎と安兵衛を先に帰して、動き易そうか海老茶色の木綿の袷に、唐桟の羽織を着て、素足に下駄履きで、二人の跡を追い掛けて参ります。

何とか、番屋の二丁程手前で追い付いて、少し息を切らせて、待っている青木三平太の元へと駆け付けました。


久次「青木様、ご無沙汰しております。早速ですが、殺しだと親分かはお聞きしましたが、アッシに何か関係が御座いますか?!」

青木「いやぁ、そんなに畏まらずに頼む。観音小僧の久次は、品川宿じゃぁ〜、大した顔だ。お前の持っている情報と人脈で、是非、力を貸して欲しい。本当に!この通りだ。」

青木三平太は、北町の地廻りの同心の中では、三本の指に入る存在で、久次が堅気として暮らして行けるのも、青木の口添えが有ったからなのである。その青木が頭を下げるので、久次は恐縮した。

久次「旦那!止めて下さい。聞こうじゃありませんか?!どんな事件で、誰が殺されたんです?!」

青木「事の発端は、妙圓寺の裏山に住んでいる乞食坊主、願人坊主の二人組が、酔っ払って夜中に揃って同じ夢を見た。其れが始まりだ。

その夢には、大きな葛籠を背負った男と、鍬を抱えた女の二人連れが、その宝物が詰まった大きな葛籠を、裏山の麓の沼地『万年溜め』に埋めると言うモノなんだ。

それが、奇妙な事に、二人揃って同じ夢を見たもんだから、行って葛籠を掘り起こしてみよう!!って事になったんだ。

そして地びたを掘り起こしたら、くだんの葛籠が出て、ただしそん中からは、宝物どころか、布団に包まれた死体が出て来た。驚いた二人が、妙圓寺の住職に相談したもんで、

先ずは、寺社方にこの件が訴え出られたが、

寺社奉行を通して、今月の月番の北町に、この件が直ぐ持ち込まれて、本宿の与力、近藤主水丞様がお奉行直々に、この件を任せられたもんで、俺ん所に、お鉢が廻って来たって、そんな訳なんだよ。」

久次「でぇ、その葛籠から出た死体ってのは、誰なんですか?!」

青木「其れが、聞いて驚くなぁ?!。つい先月、佐渡金山から島破りをして逃げていた、あの斬られ與三、元横山町三丁目、鼈甲問屋の若旦那で、與三郎!その野郎の成れの果てよ。」


青木三平太からそう聞いた久次は、ドキッとして口から心の臓が飛び出すくらいに驚いたが、それを顔には出さずに、青木の話を聞いた。

青木「其れでだ、その野郎、斬られ與三が包まれていた布団。此奴が、損料の貸し布団なんだ。しかも、ここいらから品川では有名な損料屋、千歳屋の貸し布団だ。」

松五郎「久次!確か貴様ん家も、千歳屋だよなぁ?!」

久次「へい、左様でぇ。兎に角、その斬られ與三の死体と、葛籠と布団を、アッシにも、見せちゃ貰えませんかぁ?!」

青木「いいだろう、松五郎!安兵衛!久次に見せてやれ!仏さん、それに布団と葛籠を。」


葛籠と布団を見た瞬間、ウチの物だ!と、久次はピン!と、来ます。更に、久次は與三郎の死体をよーく見ると、刀で突かれた様な大きな傷が胸に在り、この傷が致命傷だと直ぐ分かりますから、是はお富の仕業に違いない!と思います。

また、あの天井から垂れていた血も、ネズミなんかじゃなく、與三郎の物に違いない!と、気付きますから、是はもう確信です。

更に、そう推理すると、お富が言う『熊十は来なかった』と言うのも、実は偽りで、熊十とお富で万年溜めに埋めたに違いない!それを願人坊主に見られたんだ!と、思います。

悪い酒に酔っ払って見たもんだから、夢なんぞと思った二人、現実に見ているんだろうと、久次は推量致します。


久次「青木の旦那。アッシには下手人が分かりましたぜ!」

青木「誰だ?!其れは?!」

久次「其れは、アッシの女房のお富です。実は


久次は、自身が牢名主時代に、與三郎とは簡単な面識があり、柳橋町役で家主の萬兵衛から頼まれて、佐渡へ島送りにされる際には、観音小僧の名で紹介状を書いてやった間柄だと話します。

また、この斬られ與三と、久次の今の女房・お富は、七年前に上総の國木更津で出逢い恋仲だった事、当時お富は赤馬源左衛門という長脇差の女房で、姦通(まおとこ)がバレて、赤馬から與三郎は三十四ヶ所ものキズを負った事。

お富は、一旦、木更津の海に身投げして死にかけたが、通り掛かった船に助けられて、江戸で囲われ妾になり、そん時偶然與三郎と再会し、また、一時は夫婦に戻ったけれど。。。

堅気の暮らしには馴染めず、博打、強請り、たかり、挙句には殺しまでするならず者となり、結局、與三郎は『無宿人狩り』で、佐渡へ島流しに、お富は奴女郎に売られてしまった事まで、全てを久次は青木三平太に話しました。


青木「分かった!其れでお富は?」

久次「家に居ると思いますが、アッシが番屋へ呼び出されたんで、勘のいい女だから、直ぐに逃げる算段をしているかもしれません。早く行った方が。。。」

青木「ヨシ!其れなら、足の速い安兵衛に行かせよう。安!直ぐにお富を捕まえて来い!いいかぁ?お富は、美人な上に、横櫛お富と二つ名で呼ばれている、強かな女だから、鼻の下を伸ばしてたら、お富にたぶらかされるからなぁ?!」

安兵衛「分かってますよ、信用無いなぁ〜、オイラ。」

松五郎「いいから、安!直ぐに久次ん家に飛べ!!」

安兵衛「ガッテンだ!!」


こうして、お富の與三郎殺害は、あっけなく露見し、直ぐに、奉行所からの追っ手が掛かった。さて、いよいよ次回は大団円、『お富召し捕り』のお白洲へと展開致します。



つづく