赤馬源左衛門の大刀で、與三郎の胸を突いて殺した横櫛お富、『與三さん!お前一人をあの世へ行かせはしないよ。アタイも時期にこの命を散らして、あの世へお伴させて貰うからねぇ!!
だけど、久次親分に、書置の一つも残して死なないと、あんだけ目を掛けて、優しくして下さった親分に対して、面目が立たないから。』
そう思ったお富は、行燈に再び油を差して火を灯し紙と硯を出して、何やら認め始めます。すると丁度その時、裏口の木戸を叩く音が致します。
男「ちょっと姐さん!お富さん、此処を開けて下さい!ちょっと姐御?!」
誰だろう?!そう思ったお富が、二階のハシゴ口から下を覗いて見ますと、其処に居たのは、久次の古い子分の熊十で御座います。
熊十「熊十で御座います。」
お富「おや?!熊さん、かい?!」
熊十「姐御!お手間は取らせません。親分から銭を渡す様に、使いを頼まれまして、此処に十両有ります。田舎から知り合いがお泊まりとかで、この銭で、浅草見物にでも行く様にと仰っておりました。」
お富「今、開けてやるよ!ちょいとお待ち。」
障子戸を開けてハシゴを降りたお富は、裏木戸の芯張りを外してやると、其処に三十五、六に成る賭場の使い走りを生業にしている熊十ってろくでなしが立っております。
お富「ご苦労様だねぇ、熊さん。」
熊十「親分が、この十両を姐御に渡す様にと、申し使って参りやした。」
お富「何んだいこの十両は?!」
熊十「何んでも、田舎から来ている江戸見物の客人に渡してやれ!との事って。」
渡された巾着袋には、小粒でばかり十両の銭が詰まっております。
お富「ほう、そうかえ。」
熊十「何んでも、そのお客人が、丸ノ内のお屋敷に行きなさるに付いちゃぁ〜、銭が物を言うとかで、渡してやれ!と、仰っていましたよ。」
お富「そうかえ、分かりました。テモ親切な
観音親分。それ程までにアカの他人の事を。」
熊十「へぇ。」
お富「それ程までに、男を磨きなさる御人は、表面(うわべ)ばかりでなく、実が無くちゃぁ行かないねぇ〜」
熊十「さいで御座います。」
お富「一寸、熊さん!お前に用があるから、其処を閉めて、上へ上がっておくれ!?後生だからさぁ?!」
熊十「いやぁ〜、親分からは大切な客人が居なさるから、長居はするな!!野暮になるから、直ぐ戻れ!?って言われて来たんで、直ぐ帰らねぇ〜と、アッシが叱られます。」
お富「いいから、ホラ!上がっておくれぇ!?」
熊十「いやぁ〜、そんな手を握って引っ張ったりされると、姐さんのその白魚みたいな細い柔らかい手で、触られると妙な心持ちになる!!止めて下せぇ〜。」
お富「なぁ〜に。アタイみたいなぁ、お婆ちゃんに。。。世辞言うんじゃないよ!!熊さん。」
熊十「世辞じゃありやせん!姐さんは、老婆さんなんかじゃねぇ〜、結構なもんで御座ぇ〜やす。」
お富「そうかい!そんなら、客人の食べ残し呑み残しがあるから、上がって行きなよ?!」
熊十「そいつは、有難てぇ〜が、客人は寝ちまったかい?!」
お富「あぁ、白川夜船を通り越して、起きて来る気遣いは無いから、心配要らないよ!早く、熊さん!上がりなよ。」
熊十「それじゃぁ、お言葉に甘えて。。。上がらして貰います。」
お富は、取り敢えず熊十を家に上げて、與三郎の死骸の処理をさせようと、色仕掛けで、是から迫ります。硯を出した心持ちは、何処へ行ったのやら?!
熊十を二階の御膳の前に座らせて、魚勝自慢の刺身を振る舞いながら、野郎の太腿に手を置いて、やや鼻に掛かる尻上の言葉使いで、酒を酌しながら、熊十を懐柔に掛かります。
お富「旦那が硬くて、優し過ぎるのも、考えモンだよねぇ〜。」
熊十「硬過ぎる!優し過ぎる!って事は、ねぇ〜べぇ?!親分はいい人だからぁ〜。」
お富「先ず、真面目だよ久次って人は。牢屋に入れられて、牢名主まで張った親分だから、もっと柔らかいかと思っていたが、まぁ〜硬い。コチコチ、石部賢吉だよ。
そして、外面が良くて誰にでも優しい。だから、変な虫が付かないか!?大年増のアタイは心配で心配で、若い娘っ子に観音の親分を取られやしないかと、本に気が気じゃ無いさぁ!!」
熊十「そんなもんかねぇ?!何んとも贅沢な悩みだなぁ〜。旦那が男前で優し過ぎるってかぁ?!オラには縁の無ぇ〜噺だぁ。」
お富「だから、アタイは熊さんみたいに、三枚目で、噺が面白くて悪い虫の心配の要らない人を、近頃じゃ〜、旦那に持ちたいモンだと願うだけど。。。熊さんも、お婆チャンより若いのが好みよねぇ〜。」
熊十「そたら事はねぇ〜、お富姐さんくらい美人なら、三十過ぎてもオラは大好きだぁ〜。若いだけで、オカメみたいな奴よりはお富さんの方が百倍よかんべぇ〜!」
お富「世辞でも、嬉しいよ。ささっ、こんなお婆チャンの酌では、美味くなかろうが、御一つ御一つ、グイッとやって頂戴!!熊さん。」
熊十「姐さんは奨め上手だから、オイラ酔っ払っちまうでねぇ〜かぁ。」
熊十が、いよいよ呂律が廻らなくなって、真っ赤なタコみたいな顔をして、目尻がタレて、鼻の下は伸びて参ります。
お富も、まんざらでもないフリをして、身体を触りながら酌をして、遂には、熊十がお富の太腿を撫でて来る。是を受けて更に股を開くお富。
そして、遂には接吻までして、熊十を完全に虜にしてしまいます。ただ、乳を触らせまでは許しますが、最後の一線だけはお預けにさせて、與三郎の死体の始末に付いて、此処で切り出すのです。
お富「蚊帳ん中を、見てご覧、熊さん。」
熊十「蚊帳ん中?!」
熊十は、もう冬なのに吊られている蚊帳を不思議に思いながら、中を覗き込むと、布団に血溜まりが出来ていて、男がうつ伏せにツッ伏して死んで居るのが見える。
男は、キズだらけの面体で不気味な死様だ!思わず、「うわぁ〜ッ!!」と叫び声を上げてしまう熊十に向かって、落ち着いた口調で、お富は説得を始める。
お富「アレは、アタイの先の亭主でね。所謂、腐れ縁ッて奴で、房州上総は木更津で知り合った仲なんだけど、アタイには長脇差の亭主が居る所に、この野郎が姦通(間男)しやがって、
それが亭主にバレて、このザマだよ。寸刻みにナマスにされて、受けたキズは三十四ヶ所!!今業平の色男が、二目と見られぬ化け物に成っちまった。
でもねぇ〜アタイが半分は悪いからと、アタイもこの野郎に影になり、日向になりと、尽くして来たけど、結局、博打と強請、挙げ句の果てには人殺し!!
公儀の『無宿人狩り』で、アタイは吉原へ奴女郎に売られ、この野郎は佐渡金山送りになった。だから、アタイはもう二度と逢えないつもりで居たんだが、こいつ、渋太い野郎だよ!!
島を抜けて娑婆に戻って来て、途中、武蔵は大宮の松林で、アタイの最初の旦那、木更津の長脇差が、流れ流れて大宮で、
寺で開帳している賭場に行く所を、仇討ち気取りで襲って、大枚四十五両の金子を奪って江戸に逃げて来たって訳なんだよ。」
熊十「それでぇ?!姐御は、その四十五両に目が眩んで、やちまったんですか?!」
お富「違うよ!野郎がタダくれたんだ。」
熊十「嘘言っちゃいけねぇ〜よ、姐さん。いくらお人好しでも、タダで銭は渡さないよ?!」
お富「この人、公儀に自訴して出て罪を償うと言い出して、牢屋に入るから、銭は、ちょっと、ツルの分だけ有ればと言ってくれたんだよ、嘘じゃないよ。」
熊十「そんじゃぁ〜、なぜ、殺したんだい?!姐さん!!」
お富「この人、元は横山町の鼈甲問屋の若旦那でねぇ。牢屋や苦役に耐えられる人じゃないのさぁ。其れに奉行所に行って、石だ!水だ!瓢箪だ!って責められたら、ポロッと昔の悪事を話さないとも限らない。
だから、お互いの為だと思うから、アタイの手であの世へ旅立たせてやったんだ。親切からした事なんだ。本当だよ!!」
熊十「それじゃぁ〜、姐さんは、四十五両と、さっきの十両で、五十五両もの銭を持って居なさる?!此奴は豪気なこった。」
お富「だから、熊さん?!久次の親分にバレない様に、この死体を始末して貰いたいんだ。もし始末してくれたら、さっきの十両と、アタイの体を、熊さんに差し出すからさぁ〜?!ねぇ〜、頼むよ、熊さん!」
そう言って熊十の手を自分の股座へと誘います。もう、熊十は酒の酔とお富の色香で、嫌とは言えない心持ちで、お富の言うがまま、與三郎の死体の始末に手を貸します。
熊十「其れで、この仏を何処へ捨てるつもりだぁ!?姐さん。」
お富「そうさねぇ、妙圓寺門前の裏山、あの麓に万年溜めの池が在るだろう?!あの沼地を掘って埋めるのはどうだろう!?この布団ごと、葛籠に乗せて運べば、夜になったら人通りは無いし大丈夫だよ。」
熊十「万年溜めかぁ〜、分かった。四ツの鐘が鳴ったら、出掛けんべぇ〜。」
お富は、赤馬源左衛門の脇差と金の刺繍の紙入れを押入れに隠し、布団で丸めた死体を葛籠へと押し込んで、其れを熊十に担がせ、
鍬の先に小田原提灯をぶら下げて、妙圓寺の方へと二人フラッカ!フラッカ!歩いて行きます。月は半月よりやや欠けた程度の月夜ですから、大して目立つ心配はなかろうと、提灯で足元を照らしながら、女の足でノロノロ進みます。
そして、漸く着いた先は、万年溜め!熊十に鍬で大きく深い穴を掘らせて、葛籠ごと與三郎の死体を其処へ埋めてしまいます。
このまんま半年もすれば、腐って骨になる。誰にも気付かれず始末出来ると思っております、お富で御座います。
お富「熊さん、有難う!ご苦労だったねぇ。帰ったら、又、一杯やって夜はまだまだ、長いから二人で楽しもうねぇ〜。今夜は寝かせてやらないよぉ〜。」
熊十「女は、おっかねぇ〜なぁ〜。」
お富「アッ、熊さん、其処の井戸で手を洗うからちょっと待って頂戴。」
熊十「俺が、水を汲んでやる。其処で待ってけろ、姐さん!!」
そう言って熊十が反釣瓶を握り、水を汲み上げようと井戸に半身で乗り上げた所を、お富が背後から息を殺して近付き、熊十の足を取って井戸へ突き落として仕舞います。
ドッボン!!
更に、上から漬物石くらいの大きな石を、井戸に投げ込んで、更に、万に一つも熊十が上がって来られない様に、鍬で釣瓶を切り、桶に石を詰めて井戸の中へと放り投げます。
井戸の中を除き込んで、小田原提灯で照らしながら、ほくそ笑みながら、背を向けて水に浮いている熊十へ「熊さん!ご苦労様」と最後に声を掛けた毒婦のお富。
来た道を一人、久次への言い訳と、其れらしい物語の絵図を考えて、何食わぬ顔をして、是まで通り観音小僧の女房を演じるつもりで居るお富で御座いますが、果たして、どうなりますやら!?さて、いよいよ、大団円間近!!
つづく