與三郎たち二十五人を乗せた軍鶏駕籠は、弥彦村を出ると、弥彦神社で佐渡までの航海の無事を祈願し、直江津へと向かいます。

そして、直江津で初めて駕籠から出されて、手枷足枷を嵌められて、二十五人が太い縄一本で一列に繋がれて乗船が許されるのです。

冬の日本海は、波は高く荒れ狂い、どんよりとした鉛色の雲が、是からの與三郎たち二十五人の運命を暗示しております。

船は直江津を出るなり、激しく上下して、木の葉の様に波間に呑まれて行きます。この時、與三郎は初めて、

だった十六里の航海の為に、役人がわざわざ長岡から弥彦神社を目指し、この航海の無事を祈願したかを思い知るのです。

そして、一刻半程で船は何とか無事に佐渡へと着き、直ぐに二十五人は点呼を取られて、他の囚人が待つ、大部屋(タコべや)へと移されるのです。


アさて、此処佐渡金山での囚人の仕事は、金堀職人ではなく、ただひたすら湧き出る地下水、此処ではこの地下水を『悪水』と呼び、忌み嫌い親の仇扱いで、

塩分を含む生暖かい悪水を、地獄の底から、地上へと毎日毎日休みなく汲み出して、金堀職人様が快適にお仕事が出来る様にする、環境造りが仕事で御座います。

ただし、與三郎は、ツルと観音小僧久次の紹介状を持っておりますから、地獄の底の作業は御座いません。

浅い所の水汲みを半日働くのと、食事の支度や、小屋廻りの掃除、はたまた、船で生活物資が偶に届くと是を運ぶなど、比較的軽労働の身体に優しい仕事に従事致しております。


さて此の佐渡金山、囚人たちを束ねているのが、罪人頭の二人、越後の國・長岡無宿の権十と、出羽の國・山形無宿の文吉です。

権十「與三郎さんとやら、久次の兄弟がえらくお前さんを手紙で褒めていたよ、『義侠!義侠!』ってね。新入りが、最初(ハナ)から楽な仕事に付くと、妬み嫉みから、意地悪されるから、気を付けなさいよ!」

與三郎「ヘイ、有難う御座んす。権十の頭、それに文吉の頭、此れは些少ですが、ツルで御座んす。」

文吉「悪いなぁ〜来て早々。その傷の様子じゃぁ〜、物凄い修羅場を、ドスや刀の下を、何度も何度も掻い潜り、命を賭けて勝負なすったんだろう?!」

権十「当たりめぇ〜よぉ〜、紹介状に書いてある。上総の國、木更津の大親分、赤馬源左衛門と代貸の海松杭ノ松蔵を、二人纏めて叩き斬った時に浴びた名誉の傷で、全身三十四箇所も、お有りなさるんだぜ。」

文吉「そいつは凄い!本格だ!!」

権十「あた棒よ、無職渡世の本場だぞ上総・下総は。銚子ノ五郎蔵、土浦ノ皆次を筆頭に、笹川ノ重蔵、飯岡ノ助五郎だ!更には、佐原ノ喜三郎、倉田屋文吉、そして勢力富五郎、夏目ノ新介に、清瀧ノ佐吉と綺羅星の如くだ!」

文吉「其れで、この斬られ與三の旦那が殺した二人はどの辺りに格付けされてんです?」

権十「洲崎ノ政吉よりはやや落ちるが、成田ノ勘蔵とどっこいくらいの侠客だぁ!!大したもんさ、本当なら俺やお前が頭を下りて、與三郎に頭を張って頂かねぇ〜とってお方だ!!馬鹿野郎。」

文吉「成田ノ勘蔵と同格の赤馬源左衛門をお斬りになったって事はだ、その上の洲崎ノ政吉や、清瀧ノ佐吉と同格か、もしかすると、勢力富五郎や倉田屋文吉と肩を並べる侠客なのかも知れないなぁ?!


そうなると、囚人連中(ここの奴ら)に、失礼が無い様に、よーく言って聞かせておかないと、血煙が上がってからじゃぁ〜、遅かんべぇ〜。」

與三郎「そんな買いかぶらないで下さい。アッシは、身に掛かった火の粉を払ったダケですから。」

権十「払ったダケで、殺(け)されたんじゃたまりませんし、囚人同士もめると、役人からお叱りを受けるのは、アッシと文吉ですから、野郎どもには、呉々も間違いの無い様に、アッシら二人から口酸っぱく言って置きます。」


其れにしても、萬兵衛が用意した『観音小僧久次の紹介状』なる物の効果は絶大で、與三郎が、どんなに軽い仕事で楽をしていようと、囚人の中に不平不満を言う馬鹿は現れ無かった。


さて、與三郎が佐渡へ送られて、初めての夏が訪れます。蚊帳なんて乙な夜具は無く、囚人仲間に教えられた、虫除け草を体に擦り、汁を塗っては見たものの、時に蚊に喰われては痒い思いを致します。

そんな眠れない夜、『耳鳴りと 夢か現か 蚊に喰われ』そんなんで御座いますから、雪隠に立とうと表へ出て見ますと、権十と文吉の二人が、崖の上で、何やらヒソヒソ話して居ります。

気に成ります由に、こっそり二人の傍まで、近く與三郎。真剣に言葉を交わす二人、與三郎の存在には気付かず喋り続けます。

権十「じゃぁ〜、新しい竹船は、六月になるんだなぁ。」

文吉「そう役人同士が話しているのを聞いたんで確かだ。後は八月に奉行が交代しなければ、そのまま、八月末か九月の大潮で嵐が来た夜に決行って事で。。。宜いかぁ?権十。」

権十「分かった!その手筈で頼む。」


與三郎は、二人のこの会話を聞いて、ピン!と来ます。この二人、竹船を使って島破りをするつもりだなぁ?!と。

『竹船』と言うのは、佐渡ヶ島で取った竹を、越後へと運ぶ為の船で御座いまして、この時代、越後には殆ど竹が自生しておらず竹は貴重品で、

其れを上州や武蔵からも買い付けてはおりましたが、此処佐渡は竹が比較的豊富に自生していて、是を定期的に収穫し、船で越後へと運んでおりました。

その為の運搬用の船を『竹船』と呼んでいるのですが、老朽化していて、是を買い替えする話が持ち上がっておりました。

ではその購入は何時になるか?と、新しい『竹船』が来るか?と探りを入れていた矢先、文吉が六月に新船が入港の予定であると、役人から聞き出したのである。


また、金山奉行は任期が二年で、幕府の要職の中でも財政を支える重要なポストであり、ここから、町奉行、寺社奉行、大目付、老中へと出世の階段を上り詰めるステップにした旗本、大名は少なく有りません。

その交代が、もし、八月に在るようなら、引き締めが厳しく成り、九月に竹船で島破りを行っても、失敗に終わる危険性が高いのであります。

この日を境に、與三郎は、権十と文吉が二人で密会する場面に目を光らせていたのだが、あの五月末の蚊に喰われた夜以来、一度も無いまま、三ヶ月が過ぎようとしていた。

やがて、金山奉行の留任が決まり、少し季節は秋めいて来た九月二日の事である。與三郎は、病人と怪我人が出て、久しぶりに悪水の汲み出しに地獄の底での作業に午前中着いた。

そして、昼食を取った跡、あまりの疲労と眠気から、與三郎は、役人小屋へ忍び込み、奉行留任祝いに振る舞われた酒を盗み、

小雨が降る中金山裏の山へと登って、その中腹に在る社になっている洞窟で、午後の仕事をさぼり酒を煽って昼寝をしていた。

すると、佐渡に流されて初めて、故郷である江戸の夢を見たのである。その夢とは、江戸は石町の新道にある小粋な家で、お富と二人酒を飲みながら、三味線で一中節を唄い興じているのである。

思わずニタニタした寝顔になる與三郎。其処へ、與三郎を探しに来たのは、役人ではなく、罪人頭権十だった。


権十「與三郎さん!昼飯食ってたかと思ったら、居なくなって?!厠かと思えば居ないし、何処だろう?!と、探したらこんな遠くまで来て、寝てたんですか?昼寝???

しかも、酒なんて食らって!!起きて下さい!!役人に捕まると、棒縛りか、鞭打ちですよ。早く起きて!!」

ニタニタ笑顔で寝ていた與三郎は、夢と現の狭間で、現実に引き戻されて、此処が、佐渡だと認識すると、えも言われぬ厭世観に襲われた。

與三郎「なんだ権十の頭かぁ、江戸の楽しい夢を見ていたのに。。。もう少し夢の中に居たかったよ。」

権十「何を呑気な事を言うんですかぁ、與三さん。役人に見付かると面倒だ!早く、作業に戻りましょう。」

そんな会話を二人がしていると、文吉も其処へやって来て、二人に声を掛けてきました。

文吉「何ですか?何をしてるんです?」

與三郎「是は是は文吉さんまで。いやねぇ、あっしが昼寝して故郷江戸の夢を見ていたら、権十の頭が起こすもんだから、もう少し夢ん中の江戸に居させてくれと、苦情を言ってた所なのさぁ。」

文吉「どんな夢だったんですか?」

與三郎「江戸は、石町の新道に小粋な家を見付けて俺が入って行くと、中に乙な年増が三味線で一中節を唄っているんだ。

その女、誰かと見てやれば、アッチの女房のお富で、其処からは、酒をやったり取ったりして、二人楽しく酒と唄で、時が止まった様になっているんだ。」

文吉「俺も、似た様な夢を見た事があるなぁ、ちっとばかり前だけど。」

與三郎「どんな夢ですか?!」

文吉「奥州山形の庄内の番屋から軍鶏駕籠で直江津へ着くまで、俺が寝てた時だった。竜宮城に来たような御殿に招かれて、

鯛や鮃じゃなくて、薄い衣を着た天女が五人、六人と舞を舞っていて、それを乙姫様みたいな別品さんの酌で酒を呑んでいる夢だった。」

権十「二人共!いい加減、夢の噺はもう宜いだろう?!早く戻らないと!役人が煩いぞ!?」

與三郎「権十さんも、文吉さんも、俺が騒ぎを起こして役人の警戒が厳しくなるのは、塩梅悪いよなぁ〜、だって島破り仕難くくなるから!!」

藪から棒に、『島破り』と、與三郎に言われて、二人は面食らった。『なぜ、與三郎が島破りの件を知っているのか?!』分からなかった。

與三郎「誤魔化さなくて結構です。三ヶ月前の五月の末に、崖ん所で二人が竹船で島破りの算段しているのを、俺、偶然聞いたんです。」

権十「聞かれたのなら仕方ない。與三郎さんも、仲間になるかい?!」

與三郎「勿論です。其れでいつ、竹船で逃げるつもりですか?」

権十「九月の一発目の嵐が来た日。出来れば大潮が良いんだが、贅沢は言ってらんねぇ〜から、嵐の晩に結構します。そして、刻限は四ツ半。」

與三郎「竹船迄は、どうやって行くんですか?土手の本通を歩いたんじゃ、物見小屋から丸見えですからねぇ〜」

文吉「土手の道を歩いて行くと、物見の役人に丸見えだから、崖から縄を使って降りて、石垣を命綱を伝って竹船まで移動するんだ。

五ツに消灯になると、大部屋を抜けて崖から降りる。そこから崖伝いに命綱一本で約二十町ばかり進めば竹船だ。来れるかい?與三さん。」

與三郎「その道筋では、私は無理そうですが、四ツ半には竹船に辿り着く方法は、当日までに見付けて置きます。」

権十「本当に大丈夫かい?與三さん。」

與三郎「この佐渡へ来て九ヶ月、地獄の様な仕事と劣悪な環境のタコ部屋。其れに三度の飯(ごはん)は物相飯(もっそうめし)。

更に、岩ばかりでロクに緑の無い大地と、鉛色の空。そして冷たい潮風が毎日吹き荒れ、役人の機嫌が悪いと、意味なく鞭や棒で殴られる。

もう、一か八か、島破りに賭けて、半目が出たら『瓢箪責め』で殺されても、アッシは悔いは御座いません。」


三人がそんな話し合いになった十一日跡の、宝暦七年九月十三日。朝は秋晴れの鰯雲だったのに、暮れ六ツ前に空がどんよりと黒味を帯びて、にわかに強い風が吹き荒れます。

三人は、目配せして合図を送り合い、この日、竹船を奪って三人で島破りを決行する事に、相成ります。

消灯後の見廻りが終わった跡、まず、権十が厠へ行くフリをして、縄の隠し場所へ走り、其れを持って山を登り、崖伝いに下へと下りて行きます。

続いて、文吉が同じく山へと登り始めた頃には、雨が激しく降り、嵐はいよいよ本格的に猛威を奮い始めておりました。

そして、最後に與三郎が小屋を出たのは四ツ。あと半刻では、どう考えても二人と同じ山から崖伝いでは間に合いません。どうするのか?


権十「文吉ドン、急げ!!」

文吉「與三さんは、来てるかい?!」

権十「来てねぇ〜よ、お前こそ、跡から来る気配は?!」

文吉「無かった。来ないつもりかなぁ?!」

権十「『来ないつもりかなぁ?!』って、女郎買いに誘った仲間が来ないみないな言い方はよせ!!島破りだぞ。」

文吉「アッ!来た、来た、與三さん!コッチ、コッチ。乗ったら直ぐ漕ぎ出すよ。」

権十「與三さん!あんた、何処から竹船まで来たんだ?!」

與三郎「崖は無理だから、土手の本通りの道を歩いて来たよ?」

文吉「よく、その黄色いお仕着せで見付からずに是れたね?!」

與三郎「真っ暗闇にしてやったからね。」

権十「???どうやって。」

與三郎「役人の物見小屋の常行灯、あれに石を投げて、消しただけだ。こう見えて、石投げはガキの頃から大の得意なんで、軽く三発投げで、真っ暗にしてやりました。」

権十「そいつは良い、真っ暗の嵐に成れば、追っ手も来られ無いから、石投げだけに、一石二鳥!!」

與三郎「上手い事言うなぁ〜、権十さん、座布団一枚。」

文吉「さぁ、與三郎さんも体を縄で船に括り付けて下さい。嵐ん中へ出発!!」


こうして、三人は竹船を盗んで、島を抜け出しまして、対岸の越後の國の何処でも良いから着け!!と、念じて竹船を漕ぎ出します。



つづく