人の性は、善也りと申せども、與三郎は、何不自由なく幼い時から成人になるまで、大家でぬくぬくと育ち、辛いとか、空腹(ひもじい)とかは勿論、暑い寒いすら知らずに育って来たのですが、

是が、ふとした弾みで起きた、竹馬の友の死をきっかけに、悪い輩に付き纏われて、その因果の為、木更津へと暫く身を置く事になり、其れが縁でお富と言う女と出逢う事に成ります。


其のお富は、毒婦でも悪女でも無かったのに、ただし所謂、『あげまん』って女ではなかった様で、與三郎は三十四箇所もの刀傷を負って、『斬られ與三』と、二つ名で呼ばれる無職渡世(ぶしょくとせい)へと落ちて仕舞う。

やがて、與三郎は『目玉ノ富』を殺した事をきっかけに、自らの欲望の為なら、他人を平気で地獄の底へと突き落とす。真面目にコツコツ働く料簡など、何処かへ消え失せてしまいます。


そんなお富と與三郎は、茣蓙松の隠居『楽斎』に、「相対間男/美人局」を仕掛けて、最初(ハナ)は手代金八の交渉術に掛かり、初仕事で手にした十両で、欲張らず我慢していたのですが、

金八の義弟・常吉の大失態で、交渉の裏側を見て仕舞い、與三郎は生まれて初めて、血潮が昂る程の怒りを覚えるのです。

そして田町の松屋へ義弟常吉を生き証人として連れて行き、『義兄金八を出せ!!』と暴れ狂い、『荒物に油掛けて、全部灰にしてやろうか?!』と、店先で自ら油を被り凄んで見せるのでした。

是を見た、小悪党の金八は、自分も與三郎の様に三十箇所以上斬られてしまう!!と、ビビッたのか?女房子を置き去りに、東海道を糞を喰らって西へと飛びます!!

そんな蜂の巣を突っついた様な松屋では、與三郎の怒りを治める為に、百両の金子が用意され、其れは隠居の間男に対する詫び証文の代金であると、改めて一筆認めて、店の印形まで押して渡したのでした。

それでも與三郎の怒りは治らず、金八への報復として、女房お松を千住(コツ)の飯盛旅籠へ十両で売り飛ばし、一子八五郎を孤児にしてしまうのでした。

こうして得た百二十両でお富と與三郎は、昼は芝居へ、夜は賭場へと通い、又或る時は、大川に屋形船を浮かべて、お富の一中節の生徒である芸者衆を集め、『おさらい会』と言う名の大宴会を催します。

そんな調子で、どーせ泡銭だと散財致しますから、悪銭身に付かずで、二ヶ月後の十月には、百二十両など使い果たし、又、悪さの算段を二人して始める事になります。


一方、世間では此の年の秋、依田豊前守政次が北町奉行として着任し、特に江戸市中の治安と不正の取り締まりが強化されました。

この人、賭場と香具師や口入屋など、幕府、旗本と利害が重なる所に、大胆にメスを入れて、不正や巨悪を取り締まる事に力を注だ事で、後世に名を残す名奉行の一人です。

特に北町が月番になると、『無宿人狩り』と呼ばれる江戸市中に居る不良浪人、食い詰め浪人、博徒、無宿人を、兎に角、罪を犯す犯さざるに関わらず捕まえては牢に放り込んで、

普通なら、叩き刑や寄場送り、江戸市中所払いで済む程度の罪人を、佐渡金山の人工として佐渡島へ島流しにしておりました。

何でも、この時代になると佐渡の金山は余りに深く掘り進められて、地下水が湧き出る為、作業中の事故で多数の人工が死亡して、代わりの人工の補充に窮していたといいます。


そんな十月の或る日、秋の木漏れ日が差す、比較的ぽかぽかとした陽気の昼飾り、九ツ半から八ツになろうとしている頃で御座います。

庭先の縁側で、茣蓙松の隠居、楽斎が盆栽の枝に挟みを入れて居る所へ、北町の同心、吉野道久が、小間物屋の常吉を連れて庭先へ出向いて参ります。

楽斎「是は是は、吉野の旦那!今日は如何なされました?おや?!常吉まで一緒に?!何んのご用でしょうかぁ?!」

吉野「今日は、他でもない、公儀(おかみ)の御用の筋だ!是なる常吉の訴えによると、柳橋界隈で悪事を働く、斬られ與三と呼ばれる無宿者から、松屋は店に火を点けると強請られ、百両からの金子を奪われたと聞くが、本当か?!」

楽斎「其れは。。。」

常吉「旦那!オイラ、我慢ならねぇ〜。斬られ與三の野郎!確かに、義兄の金八は奴を騙してコケにして、舐めた真似をしたに違いないが、

大枚百両受け取りながら、何の関係も無い俺の姉ちゃんを、金八の女房だからってダケで、宿場女郎に売り飛ばしやがって!!

姉ちゃんのお松と、その子の八五郎は、生木を剥がす様な別れ方させられて、お陰で、八公の面倒は、この俺が見るハメになって。。。

それでも、大家さん以下長屋の皆さんが良くして下さるから、八五郎を育てながらでも、俺は背負い小間物屋で、何とか食っては行けていますが、

そんな俺たちを尻目に、奴等・斬られ與三の奴とその女房のお富は、面白可笑しく優雅に暮らしているかと思うと。。。それが許せなくて!!許せなくて!!

此の吉野の旦那に相談したら、北町では『無宿人狩り』を今やっていて、あの二人を捕まって、斬られ與三は『佐渡へ島流し』に、お富は『奴遊女にして吉原へ沈め』て呉ると聞いて、俺は全部話したんだ。

ご隠居!あの二人に、天誅を下してやりましょう!!そして八五郎の仇を!討ってやりましょうよ!!」

泣きながら訴える常吉を見て、楽斎は、松屋として、與三郎とお富を北町奉行へ、正式に訴え出て、二人は『無宿人狩り』の一環としてお召し捕りが決定します。


アさて、お富と與三郎が暮らす長屋は、町奉行所にツーカーの町役萬兵衛が大家をしているので、『無宿人狩り』の報は直ぐ二人に持たらされます。

萬兵衛「與三さん!お富さん!そういう訳で、北町は茣蓙松の隠居の件で、お二人を召し捕る目論見だ!!直ぐに、江戸を売って何処かへ逃げた方が宜いぜぇ。」

與三郎「大家さん!有難う御座います。お世話ついでに、高飛びする軍資金を貸して貰えませんか?十両、十両お借りできると助かります。」

萬兵衛「分かった、お易い御用だ!十両、ホラ貸してやんよぉ!!」


直ぐに、二人は旅支度して、土地勘のある上総・木更津へと逃げようと、馬喰町に宿を取り、翌朝七ツ立ちを目論んで居ましたが、

北町奉行所も馬鹿ではありませんから、木更津方面への街道沿いには、二人が逃げる事を予測して待ち伏せの取方を仕込んでおりました。

そして、旅籠から二人が居るとの問屋場へのタレ込みを受けて、二人の朝立つ所を待ち伏せして、難なく北町奉行所は、二人を捕縛致します。


直ちに、奉行依田豊前守は、與三郎を伝馬町の牢に留置し、お富は女牢へと送ります。そして白洲もろくに開かれないまま、先に、お富の処分が決まります。

其れは、先に申しました通り『奴遊女/やっこじょろう』として、松葉屋半蔵へ三年三ヶ月の刑で下げ渡されます。

この「奴」と言うのは、江戸時代の女性罪人に対する刑罰で、人別帳から籍を抜かれて、吉原の個人事業主・廓の主人へ三年三ヶ月の年季で売られたそうです。

勿論、若く、器量がよく、吉原で働けそうな価値ある女性受刑者に限られた刑罰で、因みに、受刑者が売られた代金は公儀と廓の主人で折半されるのです。

さて、松葉屋半蔵へ売られたお富は、生きて居れさえすれば、たとえ與三郎が佐渡へ島流しに成ろうとも、三度再会出来ると信じて、前向きに廓勤めをしております。

又お富の器量ですから、直ぐに松葉屋半蔵の全盛と成りまして、引き手数多の傾城傾国、そんな花魁、『錦』と名を改めて働いております。


一方の與三郎はと見てやれば、『無宿人狩り』で集められた、二百人ちかい召し捕られの罪人の中、死罪を除く罪の重い順に、二十五人が選抜され、軍鶏駕籠/籐丸籠(とうまるかご)に入れられて、越後の國は長岡から弥彦村へと送られます。

與三郎は、十両盗めば首が飛ぶ時代に、百両の金子を茣蓙松に出させておりますし、『火を点けてやる!!』と油を使い脅しております。

だから、間違いなく死罪だと覚悟を決めておりました所、何故か?!、佐渡送りの三番目と相成ります。


故郷であります花のお江戸を跡にして、見るもいぶせき軍鶏駕籠に乗せられて、戒めの高手小手、僅かに駕籠の中からいたして、往来の見えるだけの穴は明いては有るが、

いよいよ、板橋の宿も通り越し、宿端(しゅくはずれ)へ入り来るは、與三郎の乗りたる軍鶏駕籠、係りの役人同心手先は、七、八名が付いておりまして、両側の茶屋へズッと駕籠が入りまする。そして、手先が、

手先「お前たち!お役人様の情けだ!湯茶が飲みたい者は、申し出ろ!!情けだ!恵んでやる!!」


『お有難う御座います。』

『ご慈悲で御座います。』

『どうかぁ!お茶を一杯頂きたいです!!』


手先「分かった、順に配るから、大人しくしていろ!?」と、罪人たちだけでなく、付き添いの役人達も、此処は暫しの休憩です。


頃はもう十二月上旬、板橋の宿には筑波颪が時折吹いて来て、駕籠の中で、薄い木綿の黄色に染まるお仕着の罪人達には身に染みます。

其処へ、歳の頃は三十七、八、木綿の半合羽に尻っ端折り、手甲脚絆に足拵えも厳重な草鞋履き、そんな職人風の棟梁と、深い編笠を被った浪人風の四十半ばの武士との二人連れが、軍鶏駕籠近くの役人に声を掛けます。


男「お役人様、ご苦労様に御座んす。アッチは、日本橋横山町三丁目、鼈甲問屋の伊豆屋出入りの大工で、薬研堀の源八と申します。

此方の軍鶏駕籠ん中の一つに、その伊豆屋の倅で與三郎さんって方がいなさるハズだ。其の與三郎さんに、ご両親様からの『最後の言葉』を伝えにまかり越しました。

是非とも、公儀のご慈悲で、私たちの面会を、許可!願えないでしょうか?お役人様!お慈悲をどうが!宜しくお頼み申します。」

そう言うと、源八は、其処に居た役人同心全員に『どうかお慈悲を!』と、言いながら一両ずつ役人に袖の下を掴ませます。

同心「此処は、奉行所の中では御座らん由え、公儀のご慈悲の元、手短で有れば、面会を許す!與三郎!『斬られ與三』は、三番駕籠じゃ、別れを惜しまれるがよい!源八殿」

源八と付き添いの侍は、直ぐに與三郎の駕籠へと近付き、與三郎へ言葉を掛けます。


源八「若旦那!與三郎さん、アッシです。源八です。そして、隣には、関先生も、一緒です。」

そう、伊豆屋出入の大工の棟梁・源八と、幼馴染み神田川の旅籠『下田屋』の倅茂吉の件で世話になった関良介が、駕籠の脇に二人屈んで居た。

與三郎「棟梁!それに、関先生!何んで又、こんな所に、北村大膳!!」

源八「若旦那!お前さん、本当だったら佐渡ではなく、千住(コツ)の小塚原で首を斬られて終わっていたのを、大家の萬兵衛さんが色々と手を廻して佐渡への島流しで済んだんですぜ?!」

関良介「其れを聞いた、伊豆屋の旦那も女将さんも驚いて、拙者と棟梁を呼んで、佐渡送りと決まったなら、必ず、板橋を通るからと、與三郎さん!お前さんに、最後の言葉を掛けてやってくれと頼まれたんだ!?」

源八「若旦那、お前さんが飛んだ悪い女に捕まって、佐渡へ島流しにはなりますが、生きて帰れる様に、ご両親からツルも預かっていますから!!」

與三郎「棟梁!其れに先生!本当に面目無ぇ〜。もう、アッチは横山町に居た與三郎ではなく、斬られ與三って渡世人だ。

其れに、お富が決して悪いんじゃなく、アッチが一人で決めてしでかした事だから、首を跳ねられ様が、島流しだろうが、甘んじて受ける覚悟は出来ているつもりだが、

まだ、人間の血が流れていると思うのは、親父とお袋の事を、引き合いに出されて、今尚、ご両親様が、こんな不孝者を、気に掛けて下さるかと思うと、正直、泪が出そうになる。」

関良介「與三郎さん!親子は死ぬまで親子だ。たとえ、伊豆屋の旦那さんやご内儀が、お前さんを勘当にし、新しい養子を伊豆屋に迎えても、お前さんは大切な一人息子なんだ。何時までも可愛いさぁ、人の親なんだからなぁ。

其れに、お前さんは世の中を、お富さんと二人だけで生きているつもりでいるが、横山町のご両親だけでなく、同朋町の大家さんだって、棟梁や、其れに拙者も、

皆んな與三郎さんには、幸せに生きて欲しいし、こうして何んか、在ったら何時でも駆け付けるし、仲間だと信じているんです。」


関良介の言葉に、與三郎は嗚咽を漏らし、金八の女房・お松と一子・八五郎にした事を思うと、泣きながら駕籠ん中で是までの悪事全てに懺悔した。そして、

與三郎「有難う御座います。是がお二人とは最後に成るかと思いますが、親父とお袋に、生まれ変わったら真人間に成るとは申せませんが、

二度と欲望のまま、義に背く様な悪事だけは、此の與三郎、致しません!と、お伝え下さい。

本当に、人の道に背くような悪事にからは、きっぱりと足を洗って、人様から後ろ指だけは指されない漢で、残りの人生をまっとうしますと、お伝え願います。」

源八「必ずお伝えします。其れで、コレはツルの他で、萬兵衛さんから預かって来た親書で、伝馬町の牢名主、観音小僧ノ久次に萬兵衛さんが書かせたモンだそうです。

佐渡に着いたら、ツルと合わせて、佐渡の囚人のご支配に渡すように預かりました。本に、お身体を大切に、必ず、娑婆へ帰って来て下さい。」


三人は、別れるまで滝の様に涙を流しながら、言葉を交わして別れを惜しむのでした。

やがて、與三郎たち二十五人を乗せた軍鶏駕籠は、板橋から赤羽、浦和、熊谷へと参ります。更に高崎に入ると、江戸の役人から八州役人に交代して、渋川、沼田、水上を抜けて、越後に入ると其処は雪の舞う湯沢温泉で御座います。

湯沢に来ると、此処でも役人が八州廻りの役人から、越後金山奉行支配下の役人へと交代し、六日町、小千谷、そして漸く二十五丁の軍鶏駕籠は長岡へと到着致します。

此処で物資の到着を暫く待ち、二十五人は弥彦村から船に乗せられて、地獄の佐渡ヶ島へと送り込まれるのであります。


つづく