茣蓙松の隠居、楽斎は、昨夜はなかなか寝付かれず、うとうとすると傷だらけの『斬られ與三』の顔が夢に現れて、汗をグッショリかいて飛び起きます。
ですから、なかなか昨夜、柳橋での雨宿りの噺を家人には、切り出す事が出来ず、かなり早起きをして、店の裏手にある長屋に住む奉公人で手代の金八と申す、交渉上手!人呼んで『算段ノ金八』の家へ、莨入れ一つ抱えて訪れます。
この金八、主な仕事が二つ、まずは、荒物屋松屋が小売に卸しで売って、代金が焦げ付いた際の代金取立回収、
そしてもう一つは、販売先や、個人客が、買った荒物商品の不具合に対する苦情処理を、一手に引き受けている交渉の玄人で御座います。
楽斎「御免なさいよ、金さん!居ますかぇ!?」
金八「ハイ、どなた?! 何ですかぁ?!御隠居じゃありませんか?!ささっ、狭い所ですが、上がって下さい。お松!御隠居がお見えだ、莨盆と、お茶とそして座布団をお出ししろ!!」
金八の女房のお松は、元は千住の飯盛旅籠で女郎をしていた女でして、其れに金八が惚れて二十五両で身請けして女房に直したんですが、器量は宜いし、きびきびとした働き者で、蓮華草ではなく、アロエみたいな女です。
そのお松が、土間で洗濯をしていた手を止めて、楽斎に座布団と莨盆を出してくれて、わざわさお茶まで入れてくれます。
楽斎「お松さん!ありがとう、朝の忙しい時に来て悪いねぇ〜」
お松「なんの!大した事じゃたりませんから、御隠居!ゆっくりしてって下さい。」
金八「大層、今朝は早う御座いますね?!御隠居。」
楽斎「金さん!綺麗な朝顔が咲きましたね?!」
金八「日頃世話になっている、入谷の香具師の親方ん所の若衆が、縁日の売残りを持って来ますから、無碍には出来ません。だから今年も七鉢買いました。
其れに付けても、朝顔は入谷に限ります。毎年、引き取っていますが、旦那の代ん時には、お店が朝顔代は、店の仕事の付き合いだからと、全部出して貰えておりましたが、
若旦那の代になると、折半にされて、その上四鉢は、若旦那が宜いのばなりを、寄って持って行くんですぜぇ!しみっ垂れた事をしますよねぇ〜、是非、旦那からも言ってやって下さい!!頼みますから?!」
楽斎「すまないねぇ〜、倅は香具師の親分に裏でどんだけ世話になっているか?!そんな事は深くは知らないし、私が見せて来なかった。過保護だったかねぇ〜。
さて、今日はこんなに早くお前さんの家に来たのは、店では噺が出来ない相談事が、お前さんにしたくて来たんだ。
悪いけど、子供シを連れて、お内儀には、外で油を売ってて欲しいのだが?!悪いけど、宜しく頼むよ、金八さん!」
金八「へい!よーガス。おい!お松、ガキを連れて、大門の門前で駄菓子でも買ってやって増上寺にでも、お詣りして来い!ほら、銭は二百、呉れてやる!!直ぐに頼む。」
そう言われて、お松は一人息子の八五郎を連れて大門から増上寺へと行ってしまいます。家の中には、金八と楽斎だけになります。
金八「是で宜しいですか?御隠居。」
楽斎「実は、金さん、お前さんに折り入って相談したい事がある。昨日、久しぶりに倅の代わりに柳橋の寄合に出たんだよ。倅を寄合に出すと、直ぐ気が大きくなって、吉原へ行って居続けに成る。
だから、昨日は私が代わりに、萬八の寄合に出たんだが。。。久しぶりだ!久しぶりだ!と、仲間から、やれ吉原へ!やれ深川へ!と誘われたんだが、
流石に、倅の代理に来ていて、木乃伊取りが木乃伊に成る様な真似はしたくなかったんで、連中を巻いて柳橋からは、離れたんだが、逃げる途中、ひどい夕立に遭って、
同朋町の芸者新道へと雨宿りをしょうと思って入って行くと、二階建ての乙な六畳二間の家が在って、其処の軒下を借りて雨を凌いでいたら、
中から粋な一中節が聞こえて来たんだ。誰が三味線弾いて唄うのか?と、見てやれば、昔、深川仲町で芸者をしていた、お富と言う錦絵から抜け出した様な絶世の美人で、
二十五、六の年増なんだが、肌の色艶に張りがあり、どう見ても二十歳こそこそにしか見えない妖艶な女だ。
その女に、『旦那!お久しぶりです』と、誘われて、俺は、『嫌だ!嫌だ!』と、言うのに、向こうが積極的!!強引に私を中へと引っ張り込むんだ!!」
金八「御隠居!いい加減にして下さいよ!、朝飯前の、こんな早い刻限にやって来て、いきなり惚気を聞かせてどーするんですか?!女房子まで外へ連れ出して、
昔、馴染みの深川芸者と、『湯屋番』の若旦那の妄想のような、はたまた、『浮世床』の夢に出て来るみたいな、そんな雨宿りの惚気噺をわざわさ聞かせに来たんなら、とっとと、お帰り下さい!!アッシは、そんなに暇では御座いません!!」
楽斎「違うんだ!惚気に来たんじゃない。いいから、混ぜ返さずに、最後まで、頼むから聞いてくれ、頼む!座ってくれ!金さん。
其れで、嫌々だったが家に上がると、お着物が濡れているんで、乾かします。是に着替えて下さいと、女物(モン)の浴衣を出して来たから、是に着替えて濡れた着物を、そのお富に渡した。
そこまで親切にされたから、気持ちだと一両包んで渡すと、意外にも要らないと言う。昔が懐かしいだけ、昔の恩に報いるだけの親切だと言ってガンとして銭は受け取らないんだ。
そして今度は、二階に上がれと言い出すんだよ、酒をご馳走するからと。勿論、此れも断ったんだよ、最初(ハナ)は千代田卜斎の様に『私は此の御酒は頂く訳には参らぬ!!』と。
すると、お富は卜斎より遥かに上手だった。細川のお殿様のように、『喩え仇であっても、一旦、家に上げたお人は、口を濡らさず帰すなんて失礼だ!!』、
と、言い出して、強引に御酒を薦めて来るんだ。しかし!この千代田卜斎!浪人はしていても、武士。この酒を受ける訳には参らぬと申しますれば、
私が萬八の土産の折を持っているのを見付けて、酒はお富が面倒を見て、私が肴に萬八の折を提供すれば、互いに五分と五分で、貸し借りはなかろうと言われて、嫌々、二階で酒を呑む事に。
ところが、お富は二階に上がると、目をウルウルさせて、身体を私に預けて来るし、顔を紅葉の様に紅く染めて、今は旦那は居りません!!
何んて、甘い言葉を浴びせて来るんです。
更に!更に!雷が轟始めると、勝手に蚊帳を吊り、布団を敷いて中に二人で入りましょう!?なんて、誘いを掛けくるんです。」
金八「御隠居、分かりました!!やっぱり、是は『湯屋番』の若旦那じゃないですかぁ?!雷が来て、女がシャクになるんでしょう?!空ジャクに。
そして、其れは女の仮病(空ジャク)で、御隠居は廃洗の水を口移しに、その女に飲ませたんでしょう?!分かりました、惚気はもう沢山です。余所へ行ってやって下さい。」
楽斎「だ・か・ら、まだ、続きが在るんだ!其れに、まだ、肝心の相談部分には、入っていない。噺の腰を折らず、黙って聞きなさい!!
結局、私は薦め上手な女に酒を三合五酌ほど飲まされて、酔いが廻って眠ってしまったんです。そしたら、女が、知らぬ間に、私の横で添寝してやがって、しかも、緋縮緬の長襦袢一枚になっている!!
すると、居ないはずの亭主が、いきなり二階に上がって来て、包丁を畳に突き刺し『間男見付けた!!』って凄むんだよぉ。
しかも、その男の顔が、傷だらけで。。。実に不気味な奴でねぇ〜、此処らじゃ有名な2つ名だとか言ってましたよ。
その傷だらけの亭主が、二つに重ねて四つにしてやる!!って凄むと、女房の件の宜い女が、脇でピーピー泣いて。。。結局、間男の代償だと、五十両の証文に爪印を押さされて、
間男した証拠の品だと、羽織を取り上げられて、帰って来たんだよ。まぁ、女世帯の家に、雨宿りさせてくれと、のこのこ上がった私が悪いから、その五十両は諦めるが、
是をネタに、二度、三度と強請られるのは、勘弁して欲しいから、此方の証文と羽織を取り返して、逆に『これっ切りだと言う』一筆を、貰って来て欲しいんだ。
此れが証文の五十両。そして、金さん!お前には手間賃を、二十五両払うから、宜しく頼みますよ!此の通りだ!重ねて頼みますよ。」
金八「成る程、そいつは災難でしたね、御隠居!その傷だらけの野郎は、もしかして、『斬られ與三』とか名乗りませんでしたか?」
楽斎「そう!だ、そんな名前だった。」
金八「やっぱり、それなら、アッシが何とかカタを付けて、野郎に弱味を見せずに、此れっ切り!此れっ切り!もう、此れっ切りですかぁ?!と、言わせて見せます。」
楽斎「古いねぇ〜お前も、そんな百恵ちゃんの流行歌(はやりうた)なんて、昭和の遺物だよ。」
金八「古い奴だから、新しいモンを欲しがるモンで御座んす。隠居!この世は、右を向いても、左を見ても、馬鹿と阿呆の絡み合い。嫌な渡世で御座んす。」
楽斎「鶴田浩二はいいから、しっかり交渉を頼みましたよ。」
金八「へい!ガッテン!!」
この金八、実は元は伊豆屋の手代だったのですが、鼈甲を細工加工させている飾り職人と、店には内緒で櫛や簪などを造り、闇で小間物屋へ卸していたのが、店にバレて暇を出された小悪人で御座います。
ちょうど、與三郎が木更津へ行っていた時期に、伊豆屋を頸になっていますから、斬られ與三になった與三郎とは面識が全く御座いません。
しかし、その前は、若旦那と手代という主従の関係だった訳で、是を上手く利用して、與三郎を丸め込んでやろうと、仕切りに算段を致します。
そして、九ツ半になり家を出て、約束の八ツの鐘が鳴る頃には、柳橋同朋町の芸者新道に着き、粋な造りの二階家を見付けて、此処だなぁ?と思いますから、声を掛けて中へ入ります。
金八「御免下さい!與三郎さんのお宅は、此方ですか?!芝田町の松屋から参った者ですが?御免下さい!」
お富「ハイ、お待ち申しておりました。あんた!松屋の使いの方が見えました。」
與三郎「中へ入ぇって貰いなぁ?!」
お富に案内されて、門口から金八が奥へと通されます。一階の六畳の長火鉢の前に、與三郎が胡座をかいて居て、その前に座布団が敷かれ、其処に座る様に金八は促されます。
金八「旦那、芝田町は松屋の隠居、楽斎の名代で参りました、金八と申します。初めましてと申したい所ですが、嘘や隠し事が、大嫌いなタチで、正直に申しますが、
アッシは、以前、貴方様、與三郎さんの実家である伊豆屋で奉公を致しておりました、金八で御座います。由有って伊豆屋からは暇を出されて、今は松屋に拾われて奉公しておりましす。
この度は、ウチの御隠居が、此方様で飛んだ粗相を致しまして、面目次第も御座いません。付きましては、私が隠居の名代としてまかり越しました次第で。。。
お怒りはごもっともでは御座いますが、今日の所は、ざっくばらんに、ご意見をお聞かせ願いまして、十分に善処させて頂きとう存じます。」
與三郎「お前さんは、伊豆屋に居なすった、金八ドン!?とは、言え。アッチが木更津に行く前に存じている金八ドンは、十八、九で二十歳前の好青年だっが、立派に成りなすって、御隠居様の名代とは、大した出世だ。
ただ、ざっくばらんも、飾り寿司の竹バランも有ったもんかねぇ、こうして五十両の証文がこっちに有って、証拠の羽織も、カタに抑えてあるんだ!!
是を持って出る所に出れば、五十両は取れるんだから、ガタガタ、能書きを垂れんじゃねぇ〜、大人しく、五十両置いて行きなぁ〜、金八さん、よぉ〜。」
金八「與三郎さん、いやぁ、今じゃぁ『斬られ與三』と二つ名で呼ばれている、泣く子も黙るお兄ぃさんに成られた様ですが、
以前は主従の関係だったから、手の内をあえて申し上げます。起こりは、確かにウチの隠居が、助平心を見せたのかも知れませんが、
とは言え、與三郎さん!!いや、あえて若旦那!と、申しますが、是は誰がどう見ても、お前さん方が仕組んだ『相対間男の美人局』だ!!
貴方が仰る様に、奉行所に「お恐れながら?!」と、訴えて出ると、若旦那の方に勝ち目は有りませんぜぇ?!コッチは品川から高輪、白金界隈じゃぁ〜、一、二を争う大店のご隠居だぁ〜。
其れに引き換え、現在の若旦那は、『斬られ與三』と呼ばれる無職渡世の無宿者だぁ〜。公儀(おかみ)がどっちの言い分を信じると思いますか?
たとえ、若旦那には、確かな証文があるとは言え、其れは、相対間男を仕掛けて書かせたモンだと、直ぐに分かりますから、店で暴れてやると脅しても、松屋の方では、貴方を相手にしませんよ、きっと。」
與三郎「金八!貴様、俺をコケにして。。。腕ずくで来い!とでも言うのか?!俺も今じゃぁ〜『斬られ與三』って二つ名で呼ばれているお兄ぃさんだ、ご隠居が、グズグス抜かすなら、今から店に出張って、ひと暴れしても宜いんだぜ!!」
金八「若旦那、アッシは、かつては主従だった御人だから、嘘の無い噺をしているつもりです。松屋で、ゴネて暴れても銭には成りませんよ。
役人を呼ばれて縄付になって、寄場送りか?江戸十三里四方所払いになるのがオチです。その上、二十か三十発の叩き刑もオマケで付いて来る!!若旦那、足腰立たなくなって、寄場や所払い喰らうのは難儀ですぜぇ?!
其処で、アッシに任せて下さったなら、しみったれの松屋ではなく、直接、隠居と掛け合って十両にはして見せますから、この件は、それで手を打つと、言っちゃぁ〜貰えないでしょうか?!」
與三郎「五十両の証文を書いておいて、一晩経つと、其れが十両ってかぁ?!舐めんじゃねぇ〜ぞ、金八!!」
金八「若旦那、無い袖は振れませんって。あくまでも、その五十両の証文に拘りなさるなら、町役人を呼んで、白黒付けても構わないんですよ、アッシの方は。
その代わり、そうなると、十両どころか、六尺棒で棒縛の刑を受けた後、三ヶ月は佃島の寄場送りを覚悟して下さいなぁ?!」
金八の理屈にやや押され気味になる與三郎。更に、お富は、奉行所へ行くのは、玄冶店の家で賭場を開いて居た事、目玉ノ富を殺(け)した事、はたまた、蝙蝠安に居所を知られてしまう事などなど、
広く世間に目立ち、奉行所から睨まれる事を、極度に嫌う二人ですから、此処は初仕事でもあるし、ゴタゴタと揉めて、役人が出張る事態を招くよりは、十両でも実を取る事を選択します。
與三郎「金八!仕方なくなぁ〜、今回ダケは貴様の顔を立ててやる。十両で、水に流してやるがぁ、万度、こんな具合だと、俺っチを舐めるんじゃねぇ〜ぞ!!宜いなぁ?!」
金八「引いて下さり、有難う御座んす。先ずは、証文と羽織を此方へ返して下さい。」
與三郎「いや、十両が先だ!銭をだせ!!」
金八「困りましたねぇ〜。何の足しにもならない証文だと、アッシが親切で、お教えしたんですよ?!若旦那。それでは、ビタ一文、手に入りませんよ?!宜いんですか?!」
與三郎「分かったよ、金さん。出すよ、こっちが先に。」
そう言うと楽斎が自ら書いた証文と、家紋入りの絽の羽織を金八に返して、與三郎は金八から十両を受け取ろうとする。
が、しかし!金八は、與三郎などより、数多くの修羅場を潜り抜けて、一日の長あるので、更に、與三郎に注文を付けて参ります。
金八「若旦那!もう一つお願いが、御座います。簡単な事ってす。『二度と、松屋に対しては、ゴロを巻く様な真似は致しません』と、斬られ與三として、一筆啓上、申して下さいなぁ。」
與三郎「なんだとぉ〜!?、其れが、先の主家への態度が?!舐めた事、言ってんじゃねぇ〜ぞ!金八、そんなもん、書けるかぁ?!」
金八「書かないなら、書かないでも、宜お〜ガス。アッシもビタ一文払いませんから。」
與三郎「汚いぞ!証文と羽織を先に取った上で、銭は払わず、此方へ要求とは?!是じゃぁ〜丸で、お前さんの言いなりだ!!」
金八「十両、欲しかったら書いて下さいよぉ〜。どーせ、是っきりなんだから、誓約書を一本書いたからって、若旦那の方に損は無いはずだ。こっちは、ただ単に、ご隠居様への手土産にしたいだけだから、頼みますよ!若旦那。」
與三郎「分かった、書くよ。書くから、早く十両、よこしな!!」
結局、與三郎は、まんまと金八の交渉術に嵌って、証文と羽織は取り上げられた上に、十両の和解金で、二度と松屋へはチョッカイを出さないと、誓約書まで書かされてしまいます。
さて、一方の金八は、意気揚々と松屋へ戻りまして、楽斎の居る隠居部屋へと、直行致しまして、本日の交渉の成果を報告し、手間とご褒美の二十五両を手に致します。
金八「いやはや、苦労しましたよ、あの『斬られ與三』の野郎を、五十両で『うん!』と言わせるのには。。。アッシが元伊豆屋で奉公人をしていたのが、幸いしたのと、
跡は、誠心誠意、ご隠居には、悪気がなかった事を何度も、何度も、丁寧に説明して、最後は死ぬ気で開き直って見せて、相手を根負けさせた事に尽きますねぇ〜」
楽斎「本当に、ご苦労様だった。流石、茣蓙松の交渉人『算段の金八』と呼ばれるだけの器量があるよ!金さん、アッパレだ!!」
金八「有難う御座います。ご隠居の御意に沿えて光栄です。」
楽斎「金さん!来年は、朝顔に限らず、金さんが頭たちとの付き合いでしている散財は、全て、松屋が肩代わりする様に、倅には意見しておくからねぇ?!」
金八「本当に有難う御座います。励みになります。」
結局、金八は、隠居から預かった間男の代償・五十両から四十両を抜いて、更に褒美の二十五両を貰いますから、濡れ手に粟で六十五両の儲けとなり、笑いが止まらない臨時収入と、相成ります。
アさて、其れから一ヶ月ばかりの月日が流れ、虫の声が聞こえて来る季節となり、まだ、本格的な寒さって訳ではありませんが、衣替えを、そろそろ始めようか?って季節の到来です。
そんな、柳橋同朋町のお富と與三郎の家へ、背負い(しょい)小間物屋の常吉と言う男が、女連中が好みそうな頭の物や、白粉と紅、其れに珍しい匂い袋などを持って、行商に参ります。
常吉「御免下さい。ご新造さんはいらっしゃいますか?!小間物屋で御座います。」
お富「ハイ!どなた?」
常吉「お初にお目に掛かります。私は、背負い小間物で、常吉と申します。横山町から人形町、柳橋、両国辺りを流している者で、
暫く、仕入れに京、大坂へと出張しておりまして、三ヶ月ぶりに江戸に戻って参りますと、芸者新道の乙な空き家の貸家札が無くなってたもんで、お声掛けした次第で御座います。」
お富「あらまぁ〜、そうでしたかぁ、私たちも三月程前に越して来たばかりですから、今後とも宜しくお願いしますねぇ。ところで、何を持って来たんだい?!」
常吉「へい、色々と御座いまして、此方が頭の物で御座います。拓殖、鼈甲、安い物は竹のヤツも有りますが、ご新造には似合いませんよ、子供のお飾りですから。
跡は、匂い袋の新しいのが御座います。江戸ではまだまだ、お目に掛かれない珍品ばかりで、京で仕入れて来た新作ですから、嗅いでみて下さい。
まぁ、あとは、紅と白粉、それに化粧水と、香り付けの香水も有ります。勉強させて頂きますから、何んか一つお願いします。」
お富が、小間物屋の広げた櫛と簪をあれこれ手に取り、頭に付けては手鏡で品定めをしている。與三郎はと見てやれば、長火鉢の前で、莨を蒸して、その様子を何気なく眺めていた。
お富「お前さん!此の櫛どうかねぇ〜、二分だと言うんだが。」
與三郎「その櫛にコノリキ(二分)は、高けぇ〜よ。仕入れはヘイスケ(二朱)って所だから、シトリキ(一分)が妥当な値段だ!!」
常吉「旦那ぁ〜、ヘイスケ、シトリキ、コノリキって鼈甲屋の符丁なぜ、ご存知なんです?!」
與三郎「大きな声じゃ言えねぇ〜が、横山町の鼈甲問屋に、昔、居た事があってなぁ〜、鼈甲の目利きなら、お前さんに負けないよ。」
常吉「こいつは、お見それしました。其れじゃ〜、その櫛は、シトリキにおまけして、ご新造さんに奉仕させて頂きます。」
與三郎「奉仕って程の安値じゃなかろう?四百文は儲かるんだから、御の字だろう?!小間物屋!」
常吉「さいですねぇ〜、所で、京からの帰り道、東海道は品川の宿で、この辺りの面白い噂噺を耳にしたんですよ。」
與三郎「この辺りの噂噺?!で、どんな噺だい?!」
常吉「アッシの義理の兄貴、姉さんの旦那の噺なんですが、その兄貴が、品川の先の芝は田町の荒物屋に奉公しているんです。」
與三郎「ほーう、荒物屋に。」
常吉「この野郎、元々は、この横山町三丁目の伊豆屋ってデカい身代の鼈甲問屋に居たんですが、店の得意先に、自分が脇で作らせた櫛や簪を、店に内緒で卸していたのがバレて暇を出された小悪党なんでゲスよ。
そんな野郎ですから、田町の荒物屋『松屋』で働くったって、普通の奉公人をしているんじゃなくて、所謂、交渉人、掛け合い事を任された奉公人なんです。
その兄貴、金八と言うんですが、松屋のご隠居が、この辺りの家で偶々、雨宿りした家が、乙な年増の家で、しかも、昔馴染みの元芸者だと言う。
そこから、落語の『湯屋番』みたいな展開で、家に上がり、一杯やっていたら雷が鳴り、蚊帳を吊って、乙な年増と一緒の布団へ入る!!
ここまでは、『湯屋番』の若旦那の妄想通りだったが、最後が違う。その家の主、亭主野郎が現れて、『間男見付けた!!』って脅されたってんです。」
與三郎「其れから?!」(やや語気を荒げる)
常吉「其れから、店に戻った松屋のご隠居、息子夫婦や女房には、いい歳こいて間男が見付かり、その場で五十両の証文を書いて、羽織を証拠品として取り上げられた何んて言い出せない。
そこで、ご隠居が目を付けたのが、アッシの義理の兄貴、金八で、こいつに交渉を任せて、五十両を渡すんです。更に、上手く是っ切り!是っ切り!の誓約書を取り付けたら、更に二十五両を出すと、金八に持ち掛ける。」
與三郎「其れから?!」(更に語気を荒げる)
常吉「そんで思わぬ人参をぶら下げられた金八は、得意の交渉術で相手を丸め込み、その現れた亭主って野郎が、何でも横山町で奉公していた先、伊豆屋の元若旦那とかで、
まぁ〜、落語じゃないけど、若旦那なんて言うのにろくなのは居ない!!ましてや、そいつは元若旦那。世間知らずの大馬鹿野郎なのを逆手に、五十両の証文と羽織を十両で取り上げたらしんです。」
與三郎「其れから?!」(怒りMAX!!)
常吉「何かぁ?!私、悪いことしましたか?其れとも、この噺は旦那、お嫌いそうだから止めましょうか?!」
與三郎「其処まで喋ったんなら、最後まで喋れよ!!ほら、其れから?!」
常吉「じゃぁ〜、続けます。えぇ〜、其の証文と羽織を、金八の奴は取り上げて置きながら、なかなか十両は渡さず、今回の間男事件は水に流します!と、その元若旦那に誓約書を書かせてから渡したってんですよぉ〜。
飛んだ道化師ですよ、その元若旦那!!このた辺りに住んでいるらしいから、是非どんな間抜けな奴か、面を一度、拝みたいもんでゲス、ハイ!!」
與三郎「常吉、その元若旦那の特徴を、金八は言っていなかったかい?!」
常吉「言ってましたねぇ〜、斬られ與三とか呼ばれていて、見た目にキズだらけで。。。何でも、三十四箇所の傷が在るとか?!」
與三郎「こんな風にかい!!」
っと、與三郎が上半身諸肌脱いで見せると、本人と知らずに語った常吉が逃げようと致しますが、與三郎に髻を掴まれて、失敗致します。
與三郎「やい!小間物屋、貴様が生き証人だ。今から貴様を連れて、茣蓙松に殴り込んで、金八の奴から血煙を上げてやる!!覚悟しやがれぇ〜」
そう叫ぶと、與三郎、常吉の商売道具を奪い取って、芝田町の松屋へと連れて殴り込みを掛けます。
與三郎に踏み込まれた、松屋では蜂の巣を突っついた様な騒ぎで、悪運強く六感に鋭い金八は、與三郎の傍に常吉が居りますから、語りがバレたと直ぐに悟り、女房子を置き去りに東海道を西へと逃げてしまいます。
一方、與三郎は、金八が居ないと知ると、松屋から百両の銭を見舞金としてブン取り、更に常吉を連れて、金八の家へと行き、其処に居た女房を捕まえて凄んだ。
與三郎「御免なさいよ!金八の野郎が、アッシに舐めた真似をしましてねぇ〜。お内儀!お前さんには、一寸の恨みも無いんだが、是も渡世の掟だと思って我慢して、おくんなぁせぇ〜。
今、此処へ来る前に、あんたの舎弟の常吉と、あんたが前に女郎をしていた、千住(コツ)の飯盛旅籠へ十両でもう一度、預かって貰える様に算段をして来た。
今から、千住へ連れて行くから、是も金八みたいなもんの女房になった身の不運と諦めてくれ。」
女房「私には、まだ、三つになったばかりのこの子が居ります!!どうか、勘弁して下さい。」
土下座をして、息子を手放したくないと懇願する女房から、息子の八五郎を引き剥がし連れて行こうとする與三郎。
八五郎は、火が点つた様に泣き叫くのを傍で見ながら與三郎は、金八の女房お松に、悪魔の様な事を言います。
與三郎「このガキは、父(てて)無し母無しには成るが、町役五人組が、此処に置き去りにされたら育てるだろう?!飢えて死ぬ様なら、其れはこのガキの定めだと、諦めるんだなぁ〜。
そして、決してオイラを恨みなさんなぁ、悪いのは全部あんたの亭主、金八で、お前さんはそんな因果を背負っただけだ。ガキには気の毒だが、それも定めだ。親に恵まれ無かっただけの事さぁ。」
まだ狂った様に泣き続ける八五郎を、途方に暮れながら常吉はあやす事もできず佇む様にしています。そんな常吉を長屋に残して、無理矢理、お松を千住の飯盛旅籠に沈めてしまう、與三郎でした。
つづく