偶然にも再会したお富と與三郎。お富は、自分のせいでナマスにされて死んだと思っていた與三郎が生きていたってんで、

嬉しい反面、與三郎をこんな化け物にしたのは、自分だと思いますから、より一層、與三郎への想いは強くなります。

一方の與三郎はと見てやれば、此方も夢でも宜いからもう一度逢いたいと思っていた相手ですから、天にも昇る心持ちで御座いまして、

『斬られ與三』と呼ばれる二目と見られぬ醜い姿に、途方に呉れて生きる望みを失いかけていた所に、お富と言う生きる望みを見付けた訳ですから、此方も想いでは負けておりません。


所が、二人の間は、そんなに単純な関係では御座いません。お富には、木更津の冬の海で、覚悟の自殺のつもりで入水した所を、船へと救い上げた旦那が居りますし、

又、與三郎は與三郎で、横山町三丁目『伊豆屋』喜兵衛の大切な一人だけの跡取り息子なのですから、たとえ旦那が居なくても、お富を伊豆屋の若女房にするのは、容易い事では御座いません。

更に、互いに相手は死んでしまったと信じ過ごした三年と言う月日が、二人の間を微妙な空気にさせているのかもしれません。


丁度!お富と與三郎が鉢合わせの再会を果たし、蝙蝠安と目玉ノ富の二人がおまけで付いて来た、正にその日。

出し抜けに裏口から一人の男が、お富の玄冶店の家に入って参ります。歳格好は四十ニ(厄)そこそこ、いかにも真面目が着物を着ている感じで、

その来て居る着物も、派手さは無いが、木綿の颯張りした単衣物で分別有りげな商人風で御座います。

その男が、訝し(いぶかし)そうに三人へ目をやり、長火鉢の前にドッカと座ってお富に尋ねます。

旦那「お富!此方のお三方は、どんなご用事でいらっしゃって、いるんだい?!」

お富「旦那!よく聞いて下さいました!!此の三人、いきなり旦那の留守に家に上がり込んで、色々と脅し文句を並べ立て!お定まりの銭貰い!

仕方なく二百の銭を上げましたら、是が少ないと悪口雑言!雨霰!!。。。困り果てての今なんです。ただ、旦那の耳に入れる程の、大した噺じゃ、有りません。」



旦那「入れずに済むなら、入れては居ないがぁ。。。入って来たから、一言云わせて貰いますがぁねぇ〜!!

ちょいと!お三方、其処に立たれたまんまじゃぁ〜、話が遠い。もそっと近くで、お座りになって聴いておくんなせぇ〜。

女、女房なんて生き物はぁ〜、日頃から慎ましやかに生きて御座いますから、何かと締まりに厳しく、セコなぁ料簡で生きております。

だから、場面も弁えず、親分さんよ、おぁ兄ぃ〜さんよ!と、呼ばれる方を目の前にしても、

成丈少なく出したくなるのが人情だぁ!兄ぃさん達が、どんな子細が有ってこの家へ来なすったかぁは、アッシは知りませんがぁ。。。

見ればこちらの兄ぃさんは、珍しいお貌(カオ)をしてなさる。頬の黒い彫り物は?蝙蝠ですか?!又、面白い女物を着て御座る!

そして、お隣、左の方は。。。おやおやぁ?何処かで、お会いしましたかぁ〜?!、はて?、、、アッ!貴様は、誰かと思えば、左官の富八じゃぁ、ねぇ〜かぁ〜!なぜ、貴様が一緒なんだ!!」

富八「是は!是は!井筒屋の番頭の、太左衛門の旦那じゃ御座んせんかぁ?!此処は旦那の家でしたかぁ?!そうとは露知らず!ご無礼致しました。」

旦那「そりゃぁ〜、そうだろう。知らないからウチに強請り掛けに来たんだろうよぉ!、もし貴様に、知ってて強請りに来るだけの度胸が在るなら、

こんなコソ泥みたいな真似はしねぇ〜だろうし、その前に左官として、貴様の親父さんの様に『棟梁』とか『親方』と呼ばれる一角の漢に成って居ただろうよぉ!!」

富八「旦那に掛かっちゃぁ〜、面目次第も御座んせん。穴が在ったら入り(へいり)てぇ〜!!」

旦那「今から、其処の庭に掘ってやろうかぁ?!えぇ!どうする?!オメぇさんは、あんなに人の宜い、凄い腕が在る、江戸の左官職人じゃぁ、五本の指に入る人を実の親に持ちながら、

酒と博打と女に狂って、親父がお店の!井筒屋の裏に建てた持ち家も畑もみんな、叩き売っちまって。。。

そして、お前さんがプイッ!と家を飛び出した後、おふくろさんは心労で倒れて亡くなり、残された親父さんは、お店に七十まで飼殺しだったんだぞ?!知ってんのかぁ?!この不孝者!!

其れでもお前の親父は、愚痴一つ溢さず、七十ニになるまで、店の!井筒屋の蔵を黙々と塗っていた。あの親父さんが、今、どうしているか?!貴様は知っているのか?!

旦那様や、女将さんが宜い人だから、井筒屋ん中に、お前が捨てた親父さんを置いて下さって居る。それをあの親父は、

『三度のおまんまが有り難い!』

『お仕着せの木綿の着物や印半纏が有り難い!』

『雨露、寒さを凌げる家が本に有り難い!』

と、何を生甲斐に、何を楽しみにしているのか、知らないが、愚痴一つ、泣き言一つ言わずに暮らしているんだぞ?!泪の一つも見せずになぁ〜。

貴様の様な倅を持った因果からかぁ?!泪も枯れる人生を送ってなさるんだぁ!!

お前に、そんな親父さんの悲哀や辛さが少しは分かるのか?。。。分かるかなぁ?!分かんねぇ〜だろうなぁ?!」


と、最後は松鶴家千とせ先生みたいな説教を垂れる井筒屋のご支配人、太左衛門で御座います。是には流石に返す言葉も無い目玉ノ富八は、

その場に黙って下を向いて、最初はやり過ごすしておりましたが、まだ、人間の血が少しは通っておりますようで、仕舞いには泪が流れ出て御座います。

其の富八の脇から、蝙蝠ノ安五郎が、見るに見かねて助け舟を出して参ります。

安「旦那!井筒屋のご支配人!富八の野郎が、百に一つも理が無い事は、重々承知はしておりますが、当人も悔いて泣いて御座います。どうか、泪に免じてその辺で許しちゃ貰えませんか?!

アッシも、この野郎からは、兄貴!と呼ばれる間柄に御座んす。こんなケチな野郎の土下座なんぞと、お思いでしょうかぁ〜、声も出ねぇ〜馬鹿に代わり、此の通り!!謝らせて頂きやす!!」

旦那「安五郎さんとやら、もうその辺で結構です。親不孝の馬鹿な半端者ですが、どうぞ、是からも、野郎の面倒を、どーうかぁ!お頼み申しやす。

富八!貴様が本気で、親父が生きているウチに、謝って孝行する気があるんなら、俺が口をきいてやるぞぉ!?

どうだ?!先ずは、おふくろさんの墓参りなんぞに、親父を誘ってみては?!その気に成ったら、何時でも井筒屋に来い!悪い様にはしねぇ〜ぞぉ!!」


そう言って、太左衛門は、袂から巾着袋を出して、小粒ばかりで、三両の銭を取り出します。

旦那「お三人さん!是は頭割りには少ないが、帰りに葺屋町河岸で、鰻でも食って帰ると宜い。俺の小言を仕舞いまで聞いて貰った手間だぁ!!」

安「是は!是は!さすがさすがの流れ石。井筒屋のご支配人だ!目糞みてぇ〜なぁ、小悪党の三人を!帰り易くなさって下さる!酸いも甘いも弁えた。。。江戸っ子だなぁ〜、憎いよ!ご支配人!日本一!」

旦那「安五郎さん、煽てても、小粒は増えませんから。」

ニコニコして蝙蝠安が、二分金の小粒を、一人二つずつ、一両ずつ分けようとすると、與三郎が此処で初めて口を開きます。


與三「安五郎さん!最初(ハナ)からの約束通り、私は分け前は要りませんから?!」

安「忘れるトコだった!!其れでは遠慮なく!富八、あと小粒一つずつ分け前が増えたぞ!與三さんに、礼を言えよ。」

富八「與三郎の旦那!お有難う御座います。」

安「何だ?!その礼は、乞食丸出しだなぁ〜。」

旦那「さて、安五郎と富八のお二人さんは、小粒がキラリと三つずつも光ったからは、この家にはもう用は、有りませんよね?

おなごり惜しいが、帰って頂けますか?!その傷だらけのお兄さんを残して。そして、其方の傷のお兄ぃさんは、ちょっと残って下さい。是非、お伺いしたい事があるんで、宜ぉ御座んすか?」

安「ハイ!帰ります帰ります!!ぴっかり光れば帰ります。おい!富公、行くぞ!!そして、與三郎さん、又、何処かでお会いしましょう。」


三両の銭を折半した蝙蝠安と目玉ノ富八は、戎顔で、本気で鰻を頂くつもりか?!葺屋町河岸の方へとフラッカ、フラッカ歩いて消えて行きました。

さて、一人残された與三郎。先程、あの目玉ノ富八を泣かせて仕舞う、あの小言を聞いた直後ですから、沈黙の中、一つ大きな音をさせて、唾をごくん!と、飲み込みます。其の空気に堪らず、お富が喋り始めました。


お富「旦那、そんな気味の悪い化け物は、早く帰して。。。」

旦那「待て!お富、お兄さん!あんた、もしかして、日本橋横山町の鼈甲問屋、伊豆屋の御子息、與三郎さんじゃ、御座いませんかぁ?!」

與三郎「えぇ、まぁ〜。。。その通りです。」

旦那「私は、先程、富八の奴に小言をくれた折に、申した通りで井筒屋の番頭をしている太左衛門といいます。

私は、主人に店の仕切り全てを任されたご支配人で御座いますし、又候(またぞろ)、貴方は、鼈甲問屋の跡取り息子で若旦那だ。」

與三郎「ハイ、仰る通りで御座います。」

旦那「お富!隠す事はない。私はお前の素性や過去も、だいたいは存じています。それに、この若旦那!與三郎さんとも、浅からぬ関係だった事もだ。

ただ、全ては人伝に聞いた噺だ。出来れば、私は当人同士から、全てを聴いてみたいんだ。お富!與三郎さんと私の前で、本当の事を教えておくれ。」


お富「日頃からお情深い旦那の事ですなら、嘘の無い所で、包み隠さず、全部をお噺申します。

妾(アタシ)は、元上総木更津で、長脇差の女房となり、根が深川の芸者上がり、浮気が常なる此身の行い、思えばアレは三年前!!

與三さんと馴れ初めたが、夫に知れて與三さんは嬲り殺し!!其の苦しみを見るが忌さに、妾(アタシ)は海に身を投げて、漂う様に夢現。

其の木更津の沖中で、魚醤の仕入に此の江戸から、往った(いった)船から助けられ、情け深い御主の介護を受けて江戸へ来て!!

便る知るべを品川の、些かの縁を力草、心にもない憂き月日、存命でいた其の中に、遂に貴方のお世話となり、おもきが上の夫重ね、

何不自由なく今日、この日まで暮らしておりましたが、貴方の前では言い難いが、実はその時木更津で、死んだと思った與三さんの、追善佛事は貴方に内々、

今日も今日とて、薬研堀の金比羅様に参詣し、帰る途中の同朋町、摺れ違ったる一人の男!顔は見えねど頬冠り、

怖いが見たさに覗いて見れば、顔から掛けての傷だらけ!其の顔を見るに付け、それと心の想いは反比例!!

若し、與三さんが生きていたら、あんな顔になりはせんか?!と、墓なき事を思いながら、家へ帰って休息して、貴方のお留守を幸に、

佛間に向かって念佛を唱えて居る中、三人連れ無頼組の銭貰い、弱音を見せじと女だてら、啖呵を切っているその最中に、

傷だらけの此のお方が、手拭い取っての鯔背な科白!妾(アタシ)に向かって『與三郎だ!』と、只一言!!

聞いてビックリ、見てビックリ、そして、触ってビックリ!それじゃぁ〜、丸で幽霊だ!!そんなら先刻(さっき)同朋町で、

摺れ違ったもこの人かぁ?!よもや真の與三さんではと、まだ疑いの晴れぬ中、折り良く旦那がお出になり、二人の奴は庇蔭(をかげ)で帰り、

残るお方を呼び止めた、旦那の御心、妾(アタシ)と訳ありだと直ぐに悟る聡明さ、何んにも隠しは致しません!

妾(アタシ)は、只々、こんな女の為に、與三さんが、此の様な醜い姿に成ってしまったかと思うと、一重に悲しゅう御座います。」

お富が語る真実を聞き、太左衛門は泪を拭いて、ゆっくりと語り始めた。


旦那「與三郎さん!私は是迄、お二人の事情を知らずお富の世話をやき、囲って参りましたが、

幸にと言っては語弊があるやもしれんが、正式に夫婦に成ってはおらず、事情を知ったからには、貴方にお富をお返し致します。

そして、お富!お前は、與三郎が受けた傷、特に心に付いた傷を、お前が一生掛かって治してやりなさい。

それがお前の是から背負って行く定めなのです。二人で苦労を共にして、先ずは、伊豆屋の旦那さん、女将さんが自慢する様な夫婦になりなさい。」


そう言うと太左衛門は、お富を與三郎へ返して、玄冶店の家も名義を自身から、お富に変えて、此れを粋な手切金代わりに渡してやるのでした。

一方、與三郎とお富は、晴れて誰にも文句は言わせない夫婦となり、玄冶店の家は、太左衛門への義理を通して売却はせず残し、

二人、手に手を取って伊豆屋へと向かいます。そして、與三郎が「お富を女房にしたい!!」と、両親に打ち明けるのですが、さて、どうなりますか?、其れは次回のお楽しみです。



つづく