與三郎が、薬研堀から付けて来た新造の家を見張っていると、背後から見るからに、堅気ではない風態の二人組がやって参ります。
「安の兄貴!此処です此処です、此の家です。」
「此処かぁ〜!目玉のぉ〜、お前さんの言う新しく越して来た、囲われ者の新造の家と言うのは?!」
「そうです。女中と新造の女所帯ですなから、まぁ、ちょいと凄めば小粒は出すと思います。」
此の二人は、此処玄冶店の在る現在の人形町、水天宮界隈を縄張りにしている小悪党で、四十過ぎの兄貴!兄貴!と、呼ばれている奴が、通称・蝙蝠安。
名前の由来にもなった横顔一杯に彫った蝙蝠の刺青が特徴で、この日は、何故か?地味な女物の着物を着ております。
一方もう一人、三十凸凹の年格好で、背が高くヒロっとした毬栗頭で、目ん玉がギョロっとしている方が、通称・目玉ノ富八と申します。
安「富!誰か先客が来てやがるぜ!、玄関格子の脇につっ立ってやがる?!」
富「ありゃぁ〜、讀賣じゃありやせん?」
安「おーよ!何んも喋ってねぇ〜しぃ。」
富「では、門付?!」
安「違げぇ〜よ!手拭いを頭には乗せるけど、あれは放っ被りだろう。それに、三味線が居無ぇ〜。」
富「口三味線の新手かもしれませんぜぇ!?」
安「馬鹿!口三味線の門付何て聞いた事が無ぇ〜。盗っ人!押込み盗賊じゃねぇ〜かぁ?!」
富「俺たちと違って本寸法ですねぇ?!」
安「何とか、あちらの盗賊さんにお願いして、俺たちが小遣い程度、小粒を一つ強請るのを、先に遣らせて下さい!って、お前言って来いよ!!」
富「アッシが言うんですか?先に遣らせろって?!兄貴も一緒に行って下さいよぉ〜。」
安「分かった!一緒に付いて行くから、お前から切り出せ。」
恐る恐る、蝙蝠安と目玉ノ富が與三郎の近くまで来て、肩をトントンと叩いて、噺掛けようと致します。
富「放っ被りのお兄ぃさん!すいません、ちょっと顔を貸しておくんなせぇ〜。」
声を掛けられた與三郎、中へ入るか?其れとも暫く待つか?悩んでいる最中に、目玉ノ富八から声を掛けられて、少しビックリは致しましたが、其れに素直に従います。
黒板塀の方へ三人で移動して、目玉ノ富八が與三郎へ切り出します。
富「えぇ〜お見それ申しやした。兄ぃ失礼さんで御座んすが、お前さんは、此の家にどんな御用がお有りで、此の糞暑い中、放っ被りなすって居る所を見ると、本寸法の盗賊なのか?と、お察し致しやす。
コチとらぁ、チンケな小遣い銭稼ぎの強請り、たかりの乞食みてぇ〜な、本の小悪党で御座んす。
お前様にとっては、目腐れ銭みたいなモンを、あの家の新造から、恵んで貰おうってそんな料簡で参っております。
だから、どーか!アッシ達に、新造との駆引きを先にやらせて下さい。決してお前さんの商売の邪魔は致しません。どーぞ、宜しくお頼み申し上げます。」
與三郎、何の事かは分かりませんが、其処は賢い人なので、目玉ノ富の申し出を、推量しながら、言葉を選び選び、返答致します。
與三郎「イヤ!私は怪しい者じゃ御座いません。確かに此の温気に放っ被りしちゃいますが、是には深い訳が。。。
そんな事は、どうでも宜い。私は盗賊では有りません。実は、ほれ此の通り。。。」と言って、手拭いを取り、二人に顔を見せてやる與三郎。
すると、ギョっとした顔になる二人でしたが、素顔を晒した與三郎が、「日本橋横山町三丁目伊豆屋喜兵衛の倅、與三郎と言う堅気です。」と、名乗ると、蝙蝠安の方がハッと何かに気付いて、ニヤニヤしながら語り始めました。
安「お前さんが、横山町の『斬られ與三』と異名を取る!お兄さんでしたかぁ。此奴は、誠に、お見逸れしやした!!
アッシは蝙蝠安と申しますケチな博打打ちで、コッチが相棒の目玉ノ富八に御座んす。以後、お見知り置きを願いやす。」
明らかに年嵩の蝙蝠安と目玉ノ富八の二人が、與三郎に対して、下手に出て頭を下げて挨拶して来ますから、與三郎!私は商人だと申しますが、二人は格上の同業扱い致します。
安「與三さんは、何でも上総の木更津じゃぁ、地元で一番の長脇差の女房に姦通(まおとこ)仕掛けなすった、スケこましの世界では、幡随院長兵衛か?丹羽屋善兵衛か?って筋金入りのお一人だ。
今宵は、『喉元過ぎれば熱さを忘れる』で、この家の新造を、格子戸の外から獣(けだもの)みたく鋭い目で物色中を、飛んだ色ごとのお邪魔をして、申し訳御座んせん。」
與三郎「飛んでもありません!ただ、私はこの家の新造が、私の死んだ知り合いに瓜二つだったもんで、誰だか気になり、思わず薬研堀から此処まで付けて来ちまったんです。」
安「ほーう、其れじゃぁ與三郎さんは、あの女が何者か?探ってなさったと?!」
與三郎「へい!左様で。其処でお願いと言っちゃ〜、初対面の貴方がだに失礼かも知れませんが、この家ん中へ、強請に入るなら、私も仲間の態で、ご一緒させちゃぁ〜貰えませんか?」
安「其奴は、面白い!!一つ趣向と行きやしょう。アッシと富は、お前さんを『兄貴!』『若親分!』とお呼びしますから、後ろで少し偉そうにしていて下さい。
そして、万一、この家のご新造が、銭を出し惜しむ様な場面になったら、初めて手拭いの放っ被りを取って、こういう啖呵を、ご新造に浴びせて下さいまし。
モシ姐さん、大の男が三人もガン首揃えて、米付きバッタみたいに頭下げているだ!!百両二百両の金じゃあるめぇ〜し、此処は一つピカッと光る小粒を恵んじゃくれめぇ〜かぁ?!
是を芝居口調の巻き舌でぶつける!そしたら、どんな強気の新造でも、ビビッて小粒を出すと思いますんで、イザとなったその時は、一つ宜しくお頼ん申します。」
與三郎「アッシは、分け前は要りませんから、その兄貴役で、一枚噛ませて頂きます。」
安「此奴は有難てぇ!二つ返事で、與三さんに引き受けて貰えたら百人力だ!なぁ、富公!!」
富「勿論でゲス。キズだらけの化け物の兄貴が、芝居の座頭として、後ろで控えていてくれたら、こんなに心強い事は在りやせん!!」
安「座頭と言えば、切札の啖呵の前に、手拭いを取る仕草。是だけは、一度ちゃんと稽古しておきましょう。
手拭いの前の部分に折り目を付けて、粋で鯔背に片手て、そう!!パッと勢いよく取ります。違います!もっと素早くお願いします。そう!その感じ、その感じ!!」
與三郎「貴方がたのご商売には、色々と作法や決め式がお有りで、覚えるのが大変ですねぇ?!」
安「まぁ、決め式って訳じゃ御座んせんが、こういう塩梅にしておいた方が、凄みが増して仕事は遣り易くなりやすからぁ。親分!では参りやしょう!!」
そんな芝居の稽古がありまして、蝙蝠安、目玉ノ富八を従えて、與三郎は、お富のような女の家へと乗り込みます。
そして、勢いよく格子戸を富八が開けて、蝙蝠安、與三郎の順に中へと入る玄関先!安が口火を切って新造に向かって挨拶致します。
安「御免なすって、お頼み申します。」
新造「ハイ!どなた?」
と、言った女が玄関先に来てみれば、顔半分が黒い蝙蝠の刺青の入った女物を着た四十絡みの奴と、その傍らには、ノッポで毬栗頭で目玉がギョろっとした野郎。
更に背後を見てやれば、薩摩飛白の単衣に、今流行りの茶博多の巾廣の帯を付け、白い素足に雪駄履きの、見るからに高そうな着姿(ナリ)拵の、前がへの字の深い放っ被りをした男が立っている。
自然と険しい顔になる女が、ジロッと安を睨み付けたて、繰り返した!「どなた?!」是に安が答えます。
安「アッシです。お初にお目に掛かります。」
新造「どなたですか?何者ですか?」
安「アッシはアッシ!でゲス。近頃、めっきり暑くなりましたねぇ〜、ご新造。」
新造「だ・か・ら!貴方がたは、どちら様ですか?!」
安「アッシら、怪しい者じゃ御座んせん。ただの人間です。そこで、アッシら、ご新造を女と見込んでお願げぇ〜に参りました。
此処に居る、放っ被りの若いお方は、アッシらの親分の倅、若!に御座んす。その若が、何の因果か田舎の峠道、鎌鼬に合いなすって全身、特に顔に傷を負って御座います。
そんな訳で、子分一同が可哀想な若を、湯治に出してやろうって事に成りやして、箱根までの草鞋銭を集めて廻っております。
赤の他人のご新造に、こんな事をお願い出来る筋合いじゃねぇ〜のは重々承知しておりますが、ご新造さんのお気持ちで結構です。
どうかぁ若の湯治の草鞋銭を、気持ちだけで結構です。お恵み下さい!!どうか、宜しくお頼み申します。」
新造「左様ですかぁ、其れは其れはご苦労様です。たとえ嘘でも聞いたからには、義理を出すのが江戸の常。アタシは田舎者じゃぁ〜御座んせんから、
そんなに多くは出来ませんが、鼻紙代莨銭くらいのお付き合いを、断る様な野暮じゃ御座んせん。では、取って参ります、少々お待ち下さいなぁ。」
安「早速のご理解、本当に痛み入ります。」
そう言って新造は、奥に消えて、半紙に二百文、二朱を包んで持って参ります。この半紙を受け取った蝙蝠安が起こり出します。
安「ヤイ!ご新造、此の包みはたったの二百文じゃねぇ〜のか?!大の男が三人来て居るんだ、二百文って事は無いだろう?!」
新造「こりゃぁ〜ご挨拶だね、兄さん!!草鞋銭でいいから恵んでくれと言うから、慈悲だ出した草鞋銭だ。二百文も在れば御の字だろう?!」
安「ご新造!確かに草鞋銭とは言ったが、こっちは、ピカッと光る小粒が見たいんだ!どうか、ご新造!俺たちをニッコリ笑顔で帰してやって呉れ!!」
新造「ヤイ!馬鹿をお言いでないよ!二百文とてされど二百文、地びたを掘って出て来るもんでなし、大切な天下の通用金だ!!
それを、小粒が欲しいだなんて、贅沢な言い草だ!小粒一つと言えば、うちの女中・お滝の十日分の給金だよ!そんな大枚、赤の他人のお前さん達に、呉れてやる程、アタシゃ甘かぁ〜無いからねぇ!一昨日来やがれ、ベラ棒めぉ!!」
安「一昨日来やがれ、ベラ棒めぇ!!まで言われちゃぁ〜、こっちも、切札を見せるしか有りませんなぁ!若。では、若!お願げぇ〜致します。」
言われて、後ろで見ていた若、こと、與三郎。相手の女が、木更津で死んだはずのお富だと確信致します。その上で、この有名な科白、啖呵が飛び出します。
與三郎「え、ご新造さんぇ、女将さんぇ、お富さんぇ、いやさぁ!これ、お富、久しぶりだなぁ〜。」
お富「そういうお前は!?」
與三郎「おうよぉ、與三郎だ!!」
お富「えぇっ。與三さん!」
與三郎「お主ゃぁ、おれを見忘れたか?!」
お富「えええ!!」
與三郎「しがねぇ恋の情けが仇
命の綱の切れたのを
どう取り留めてか 木更津から
めぐる月日も三年越し
江戸の親にやぁ勘当うけ
拠所(よんどころ)なく鎌倉の
谷七郷(やつしちごう)は喰い詰めても
面に受けたる看板の
キズが勿怪(もっけ)の幸いに
『斬られ與三』と異名を取り
押借(おしが)り強請りも習おうより
慣れた時代の玄冶店!!
その白化(しらば)けか黒塀に
格子造りの囲いもの
死んだと思ったお富たぁ
お釈迦さまでも気がつくめぇ
よくまぁお主ゃぁ 達者でいたなぁ
安やいこれじゃぁ小粒じゃぁ
帰ぇられめぇじゃねぇか。」
與三郎の思わぬ啖呵に、蝙蝠安と目玉ノ富八の二人も、あんぐり口を開いて見惚れておりました。兎にも角にも、こうしてお富と與三郎は再会する運びに相成ります。
つづく