木更津本町は、藍屋の裏手の長屋へと湯屋を出た赤馬源左衛門と海松杭ノ松の二人が訪れていた。
松蔵「お熊さん!!いらっしゃいますか?海松杭ノ松蔵です。」
お熊「ハイ!是は是は、海松杭の代貸!あらぁ〜赤馬の親分さんまでご一緒で、今日は、どう言った御用ですかぁ?!」
松蔵「他でもねぇ〜、うちの姐さんの事さぁ!!覚えが在りなさるだろう!?お熊さんよぉ〜。お前さんが、姐さんに小遣い銭貰って、藍屋の客人!與三郎との逢い引きの世話ぁ〜焼いているのは、ネタが上がってるんだ!!」
お熊「嫌ですよぉ〜代貸!!誰から聞いて、そんな噺をされているんだか、アタシゃさっぱり心当たりが無いけど。。。お富さんは、親分一筋ですから!!」
松蔵「おうおう!婆さん、白らこいのぉ〜。ネタは上がってんだ!!四日前の十一月二十八日も、姐さんから手紙が届いて、其れを貴様は藍屋へ届けたじゃねぇ〜かぁ!!見たんだよ!!こちとらぁ。
知らないとは言わせねぇ〜ぞ!!更にその日の昼過ぎに、お前が姐さんと鶴屋で会って、與三郎の返事を渡した所まで、こっちはちゃ〜んと跡を付けて在るんだ!!
ヤイ、婆!!ぐうの音が出るなら、なにか言ってみやがれ!!コン畜生めがぁ!!」
そう啖呵を切ると、海松杭ノ松は、匕首を抜いて畳に突き刺し、其れを握ったまんま、物凄い形相でお熊を睨み付けてた。
お熊「そこまでバレちゃぁ〜、言い逃れは出来ませんねぇ〜。分かりました全部お噺します。だから、そんなぁ物騒なモンは仕舞って下さいなぁ、代貸!!」
そう言うと、お熊は、吾妻権現の祭の後、お富に頼まれて與三郎との密会の手助けをしていた事を全て白状してしまう。すると、
赤馬「お熊さん!俺はお前さんを責める気は無いし、お富にはお前さんから聞いたなんて、決して言いはしない。
だが、最後に一つ、お前さんに頼みが在るんだ。頼みと言うのは、又間違いなく二、三日内に、必ずお富がお前さんに手紙を頼みに来る。
そしたら、何食わぬ顔で、今まで通りその手紙を與三郎へ届け、返事はお富に返して欲しい。
ただし、俺達は、二人の密会場所が知りたいから、手紙を渡す前に、此の松の野郎に見せて欲しいんだ、出来るかい?!」
お熊「ハイ!勿論です。できますとも!!」
赤馬「ならば是をやろう。少ないが取っておいてくれ、手間だ!」
と、赤馬源左衛門が一両だすのを、「有難う御座います!!」と、拝む様に受け取るお熊。続けて、源左衛門。
赤馬「手紙を松に首尾良く届けてくれたら、後金に、もう一両出すぜぇ、婆さん!!」
お熊「本当ですか?!」
赤馬「あぁ、本当だ。頼んだぜ、お熊さん!!」
お熊「ハイ!任せて下さい!!」
お富と與三郎の密会仲介役・お熊の家を出た、赤馬源左衛門と海松杭ノ松の二人は、源左衛門の家に向かう道すがら、何やら相談を始めた。
松蔵「業つくなぁ婆ですねぇ〜。姐さんからも、たんまりと小遣いを貰っていたはずなのに、アッサリ裏切るし、ろくな奴じゃぁありませんねぇ、あの婆!!」
赤馬「用が済んだら、殺(や)っちまいなぁ!あの婆。」
松蔵「殺るんですか?!」
赤馬「当たり前だ!俺様の顔に泥を塗ったんだ。たっぷり、思い知らせてやれ!あの因業婆に。」
松蔵「ヘイ!」
赤馬「其れからぁ〜、江戸深川七場所では、音に聞こえた『横櫛お富』。それを、豪商や大名と競って落とした俺様だかぁ〜、あれだけの女だ、浮気や摘み喰いをしねぇ〜かと、
最初(ハナ)は大層用心していたんだが、妾だった頃から丸五年、全く怪しい素振りは見せなかったのに。。。正式に女房に直して一年経つか?経たぬ間に、胡麻の蝿が付いて仕舞うとは。。。
身請けに使った銭が、二千五百両だぞ!!松。此処は一つ、赤馬源左衛門を裏切ると、どんな目に合うか、心底思い知らせてやる必要が在る!!」
そう言って源左衛門、海松杭ノ松に、何やらひそひそと持ち掛けて、お富と與三郎を罠に嵌める算段に取り掛かります。
一方、そんな事が起きていようとは、お富の方は露ぞ思いませんから、今晩の宴会の準備に励んでおりました。と、そこへ二人が帰って参ります。
お富「あんた!それにしても、長い湯だったねぇ?!」
赤馬「あぁ〜いい湯だったのも在るが、松ノ湯の女将と久しぶり会って噺をしたら、長い!長い!其れに、珍しい野郎と湯の帰りにばったり会って、噺込んじまった。
それはそうと、お富!お前も行って来たらどうだぁ?!いい湯だったぞ。」
お富「そうかい!それなら、宴会の準備は、だいたい片付いたから、お言葉に甘えて、お湯屋へ私も行って来ます。」
そう言って、お富が湯屋へ出掛けると、源左衛門は、松蔵や子分達と酒を酌み交わしながら、九十九里、銚子での旅の土産噺を披露していた。
そして、半刻ばかり時が過ぎると漸く、お富も松ノ湯から戻って来て、その輪に加わり呑み始める。すると、源左衛門が少し神妙な様子で口を開く!
赤馬「お富!こっちへ来て、酌をしてくれるか?」
お富「へい!親分、改まって!どうなさったんです?!」
赤馬「先刻(さっき)、俺が帰るなり、他所に妾をこさえてあるんじゃねぇ〜かと悋気して、可愛い所を見せられたばかりで、言い出し難い事なんだが、
俺は、長脇差だから、相撲取と一緒でお声が掛かれば、行かなければなんねぇ〜、義理がある。
さっき話した通りで、湯の帰りに姉ヶ崎藤助が、困った顔して俺が出て来るのを待っていやがる。「どうした!藤助」と声を掛けると、
実は、野田と流山で仕入れた味噌と醤油を、自ら手配した船で、江戸迄運ぶ算段だったが、船底の塩梅が悪く、代わりを探しているが見付からない!
そこで、俺が銚子から戻っていると聞き付けて、湯から出るのを待って、俺の樽船を借りに来たと言う。
最初(ハナ)は、船を借りに来ただけかと、思っていたら、宜く々々聞くとこの船が、ただ人足で味噌醤油を運ぶ船じゃねぇ〜んだ。
確かに、半分は其れが仕事だが、残りのもう半分は味噌と醤油の問屋筋の旦那衆を客に、盆茣蓙を開帳する『船上の花会』だと言うんだ!
其処で、藤助の野郎が持ち掛けて来た噺によると、往路の船は俺が胴元で、代わりに復路は藤助が胴を取る折半の条件で、樽船を出してくれないか?!と、言って来た。
野田や流山のお大尽が大勢集う花会だ!!丸々、一泊二日の大勝負になる。片道千両!二千両の勝負だ、断る道理が無い!!
今回は、松の野郎もお伴に連れて行く。問屋筋の旦那衆との顔繋ぎになれば、海上の花会を、内の一家でも、独自に遣れれば大儲けになるからなぁ!!
行きと帰りに船の上で四日、お大尽達を江戸で岡に上げたら接待せねばなるめぇ〜、是が十日として、だいたい半月留守になる見当だ!お富、必ず半月で戻る!すまないが、また、留守を頼む!!」
赤馬源左衛門の「直ぐに江戸へ再び!」と、言われて、内心は『ヨシ!また、與三さんとイチャイチャできる!!』と北叟笑むお富でしたが、
そんな素振りは微塵も見せず、心とは真逆の言葉を赤馬源左衛門へ浴びせます。
お富「江戸へ行くのなら、私も連れて行って下さい!親分。お大尽達の接待だって、私が見事に仕切ってみせますから!どうかぁ、親分!私もお伴に連れて行って下さいなぁ〜。」
赤馬「駄目なんだお富!!今回ばかりは堪えて、留守番をしていてくれ!」
そう言われたお富、胸の内は嬉しさ百倍なのに、そこは色にも表さず、泪をポロりと溢し、美しい顔を八の字に寄せて、赤馬源左衛門を睨んでいます。
お富「なんぼ、女房が古くなったからと言って、二月も家を空けて帰るなり、また、半月の旅に出て行くなんて!!
確かに、渡世の義理は長脇差としちゃぁ〜、何より大事か知らないが。。。お前さんと言う男は、本に邪険だよぉ〜!!」
お富が、そんな憎まれ口を叩くと同時に、隣家から三味線を稽古する音色が聴こえて参ります。其れは浄瑠璃『太閤記』の十段目、初菊と十次郎の噺が語られ始めます。すると、続けてお富が、
お富「親分!正に、アタイもこの初菊の思いで。。。御座います。」
是を聞いた脇に居る海松杭ノ松が、「姐さんの初菊は、見てみたいけど、親分はどう逆立ちしても、十次郎って柄じゃ無い!どう贔屓目に見ても、受け入れらんねぇ〜やぁ!」
赤馬「松!そりゃぁ、あんまりなぁ言いぐさだぜぇ。兎に角、お富!又、留守を頼む。」
そう言ってその晩は酔いしれる源左衛門でした。翌日、ゆっくりと目覚めた赤馬源左衛門は、江戸へ出る準備を始めます。
其処へ、海松杭ノ松も現れて、その出立を見てやれば、縞の合羽に三度笠、足拵えも厳重に、長刀を腰に落とし差しにして居ります。
お富「アンタ!お気を付けて。」
赤馬「おう!お富、江戸土産は何が宜い?」
お富「お前さんの無事と早い帰りが、何よりの土産だよ!!」
赤馬「嬉しい事、言うじゃねぇ〜かぁ、じゃあ!行って来る!」
玄関先、お富が石を打って二人を見送ると、源左衛門と松蔵は、木更津湊の樽船が在る浜へと歩いて行きます。
二人の姿が見えなく成るまで見送ったお富は、家に入ると、直ぐに與三郎への文を認めます。そして、その手紙をお熊の所へ届けます。
すると、是を受け取ったお熊、直接、與三郎へは手紙を渡さず、海松杭ノ松が待っている浜辺の小さな漁師小屋へ見せに参ります。
お熊「海松杭の代貸!!居なさりますか?」
松蔵「おう!締まりして無いから、入って来な?!」
お熊「お手紙をお持ちしました。」
松蔵「ヨシ、此方へ渡しなぁ!」
松蔵が読みますと、二人は明日の晩五ツの鐘を合図に、浜辺の三本松に在る赤馬源左衛門の別宅で落ち合う段取りが、書かれております。
此の別宅は、先妻がまだ存命でお富が妾だった頃の住まいで、普段は管理をする下男の清蔵が住んでおります。
その別宅で、清蔵には小遣いを渡して暫く國へ帰して、その留守に與三郎を引っ張り込む算段の様です。
松蔵「ありがとう、婆さん。中身は分かったから、此の手紙を藍屋の色男に直ぐ届けてくんなぁ!色男が返事を書いたら、又、此処に居るから頼んだぜ!」
お熊「はい。では、行って参ります。」
お熊が藍屋に手紙を届けると、直ぐに與三郎が返事を寄越したので、直ぐ様、此れを松蔵の元へ届けます。
松蔵は、與三郎が明日の逢い引きを承知して、その口実に、叔父の藍屋へは、江戸金と遊ぶ事にすると書かれておりました。
松蔵「直ぐ、この手紙は姐さんへ届けてくれ、そしたら、此処へ戻って来なぁ!?後金の一両を渡すから。」
松蔵がそう言いますと、お熊は目ん玉を算盤の様に輝かせて、ニッコリ笑い「ハイ!」と返事をして駆けて行きます。
そして。。。
お熊「海松杭の代貸!行って来ました。それでは、お約束の一両!!」
松蔵「おう!今やるから、戸をしっかり閉めて、こっちへ来て手を出しなぁ!!」
そう言って懐中から匕首を出して、やって来るお熊を刺そうとしましたが、お熊が一瞬早く是に気付いて逃げ様と致します。
しかし、自分で閉めた戸の前で、海松杭ノ松に捕まり、髻を引き寄せられて、背中から心の臓を一つ突きにされて、ギャッと呻いて絶命します。
そして、松蔵は、お熊の死骸を担いで松林へ運び、あらかじめ掘ってあった穴へ埋めて、何食わぬ顔で、赤馬源左衛門が待つ、君津の旅籠へと向かいます。
赤馬「おう!ご苦労だった松、首尾はどうだ?」
松蔵「段取り通り!何の問題もありません。」
赤馬「でぇ、お富と與三郎は?!」
松蔵「明日の夜五ツの鐘を合図に、浜に在る別宅で逢うようで御座んす。」
赤馬「恐らく夕方、樽船が出港するのを見届けて、逢うつもりだなぁ?!でぇ、お熊婆さんはどうした?!」
松蔵「大丈夫です。仰せの通り始末しました。」
一方、そんな事とは知らないお富は、樽船が出た後、別宅へと戻り、前日頼んで置いた仕出を受け取り、與三郎を迎える準備を致します。
又、與三郎の方は、叔父の藍屋源右衛門に、今夜の外出前に、少し小言を喰らいます。
藍屋「與三郎!お前が木更津に来て、もう、丸々一年になります。最初(はな)は何処へも出ないで家にばかり居るから、私も婆さんも心配したが、
権現様の祭を境に、今度は三日と開けず夜出歩いての朝帰りだ。叔父さんは、遊ぶなと言っている訳じゃない。野暮は言いたくないが、程々にして欲しい。
江戸金からの誘いだそうだから、行くな!とは言わないが、今日は早目に帰るんですよ。叔父さんは兄貴から、お前を預かっている立場だから、心配なんだ。」
與三郎「ご心配をお掛けして、相すいません。今夜は早く戻りますので、どうかご心配なさらずに、我儘をお許し下さい。」
そんなやり取りの後、五ツの鐘が鳴りますと、與三郎は藍屋を出て、お富が待つ浜辺の別宅へと急ぎます。
與三郎「遅くなりました!與三郎です。『山』」
お富「『川 豊!』、逢いたかった!與三さん!」
與三郎「今晩は!『鳥羽一郎です。』」
お富「冗談はさておき、與三さん!早く上がって!!」
二人は、仕出の膳部を前に、酒をやったりとったりしながら、また暫く赤馬源左衛門が留守なので、逢い引きが出来ると、実に嬉しそうに食事を致します。
そして、遠寺の鐘が聴こえ四ツを告げる頃、寒い!寒い!と、二人は言って、二人して温ったまるべく、二階へ上がり一つ布団へと入ります。
暫くして、突然!裏木戸口を打ち壊して、侵入して来る大きな物音が致します。そのまま、真っ暗な室内を通り、ハシゴを駆け上がり、雲を衝く様な大男と、もう一人が押し入って参ります。そして!!
姦通(まおとこ)見付けた!!覚悟しやがれ。
其れは勿論、赤馬源左衛門と海松杭ノ松の二人でした。
つづく