宝暦三年も、やがて暑い夏になり、其れが過ぎると嵐が来る秋になります。米の収穫も済んで海が高波の季節となる九月十五日。

木更津の鎮守の神、吾妻大権現と言う神様が御座いまして、九月十五日は鎮守様のお祭。漁師も百姓も商人も、皆んな仕事を休んで『豊年とならん事』を祈ります。

勿論、祭は前日の宵宮から山車が出て、近郷近在からの人出は多く、踊り行列やテキ屋の屋台なども在り賑やかなお祭と成るのです。


抑も、この吾妻権現なる神は、何ぞやぁ?!と、申しますとその御神躰は、日本武尊の寵姫『橘姫』をお祀りした神に御座います。

日本書紀によりますと、景行天皇の皇太子、日本武尊父帝に代わり、東夷征伐の為に橘姫は此の地に御發向と相成り、東夷を尽く(ことごとく)討ち果たし、父である日本武尊を迎え入れて、その号令の元、此の地を平らげる。

やがて討伐軍一行が、この浦辺より武蔵の國へ御渡海なさらんとした折、日本武尊の袖に縋り、何やら嘆願する者是在り。

日本武尊が「何んぞ?」と、問われると、その者答えて「今は、君の武徳をもって夷狄は鎮静成るも、君去り給わば、是また蜂起致すは必定。由に『君、去り給うなぁ!!』」と、言上成す。

是を聞いた君は、武蔵の國に帰らぬ訳には参らぬと、御渡海を強行されて此の地を去ろうとする。すると海を司る龍神の怒りをかって、日本武尊を乗せた船は沈没の危機を迎える。

しかし!其の時、父を救わんと立ち上がったのが橘姫で、龍神の怒りを沈める為に、自らの命を龍神に差し出し、荒れ狂う嵐の海へと入水する。

是により龍神の怒りは消えて、海は凪へと変わり、日本武尊は九死に一生を得て、船は武蔵の國神奈川へと漂着する。

尚、『君、去り給うなぁ!!』が転じて『君の去らぬ土地』と言う意味で、『君、去らず』『木更津』となり、袖に縋って泪の嘆願をした浜を『袖ヶ浦』と呼ぶ様になる。

ただし、袖ヶ浦には諸説あり、元々、地形が着物の袖の型をしているから、既に此の名で呼ばれていたとか、入水した橘姫の袖が流れ着いた場所だからなどなど、真意は不明で御座います。

さて、神奈川へ着いた日本武尊は、最愛の娘である橘姫を失った失意は大きく、やがて、袖を引かれて嘆願された、あの東夷征伐の地へと戻り小高い山の上から、橘姫が入水した海に向かって泪に暮れる日々を過ごされたと言う。

是を見た地元民は、君の悲しみの深さを慮り、この山に社を建てて、橘姫の鎮魂を祈願します。そして、そんなある日、橘姫が着ていた着物の一部が浜に漂着し、

是を見た日本武尊は、「この衣を、社の御神体に」と指図してこの地を去るのです。やがて、この社が吾妻権現と呼ばれ、此の山も吾妻権現山と呼ばれる様になるのです。

この様な由緒正しく伝統のある吾妻権現のお祭ですから、踊りの指南を江戸から呼び寄せたり、山車や神輿にも贅が尽くされていて、江戸の祭にも引けは取らぬ!!と、町の人達は自負しております。


さて、遠くの方から笛や太鼓の賑やかな音が聞こえて来ますから、店が休みで朝から本を読んでいた與三郎も、一つ噺の種にと、祭に繰り出してみる気になっておりました。

與三郎「叔父さん!私も、ちょっと祭見物に出掛けてみようかと思います。宜しいでしょうか?!」

源右衛門「其れは構わないが、江戸で山王や神田明神の祭、そして浅草で三社祭を見ているお前さんには、ただただ退屈な祭だぞ?!恐らく。

其れでも見たいのなら、止めはしないが、地元の人と接する時は、其れを決して口にしなさんなぁ!間違いなく喧嘩になる。

お前さんに怪我をされると、兄貴に合わせる顔が無くなる。重ねて言うが、祭を貶す様な発言はご法度だぞ!いいなぁ?與三郎。

其れから、祭なんだから、着る物にも気を使ってくれぇ!叔母さんに頼んで、洒落た着物を用意させるから、いいねぇ!?」


叔母が、アレコレと悩んで単の派手な小袖と藍染の鮮やかな唐桟の羽織、白献上の博多帯と真っ白な真新しい足袋を用意してくれた。

是に、印傳の巾着袋を下げて、その中に紙入れと莨入れは仕舞い、緑鮮やかな花尾の、柾目で低い歯の下駄を履いて、與三郎は九ツ過ぎに出掛けました。

賑やかな通りに出て山車や神輿を見てやれば、確かに叔父さんが言う通りだ!地元の人は『江戸勝の伝統在る祭だ!!』と自慢するが、

この囃子は何ん何んだ?!笛も、鐘も、太鼓も間延びして粋じゃない!!田舎の芝居のハメモノみてぇ〜だ?!

そう思った與三郎は、可笑しくなって薄ら笑いになっていますから、ハッ!と致しまして、このニタリ顔に因縁付けられ、喧嘩を売られては敵わない。

そう思いますから、人通りを避けて裏の路地を進む事に致します。フラッカ!フラッカ!散歩をしていると、にわかに小腹が空いて来る。

何処か料理屋か?一膳メシ屋、居酒屋なんぞ無いものかと、更に路地をフラッカ!フラッカ!しておりますと、

前から袷の派手な縞模様の着流に、雪駄を裸足で突っ掛けた、見るからに無職渡世の長脇差です!と、看板を付けて歩いて居る様な、

七、八人で徒党を組んで歩いて来る集団が御座います。その中に「姐さん!姐御!」と呼ばれる派手な小袖に黒繻子の帯を胸高に締めて、一際大きな飾り入の鼈甲横櫛を差した年増が居るのが見えて来ます。


誰だ?この女?!何者だ?!


與三郎が、その女とすれ違いざま、チラッと顔を見てやれば、今まで二十二年生きてきて、素人、玄人、千人くらいの女を見て来たと思うが、こんな所に居やがった!一番が。

電気の無い時代ですから、この一目惚れを、電気が走るとは申しませんが、ビビビッ!っと背筋を走る何かを感じた與三郎!!

もう、この女をうっちゃって置く事は出来ません。ただ、取り巻きの渡世人達とは、仲良くするつもりは御座いませんから、今日の所は、何処の誰だか知りたい!!其れノミを願う與三郎でした。

そして、與三郎がビビビッと一目惚れして立ち止まって居りますと、意外な事に、女の方も一間半程先でボーっと突っ立って居りますから、

先を行く取り巻き連中が、「姐御?!何を茫然とそんな所に突っ立って居るんですよ、鶴屋へ行きますよ!!」と、声を掛けます。

すると、女もハッ!と致しまして、「茫然なんでしてないよ!!直ぐ行く。。。其れにしても、誰だろ?!あの色男、役者かねぇ〜。」そう呟いて、又、野郎どもの輪に入ります。

女「今のお役者様の様な色男は、何処のどいつだい?」

男「姐さん!アレが藍屋に江戸から来ていると言う客人とか。ほれ!子守ッ子から糊屋の婆さんまでもが見たがると言う、アレが噂の色男でさぁ〜。」

女「アレが藍屋のぉ〜。通りで今業平は伊達じゃないねぇ〜。」

男「駄目ですよ、姐さん!親分の留守に、あんなのを摘み喰いしちゃぁ。」

女「お前なんかに言われなくても、分かっているさぁ!!それに、こんなぁお婆ちゃん、向こうが眼中に無いよ!!さぁ、着いた、上がるよ、今日は全部アタイの奢りだ!!ジャンジャン呑んで、食べとくれぇ〜!!」


この女は、木更津の博徒!赤馬(赤間)源左衛門の女房で『横櫛お富』。女だてらに二つ名で呼ばれる元深川芸者の成れの果てである。

此のお富、元は江戸の大家の商家に生まれましたが、父親が商売でしくじり九つで深川仲町の老舗芸者置屋『喜久屋』に売られます。

所謂、辰巳芸者は、金春芸者などに比べて、芸も体も両方売る『二刀流』ならぬ『二枚看板』が多い中、お富は芸は売るが体は売らぬ身持ちの硬い芸者で知られていた。

だから、置屋への借金も高額で、その額は二千両とも言われておりました。そんなお富が二十歳の年、数多名乗りを上げた身請け競争を制したのは、大名、旗本、豪商ではなく、なんと!無職渡世の長脇差でした。

一年掛けて、江戸での花会三昧!!赤馬源左衛門が手にした銭は、五千両。半分をこのお富の身請けに使い、残りを源左衛門は船に投資いたします。

この人生を掛けた江戸での大勝負は、赤馬源左衛門の名前を関八州の親分衆に轟かせました。是まで登場した天保年間の長脇差、

常陸ノ皆次、銚子ノ五郎蔵には流石に遠く及びませんが、佐原ノ喜三郎、倉田屋文吉、笹川ノ重蔵よりは少し劣り、

飯岡ノ助五郎、勢力富五郎、夏目ノ新介、清瀧ノ佐吉には、敵いません。まぁ、成田ノ勘蔵や芝山ノ仁三郎と、ほぼ同格の存在です。



さて、女を囲む一団と別れた與三郎は、トボトボと藍屋へ帰ろうと相変わらず路地を彷徨っていると、「與三さん!!與三郎さんじゃ御座んせんか?!」と、声を掛けられます。


誰だ?!


と、声のする方を見てやれば、其れは、江戸をしくじり木更津へと流れて来た髪結、本人は髪結新三を気取る髪結の戯作者、江戸屋金兵衛!通称江戸金でした。

江戸金「祭見物ですか?與三さん!」

與三郎「金さん!?この祭に、来ていたんですか?!」

江戸金「まぁ、お得意さんも、ご贔屓さんも、私を呼んで下さる方が、この祭には、少なからず参加なさって居りますから、お礼参りに。。。そりゃぁ〜出向きますよ!商売柄。」

與三郎「節句は、遠の昔に済んで居てもですか?!」

江戸金「嬉しい事を言いますね、與三郎さん?!」

與三郎「じゃぁ、本息で科白を言いますか?『新三ぁ〜、宜い節句だなぁ〜!!』、どうです?!」

江戸金「嬉しいなぁ〜!與三さん。この片田舎で、江戸の粋や、楽しみを感じ合える仲間は貴重だ!!で、どうです?此処のお祭は?!」

與三郎「正直、山王や神田明神、浅草三社を知る生粋の江戸っ子には、祭囃子を聞いただけで苦笑が漏れてしまいます。ただ!!」

江戸金「ただ?何ですか?!」

與三郎「凄い別品の年増に、アッシはお目に掛かりやした?!アレは江戸でも、なかやかお目に掛かれない。祭を超えた上玉だ!!驚きです。」

江戸金「見ちまいましたか?『横櫛お富』!!」

與三郎「横櫛お富?!

江戸金「ハイ!ここ木更津を縄張りにする無職渡世の博徒、赤馬源左衛門の女房で御座います。」

與三郎「主ある方なんでゲスねぇ〜!?当たり大前田の英五郎ですなぁ〜!!」

江戸金「さて、與三郎さん!!是からどうなさるねぇ?!」

與三郎「小腹が空きませんか?鶴屋で、メシにしませんか?!アッシが、金さん!!奢りますよ。」

江戸金「鶴屋!!よぉ〜ガス!!お伴のご馳になりやす!!」


江戸っ子同士、阿吽とでも申しますかぁ、二人は馬が合い、與三郎はもしや横櫛お富に逢えるかも知れない淡い期待の淡路町!!

鶴屋の名を出して、木更津のぉ〜!!逢うも逢わぬもは、逢坂の関と相場は決まっておりまして、是や此の、勝負!!とばかり店の玄関戸を開きます。

二人は、トントン、トン!!とハシゴを登った四畳半。唐紙の向こうにお富達が居るとも知らず座敷に二人通されます。


木更津では先輩の江戸金が、タニシのネギぬた、戻り鰹の中落ちと、鱸(スズキ)の洗いを注文致します。そして、是を聞いて居た與三郎が一言物申します。

與三郎「金さん!!髪結新三を気取りなさる貴方が、どのような料簡で、この時期の鰹を食いなさる?!タニシや鱸は許せても、江戸っ子のアッシは、戻りの鰹だけは解せません!?」

江戸金「俺も、此処へ来た三年前は、同じ科白を吐いていたっけ?!まぁ、與三さん!騙されたつもりで、この鰹を食ってご覧なさい?!」


言われて與三郎は、江戸金が薦める様式で、山葵ではなく、生姜と大蒜の卸し、酸味にダイダイと薬味のネギと茗荷を刻み口に入れると、此れがすこぶる美味い!!


與三郎「何故だ?!金さん???」

江戸金「五月に食う初鰹は、まだ成長前の若い鰹で脂も乗っていないから、山葵を付けて生で美味しい鰹に違いない。だが、所詮、マグロで言えば赤身だ。

ところが、秋になり戻って来る此の季節の鰹は、成長して脂がたっぷり乗ってやがるから、春と同じ食い方をすると諄い(くどい)。

だから、こんな風に一手間掛けて、皮の方から藁の強い火力で叩いてやり、余分な脂を落として冷水で締めてやる。

更に、其処へ生姜や大蒜、茗荷にネギをたっぷり加えて、最後に下地とダイダイの酸味で、鰹の臭みも中和しているんだ。」

與三郎「そうか?!こっちはマグロで言うなら、中トロの旨味って訳かい?!初めて食ってぜ、美味い戻り鰹。」

江戸金「そうだろう、そうだろう!!江戸に居たら出逢えない美味だから。」


そんな噺で、戻り鰹に舌鼓を打っていると、隣りの客間から、風を通したいから、唐紙を開けさせて欲しいと言われ、江戸金も與三郎も、是を快く受け入れた。



すると、その隣の座敷には、件の『横櫛お富』と赤馬源左衛門の子分一行様の酒宴の席で、そのお富が、江戸金を見て声を掛けて来た。

お富「あらぁ、金さんじゃぁ、ないかぁさぁ〜。お隣は、先程すれ違った色男!!金さん、紹介して下さいなぁ?!」

江戸金「是は是は、お富の姐さん!!こちらは、藍屋に江戸から来ておられる、鼈甲問屋伊豆屋の若旦那で、與三郎さんです。」

與三郎「與三郎です。お初にお目に掛かります。」

お富「お初じゃないよ!!さっき言ったろう?此処へ来る前にすれ違ったって。まぁまぁ、そんな事はどうでも宜い事った。

唐紙を開けたんだ、今日は、そちらのお膳も、此方に繋いで、一緒に呑みましょうやぁ!若旦那ぁ?!」


そう言って半ば強引に、お富は與三郎と江戸金を酒宴に加えて、色っぽい目になり、與三郎にしな垂れて呑み始める。

是を横で見ていた赤馬源左衛門の一番の子分、一家の代貸、海松杭(みるくい)ノ松蔵は気が気じゃぁ〜ない。

是が、二人の出逢いと相成りまして、是から為さぬ仲の恋が始まり、二人は運命の渦の中へと引き込まれて参ります。



つづく


p.s. 本来は、三話と四話は、『木更津、忍恋路』と一本の話にしたかったのですが、四千文字に収まらず、二話となりました。