横山町三丁目鼈甲問屋の伊豆屋喜兵衛、即ち、與三郎の父は、宝暦二年十一月二十三日の朝、奥の広い応接間で、関良介と対峙して居た。


関「伊豆屋殿、本日は少し重大なお知らせが御座いまして、こうして朝からまかり越しました。」

喜兵衛「先生!其れで重大な噺とは?何で御座いますかなぁ?!」

関「御子息、與三郎殿の件で御座います。実は。。。」

と、三月五日に起きた神田川の旅籠『下田屋』の倅・茂吉の入水事故に端を発し、ゴロつき船頭の仙太郎から、半年以上に渡り與三郎が八十二両の金子を強請られていた事。

そして、仙太郎から受け続ける強請りの恐怖が、止みそうにもなく、與三郎は困り果て、番頭の善右衛門に相談して、三十両の手切れ金と証文を取る事で解決しようとしたが不調に終わった事。

更に、三十両の手切れ金の噺を、昨晩湯屋からの帰り道に、仙太郎へ與三郎が切り出すと、仙太郎は百両でないと納得できないと言い出し、言い争いとなって居る所へ、

たまたま関良介が通り掛かり、二人を一旦関の家へ連れて行き噺を聞き、仙太郎と言う男が、根っからの大悪党で、此のまま百両払っても、手切れは無理と判断した事。

其処で、百両を渡すと仙太郎を騙し、雪の中、神田川沿を牛ヶ淵まで連れ出して殺害。死体を堀に投げ捨て始末した事までの、全てを語った。

聞いていた伊豆屋喜兵衛は、いちいち、関良介の噺に驚き、それを聞き終わると、漸く重い口を開きます。


喜兵衛「さて、先生!昨夜は本当に倅の為に、親にも出来ぬ様なお骨折りを頂き、此の伊豆屋喜兵衛、先ずは倅に成り代わり心よりお礼を申し上げます。

ただ、御浪人、武士とは言え、貴方様に人一人殺害させる様な始末をさせて仕舞いました。万一、此の事が公儀に露見すれば、先生の身に縄目が打たれる事がないか?私は心配です。」

関「伊豆屋殿、前にもお噺し致しましたが、川越藩の禄を食んでいた時分、拙者は朋友の為に人を斬り浪人と成り申した。

其の時も、そして昨晩も、拙者自らが決めて良かれと思って刀を抜いた結果で御座る。武士ならば、後悔する様な事は夢夢御座らん。」

喜兵衛「なんと!先生。花は櫻木、人は武士とは申しますが、先生の武士(もののふ)たらん志に、この喜兵衛!感服致しましたぞ!

せめて、倅・與三郎を悪党から救って下さったお礼を、形にしたいと存じます。先生!どのような謝礼をお望みですか?!なんなりと、仰って下さい。」

関「伊豆屋殿!拙者が、此処で金銭や土地・家作をお主から貰い受ければ、斬り殺した仙太郎と同じに成る。

今回は、其のお気持ちだけ頂戴して、この関良介が万一窮した場面が御座った時に、ご相談申し上げると言う事で、心に留め置いて下されば十分で御座る。」

喜兵衛「先生は、真の武士で御座いますなぁ〜。汚れた商人の料簡ばかり観ておる私には、眩い限りに御座います。」

関「所で、與三郎さんの事だが、こんな事になったからは、暫く、江戸から離れて暮らされた方が宜いと思います。

住む環境を変えて、心機一転、二年か三年、時薬で心が入れ替わったら、また江戸へ戻られると宜い。」

喜兵衛「何から何まで、ご心配をお掛けします。先生の有難たいご助言、此の伊豆屋、考えて置きます。」


そう言って喜兵衛は、関良介が帰った後、直ぐに與三郎を呼んで、流石に仙太郎を関先生が斬り殺したとは言わず、手切れが出来たが、お前は暫く江戸には居ない方が宜い!と、言い聞かせて、

実弟、與三郎にとっては叔父に当たる上総の國木更津の藍問屋『藍屋源右衛門』に預ける事に致します。

早速、番頭の善右衛門に手紙を持たせて、木更津の藍屋へと向かわせる。茂吉や仙太郎の一件は一切言わず、商人として與三郎を成長させる一環で、暫く木更津の藍屋に預けたい!と認めます。

弟の源右衛門も、時折、商用で江戸に来ると、伊豆屋へ寄っては與三郎を可愛いがり、何かあったら木更津へ泊まりに来い!と、しきりに誘っておりましたから、是は吉報でした。

噺はトントン拍子に決まり、関良介が仙太郎を牛ヶ淵で殺して半月もしないうちに、その年の師走、與三郎は江戸を出て木更津へと旅立つのでした。


番頭の善右衛門がお伴になり、夜が明けぬ七ツ半に日本橋横山町を出た與三郎は、まず木場へと出て、其処から江戸湾沿いの街道を船橋を目指します。

船橋で昼食の休憩を取って、更に湾岸沿いの街道を現在の幕張辺り、やや千葉寄りの花見川でこの日は一泊し、

更に翌日も明け六ツ前の夜がようよう白み始めた頃には、宿を立ってまたまた、湾岸沿いの街道を、千葉、蘇我を通り、その先の五井で昼食の休憩と成ります。

五井を出ると木更津はもう目の前で、姉ヶ浦、長浦、袖ヶ浦、此処から山手へ南下して巌根を抜けると、もうその先が木更津で御座います。


源右衛門「よく来た!與三郎。又、番頭ドンもご苦労様です。善右衛門さん!お前は今月二回目の木更津だ、この暮れに本にご苦労さん。」

善右衛門「何のぉ!京、大坂では御座いません!木更津ですから、三泊四日で江戸を往復できます、商人なら苦労とは思いません。」

源右衛門「そうかい。さて、與三郎!お前のオヤジ、私の兄貴の手紙によると、お前さんは大そうモテなさるそうなぁ。番頭ドンからも聞いたぞ!『横山町の今業平』だそうなぁ?!」

與三郎「番頭さん!余計な事を叔父さんには言わないで下さい!!」

善右衛門「私は嘘は申しておりません。」

源右衛門「お前さんが、あまりにモテるから、素人の娘ッ子ばかりか、芸者や女郎までもが言い寄って来る。だからその内、主在る女、人の女房と間違いを起こしはしまいか?!と、兄貴は心配していたぞ!!

そこで、お前さんに、江戸で良い女房を見付けるまで、一年か?二年、お前を木更津で預かってくれろと、兄貴は言って来ている。

俺たち夫婦には、子供が無いから家は大歓迎だ。一年二年とは言わず、五年十年居たって構わない。何なら藍屋の養子にしても。。。それは、兄貴が首を縦に振るまいが、

どっちにしたって此処へは、お前が居たいだけ居て構わないからねぇ!!また、ここいらの女は『化けベソ』みたいなのしか居ないから、兄貴の憂いには一番だ。

ささぁ、二階にお前の部屋が用意してある。風通しと日当たりの宜い南向の部屋だ。先に届いているお前の荷物も置いてあるから、一息吐いたら今晩はお前の歓迎会だ!!」


そんな塩梅で、與三郎は叔父の藍屋夫婦に、我が子の様に可愛いがられて居候をしております。特に決まった仕事が在る訳でなし、江戸から持ち込んだ書物を紐解き、学問をするのが主な日課で御座います。

そして、偶に藍屋の店が忙しそうにしていると、力仕事はカラっきしの與三郎ですが、算盤と帳簿の方は得意ですから、丁場格子に入り番頭さんの補佐を致します。

すると、木更津は小さな漁師町ですから、先ずは男達の目に留まり、藍屋の店先に偶に出てくる役者みたいないい男は何者だ!?と、噂が立ちます。

すると、今度は其れを聞いた女房、子が、私も一眼見たい!!からと、藍屋の前には、下は九つの子守ッ子から上は八十過ぎの糊屋の婆さんまでもが集まります。


源右衛門「是は是は、お集まりの皆さん、アレなるは我が自慢の甥、與三郎に御座います。江戸は日本橋の横山町では、『横山町の今業平』とか、『傾城殺し!』『芸者泣かせ!』と噂されて、

浮名を数多く流した為に、両親から木更津での修行を仰せつかり、今修行中の身の上の我が自慢の甥ッ子で御座います。

皆さん!見料を取ったり致しません!藍屋は太っ腹で御座います。町で與三郎をお見掛けの折には、気軽に声を掛けてやっておくんなさせぇ〜。」


叔父源右衛門の妙な口上のおかげ?!もあり、木更津の町に来て一ヶ月足らずで、與三郎は町に知らぬ者は無いと言って過言ではない有名人になってしまいます。

最初は恥ずかしい気持ちで一杯だった與三郎ですが、江戸っ子が冷やかすのとは、木更津の田舎は違いまして、尊敬の念を感じますから、與三郎も悪い気は致しません。

そして、新玉の春を迎えた宝暦三年。何事もなく、また、三月花見の季節を迎え、與三郎は三月四日・茂吉の一周忌だなぁ〜と思いますから、

あの狸囃子の伝説で有名な『證誠寺(しょうじょうじ)』に自らが出向き、茂吉供養の為の塔婆を立てて、一心に詣る與三郎でした。


◇證誠寺の狸囃子の歌


https://youtu.be/aa4DLxca9ko


野口雨情が木更津を訪れた際に、證誠寺に伝わる民話に触れて、是を児童文学雑誌『金の星』に作詞として発表します。

翌年には、この作詞を元に中山晋平が改作して、是に曲を付けて発表したのが、この『證誠寺の狸囃子』なんですよねぇ〜。

大正十四年と申しますから、與三郎が木更津を訪れた、実に百年程後の噺で御座います。



つづく