直侍とは兄弟盃を解消し、森田屋清蔵は江戸を離れ、そして一番可愛いがっていた闇の丑松は五斗兵衛市夫婦を殺し、小半の仇を討って町奉行所へ自訴した。

一人になった河内山に追い討ちを掛けたのが、向島に隠居所を構えます元老中の中野石翁が、重病でいよいよ危ないと言う知らせを受けたからである。

この中野石翁の威光があればこその河内山で、石翁の威光が地に落ちた今、河内山宗俊のハッタリも、もはや風前の灯火。

相変わらず城勤めは怠りがち、長期病欠の願いを出して下谷練塀小路の屋敷に引き篭って居ります。ですから、髭はボーボー、月代も伸び放題の有り様です。

そんな宗俊の元へ、城坊主にも悪い仲間が有りまして、三人の坊主が、久しぶりに河内山邸を訪ねて参りまして、二十両の臨時収入が入ってからと、河内山に遊びの指南を願って参ります。

偶には、坊主仲間と付き合いで遊ぶのも悪くないと、月代を五分まで切り、髭を三ヶ月ぶりに綺麗に当たります。

そして、取り敢えず、上野、浅草へ行く気分では無いと言って、練塀小路から秋葉ヶ原を通り鳥越へ。更に大川を目指して柳橋へと四人(よったり)で、フラッカ、フラッカ歩きます。

そして、柳橋からは船に乗り品川へと向かう事にします。というのは、歩く道すがら、『最近、品川の土蔵相模と申す、貸屋敷が大評判だ。』と言う話になり、

この日は、その土蔵相模で一泊。翌朝、ゆっくりと高輪通りへ出て、紀伊國屋と言う料理茶屋へ入ります。

月代を五分程に伸ばした坊主が、朝から四人で飲みに来た訳ですから、茶屋の主人は、そりゃもう渋い顔です。粗相の無い様に古株の女中に応対させて、

主人「此れは此れは、旦那様四名様!お二階へご案内!!」

と、二階の角の四方見晴らしの良い座敷をあてがいます。

四人は、酒をちびりちびりやりながら、往来の人を眺めておりますと、まだ遠くて、年齢はハッキリとは知れませんが、縞の単衣に、柾目の新しい駒下駄を履き、頸にタゲ白粉を塗って、手拭いを下げた女が近いて参ります。


いい女だ!!


ゾクッとする程の飛び切りの美人で、色は透き通る程に白く、首は鶴の様に長い。狭い額に、細い眉、目は白魚の如く切れ長で、鼻筋が通るおちょぼ口。顎はシュッと尖り、頸から漂う色香は全ての男を虜にする。

そんな女が、店の前へと通り掛かったので、河内山、「あの女人は何方ですか?」と、店の女中に尋ねると、此の店の裏手の一軒家に、実母と二人暮らしの清元の師匠、延稲(のぶいね)だと言う。

続けて、河内山が、「何方の持ち物かい?」と言うと、女中は、少し小さな声になり、三田寺町にある報徳寺の住職で、年は四十ニ、三の寺坊主観山の囲われ者だと言う。

更に、女中は、尋ねもしないのに、此処、紀伊國屋へもその観山は延稲を、時々連れて来て、生臭は食べるわ、酒は飲むわと、秘密をバラし捲って下がって行った。


此れを聞いて、三人のただの不良坊主は、ふーんと聞き流して終わるが、河内山宗俊は、この話に金の匂いをプンプン感じるから、

此処、紀伊國屋での食事を終えると、三人とは分かれて別行動を取り、取り敢えず夕方まて、春日明神の社務所に儲けられた釈場で時間を繋いだ。

前座が拍子木を鳴らして七ツ半を告げたので釈場を出て、三田寺町の報徳寺へと向かう河内山。

報徳寺は思ったよりこじんまり寺だが、墓石に刻まれた名前を見ると、太い檀家が揃っていて、金の匂いを感じます。


宗俊は、寺の中に入り花売りの婆さんから、樒(しきみ)を二本ばかり買い求め、水を入れた桶に差して、墓の有る方へと歩きます。

そして、『津藩小谷久右衛門直國 施主』と彫られた一際立派な墓を見付け、この墓の周りを掃除して、花を手向て線香を上げ始めた。

津藩と言えば、藤堂和泉守様のご領分で、宗俊も良く知る大家、その重臣、小谷直國と言う人物の関係者になりすまして、何やら悪巧みを思い付いた様です。

宗俊「婆さん!色々と手間を掛けた。有難う、此れは少ないが取っておいてくれ、私の気持ちだ。」

手伝わせた婆さんに、二百文の手間賃を渡すと、喜んで何度も頭をペコペコ下げて門の方へ戻って行く。

河内山宗俊は、本堂の玄関に行き、「頼もう!!」と声を掛けると、奥から小坊主が出て来た。

宗俊が「拙者は、藤堂藩小谷直國の縁の者であるが、ご住職はいらっしゃいますか?」と、言うと。

小坊主は「左様ですか、取次ますので、此方でお待ち下さい。」と、先ずは客間に通されて待つ様にと言う。

小坊主の取次を聞いて、和尚は大切な檀家、小谷久右衛門の縁家と知り、此れはゾンザイには出来ない!!と、急いで客間へ向かいます。


和尚「是は々々、拙僧が本寺の住職で、觀山と申します。」

宗俊「おぉ、是はご住持。お初にお目に掛かります。私は小谷久右衛門直國の縁者で、藤堂藩医師、小林潤南と申します。

久しく國表に居りましたが、この度、出府の沙汰を頂き、五日前に江戸表に帰って参りました。先ずは、参詣をと思いまして本日罷り越して御座います。

そして、只今、承りますれば、先日、御隠居様が見えられたとか?」

和尚「左様です。」

と、河内山、藤堂藩の医師になりすまして、和尚と半刻ほど四方山噺をして、若干の回向料を置いて帰り側に、

宗俊「あのぉ、ご住職。夜道が大分暗くなりました故に、一つ提灯を貸して下さいませんかぁ?」

和尚「お易い御用です。珍念!珍念!提灯をお客様にお持ちしなさい。」

と、小坊主に提灯を持って来させます。そして、河内山は、小坊主から『報徳寺』と名入りの提灯を受け取り、「忝い!」と言って寺を跡にします。


報徳寺を出た河内山宗俊。その足で今度は、高輪の清元の師匠・延稲の家を目指します。そして、玄関からではなく、裏木戸へ回り、黒い羽織を後前反対に着て、夜の暗い闇で見ると袈裟に見える様に細工します。そして、裏木戸を叩く。


ドンドン!ドンドン!


延稲の母親が庭から廻って出て参ります。

母「何方ですか?」

宗俊「延稲さんのお宅でしょうか?延稲さんはご在宅ですか?」

母「ハイ、延稲の住まいですが、その提灯の様子では、報徳寺さんからですか?」

宗俊「ハイ!左様です、報徳寺からの使いで参りました。実は、今しがた、住職の観山が倒れまして、生死を彷徨う状態です。」

母「本当ですかぁ?!延稲!ご住職が大変です。」

母親の呼び掛けで、延稲も奥から出て参ります。

延稲「観山和尚に、何が有ったのですか?」

宗俊「今夜の夕食に、蟹を食べていたのですが、蟹の毒に当たり、偉く苦しみ出しまして、まだ、意識の有るうちに、延稲を呼ぶ様にと指図を受けました。

寺方の和尚の一大事ですから、お金の分配と寺の相続ては、必ず、揉め事が起こります。そこで、延稲さんも、最初(はな)から席に着いて頂いていないと、相続の権利を有耶無耶にされかねないので、

是より、拙僧が先達になりますので、報徳寺まで、延稲さんに来て頂きたく、宜しくお願い申します。」

延稲「分かりました!此方こそ、宜しくお願いします。お母さん!留守番を頼みます。観山和尚が、無事ならば直ぐに帰りますが、相続で揉めると、二、三日は帰れないかもしれません、宜しくお願いします。」


河内山宗俊の口車に、延稲はまんまと騙されて、出掛ける支度を致します。また、母親は河内山を、報徳寺からの使者と信じておりますから、『少ないですが、蕎麦でも食べて』と心付を包みます。

そして、高輪口の駕籠屋で、駕籠を一丁仕立て、其れに延稲を乗せて、自身は歩いてお伴をする河内山。

報徳寺の近くで駕籠から延稲を下ろすと、手間と酒手を渡し駕籠屋を帰します。そして、延稲を玄関脇から、暗い台所へと連れて行き、板の間の脇に座って待つ様にと言付けます。

全く事態を飲み込めない延稲は、初めて入った報徳寺ですから、ぐいぐい来る宗俊の命令に従う以外にありません。

そして宗俊は、羽織を直して、再び玄関から、報徳寺の奥へ呼び掛けます。


宗俊「御免ください!夜分すいません。」

珍念「ハイ、あら?小林様。。。また、何か?!」

宗俊「御免!」

と、言って河内山宗俊、そのまま、ズカズカ、ズカズカッと奥へと入って行きます。此れを見た珍念が驚いた!!

和尚の観山からは、酒を飲んでいるから、檀家の偉い方でも通すな、上手く追い返せ!!と、言われていたのに。。。南無三だぁ!!

酒を飲んでいる部屋へ、河内山宗俊が、いきなり、唐紙をバッ!と、開いて飛び込んで来る。和尚の観山は、驚いたの!驚かないの!結局、驚いた!!


観山「是は々々、小林様。いやぁ〜、恥ずかしい所を見られてしまいました。今夜は、風邪気味で。。。体を芯から温める為に、般若湯を少々やっておりました!!」

宗俊「いやぁ〜、どうぞ、其の儘、其の儘。」

観山「いやはや、飛んだ内幕を見られて面目次第も御座いません。」

宗俊「いいぇ、ねぇ。私は、お前さんに言い忘れた事があって、わざわざ戻って来たんだ。聞いてくれますか?!」

観山「左様ですかぁ、どうぞ、伺います。」

宗俊「ヨシ!その前に俺にも一杯、その般若湯を、茶碗でくれ!!」

そう言って茶碗酒を煽った河内山宗俊が、改めて口上申し上げます。

宗俊「ヤイ!観山、こんな肴よりも、もっとお前好みの肴が、台所に用意してあんだ!今、持って来るから、有難く思いねぇ〜。」

そう言って河内山、台所に待たせていた、延稲の手を引いて、観山の前に引っ張りだす。

宗俊「エぇ〜、観山さんへ。ヤぁサぁ、和尚!!目の前のその肴が、貴様は一番の好物だろう。」

観山「あぁ、お前は延稲!!」

延稲「貴方は観山和尚が、蟹の毒で生き死にの彼岸だとおっしゃいましたが。。。貴方は?」

宗俊「よーく承れ!!拙者は寺社奉行、脇坂淡路守の配下、隠密、秋草新太郎だ!!切支丹宗門の蔓延るを防ぐ事は言うに及ばず、

貴様の様な、数々の五戒を守らぬクソ坊主を成敗する為の隠密が、拙者、秋草新太郎なのだ!!貴様、きっと、淡路守様の前へ引っ立てるから覚悟致せ!!」

観山「秋草殿!どーか、今宵だけは、この金子で見逃して頂けませんか?」

宗俊「ならぬ!拙者は、寺社奉行直属の隠密ぞ!三十両の目腐れ金で、淡路守様を裏切れるかぁ!どうせなら、裏切れるだけの金子にせい!!」

こんな、叩き売りの値引き交渉みたいなぁ、やり取りの末に、百両の金子で、今回だけは特別に見逃す事に決着する。

宗俊「この金子で、貴様の罪が帳消しになったと思うな!!今夜だけ、拙者の温情で見逃してやるだけだ。いいなぁ?!尚、この女は、拙者が母親の元へ送り届ける。」

観山「秋草殿、其れには及びません。延稲はこの寺に泊めて、翌朝、珍念に送らせます。」

宗俊「黙れ!黙れ!貴様、まだ分からんのか、この金子を戻し、この寺を潰して、貴様を張り付けにするぞ!其れで良いか?」

観山「申し訳有りません。心得違いをしていました。延稲を、宜しくお願いします。」


河内山宗俊と、延稲は、報徳寺から高輪へと歩き始めた。すると、直ぐに河内山が延稲な手を強く握り締める。

延稲「イヤぁ、貴方!何をなさいますか?無礼なぁ。」

宗俊「なぁに、驚くには及ばねぇ〜俺はなぁ、今朝高輪の紀伊國屋の二階から、お前さんの湯屋からの帰り姿を、仲間三人と眺めていて、

俺たち四人が囃し立てたら、お前さん、俺たちに向かってニッコリ笑っただろう。何か野暮を言う様だが、俺はあの笑顔に一目惚れだ。

其れで今日は、まずお前をどうすれば、家から連れ出せるか?次にあの生臭坊主との手が切れるか?そして最後、是が一番大切なんだが、そのクソ坊主から銭が引っ張れるか?

この三つを叶える為に、久しぶりに死ぬ程、頭を使ってやり遂げたんだ。やっぱり、このやる気!是を湧き立たせるモノに久しぶりに出会って、本当に楽しかったぜ。」

延稲「貴方のその強引な所。私は嫌いじゃありません。」

宗俊「此処で、提案なんだが、折角、百両手に入ったから、是はお前さんと二人で使いたい。今から、鎌倉江ノ島へ二人で行って、パッと使っちまわないかぁ?!」

延稲「分かりました。お伴はしますが、母にも留守番のお小遣いを渡して下さい。そして、御膳が、私の新しい旦那だと、自己紹介して下さいね、秋草新太郎様」

宗俊「分かった!そうするが、俺は隠密同心秋草新太郎じゃなく、お数寄屋坊主の河内山宗俊だ。」

延稲「あらまぁ?!」


さて、この後、十一代将軍文恭院殿御他界、後を追う様に、中野石翁も身罷り、河内山宗俊はいよいよ危ない体になります。


【河内山宗俊】

そんなある日、新たな強請りを企み、金子の受け渡しを湯島天神の梅の木下で、待ち合わしている所を町方に召し捕られて、伝馬町の牢屋へと送られます。

人通り調べは行われましたが、時の奉行が、身分は軽いが不気味に写る河内山宗俊を、正面からは裁く事が出来ず、牢内で毒殺致します。河内山宗俊、享年四十二歳。


【森田屋清蔵】

暫くは、妙義小僧と共に、秩父日野山中に潜んでおりましたが、海賊に戻る算段をして、小田原で船を調達し、いざ出航の三日前に全てが露見して捕縛。江戸市中引き廻しの上、獄門。その首も晒し首に。森田屋清蔵、享年三十九歳


【金子市之丞】

伝馬町牢内で斬首の刑となり、山田朝右衛門の手で処刑される。畚抜けを助けた者は、謎のままであるが、五人の六花撰や、その子分、及び関係ではない。道場時代の門弟の可能性が一番高い。流山の光明寺に閻魔堂と言う墓があります。


【片岡直次郎】

三千歳と別れて、金子市を火盗に売った事で、仲間内から村八分に。最後は強請りの罪で捕まり死罪。小塚原で処刑されて、南千住回向院に墓がある。


【三千歳】

三千歳の最期は分かりません。美人薄命なのか?大口楼の後の足跡は不明です。


【闇の丑松】

あのまま、自訴し七件の殺人で死罪となります。