いよいよ、闇の丑松を江戸へと差立てる日がやって参りました。熊谷界隈には、丑松の兄弟分が多く、万に一つも間違いが有っては成らぬと言う事で、
あえて秩父の山越から、翌日は小前田を通り、二俣原と言う三里四方の原を通ります。此処には二俣川と言う川が流れていて、秩父名代の畠山重忠が、北条氏の陰謀に掛かり討死した古戦場跡が御座います。
雲助「お役人様!そろそろ休憩に致しませんか?この先は、また山道峠道と成ります。ここらで昼食を取り、山を一気に超えて、出来ますれば、野宿するにせよ、平地で致しとう存じます。」
役人「アァ、宜し、宜し。拙者も同じ事を考えておった、あそこに見える辻堂、あの横に駕籠を置いて、昼食にいたそう。」
丑松が運ばれている差立駕籠は、四人で担ぐ駕籠で、雲助は六人で交代しながら運んでいます。お役人の許しが出たので、辻堂の横に駕籠を置き、
六人が一塊りになり、車座になって、握り飯を頬張ったり、莨に火を点けたりしおりました。そして、差立のオギチ専属の雲助の社会には、
彼ら特有の珍しい話が有りまして、東海道、中山道、そして日光街道を運んだ悪党たちの自慢噺に花が咲いております。
当時、罪人を差立で運ぶ際の雲助は、かなり身元がしっかりした者で、公儀(おかみ)への忠誠の高い者が選ばれておりました。
ですから、彼らは町中での信用も高く、このオギチ雲助は、『髷ッ節』で質屋から銭が借りられたと言います。
『髷ッ節』つまり、頭髪の手入をする権利を持って質屋が銭を貸してくれて、万一、払わないと丸坊主にされるし、質に入れている間は、決め式ですが、月代を当たる自由がありません。
つまり、役者や講釈師が得意演目を、質に入れた何て逸話がありますが、あれと同じ様に、頭髪を質に入れて銭が借りられるぐらいに信用が有りました。
オギチ雲助が、俺はあいつを運んだ!俺はあいつだ!と、自慢噺を、ワイワイやっておりますと、突然、篠竹を削りました矢が勢いよく飛んで来て、片方の護衛役人の左肩に突き刺さります。
ブスッ!!
致命傷では有りませんが、『アッ!』と声を上げて、その場に蹲り(うずくまり)ます。其処へ現れたのが、
黒天鵞絨(くろびろうど)の深縁取った野袴を履いて、深編笠を被った立派武士が、「汝等、この駕籠、身共が貰い受ける!!左様心得よ。」と、いきなり刀の鞘を払うと、
「出たぁ〜!」と、丸で幽霊でも見た勢いで、ギャぁー!!ギャぁー!!騒ぎながら、雲助は蜘蛛の子を散らす様に逃げて仕舞います。
すると、もう一人の役人が「曲者!させるかぁ!!」と、刀を抜いて応戦しますが、一刀の元に袈裟懸けに斬られて相果てます。
一方、矢の刺さった役人が矢を抜きながら、逃げる素振りを見せますから、飛び掛かり、首に刃を突いて仕留めてしまします。
そして、この天鵞絨の武士が口笛で合図を送ると、藪の奥から沢山の仲間たちが飛び出して来て、丑松の駕籠を何処かへ運んでしまいます。
何が起きたのか?呆気に取られながら、駕籠の中で縄を打たれた丑松は、まな板の鯉。どうにでも成れ!と、開き直っておりますと、どうやら此の山賊どもの住処らしい家に到着します。
駕籠を縛ってある縄を拂いまして、男が丑松に声を掛けて参ります。
男「丑松!危ねぇー所だったなぁ〜、もう、大丈夫だ、出て来ねぇ〜。」
丑松「へぇ、何方か存じませんが、危ない所を誠に有難う御座んす。」
男「何に、言ってやがる!俺だよ、俺。」
丑松「すみません、何方様でしたか?」
男「河内山の御膳の所で、二度、三度逢ってるぜ。この顔忘れたか?」
丑松「アッ!何だ、日本橋室町の献残屋!!森田屋の旦那じゃないですかぁ〜。会うのが七年、八年ぶりだからすいません。」
清蔵「そうだ、貴様に会ったのは、三千歳の一件の頃だから、七年、八年前にもなるなぁ。俺も江戸が危なくなって、河内山の御膳に相談して、
お役者小僧の金太を借りて、最後に、越後村上藩相手に一芝居打って千両せしめて、江戸を五年程前に逐電した。
暫くは上方で大人しくしていたが、船を手に入れてなぁ、海賊稼業を西の方でやっていたんだが、四国の伊予沖で船が沈没して、命からがら本州に辿り着いた。
そして、昔の仲間、兄弟分の山賊・妙義小僧の若太郎を思い出して、此処、日野の山中を訪ねて最近、草鞋を脱いでいるのよ。
若太郎、此方が何度か話にも出た、河内山の御膳の一番のお気に入り、闇の丑松さんだ。丑松、若太郎を是からも別婚に頼む。」
丑松「いいえ、此方こそ!宜しくお頼み申します。」
清蔵「古い言い方だが、親船に乗って陸(おか)で狆ころが吠えているぐらいの気持ちで居ねぇ。まぁまぁ、暫くはこの山中に足を留めて居るがいいさぁ。」
大勢の人々が、よってたかって丑松の世話をしてくれて大変親切に致します。だから、居心地が良くて、丑松はついつい、秩父は日野の山中に長居をしております。
妙義小僧一味と日野山奥に暮らして早くも半年が過ぎた闇の丑松。ある日、真っ青な顔をして、起きて参ります。
丑松「森田屋の旦那!」
清蔵「どうしたんだ、丑松。えらい顔色が悪いぞ?!具合でも悪いのか?」
丑松「いいえ、そうじゃないんです。此処、三日連続で、河内山の御膳の夢を見ます。何か、御膳に良くない事が起きているのでは?と、心配で、心配で。
其れで、江戸に戻り、河内山の御膳の様子を見に行きたいのですが?」
清蔵「分かった。命がけだぞ?丑松、江戸へ戻るのは。覚悟はいなぁ?」
丑松「ハイ、役人に見付かるようなドジは踏まないつもりですが、覚悟は出来ています。」
清蔵「そんな危険を犯してまでも、河内山宗俊に逢いたいと言うのなら、あえて止めねぇ〜。江戸に行って来い。
ただし、山道をなるべく通り、板橋宿に着くまでは、野宿の連続だからなぁ?いいなぁ?!」
丑松「分かっております。」
清蔵「よし。ならば路銀を、俺が仲間から集めてやる、それを持って江戸の河内山宗俊に逢って来い!!」
丑松は、森田屋清蔵から餞別を受け取り、日野の山中から江戸へと旅立つのでした。
つづく