アさて、そんな大鹿野神社の近くでは、地元の長脇差、貸元の村雨の松右衛門が花会(博打)を開いておりまして先程、手締めで散会しております。

よく人間の欲の始まりは、乳を欲しがる赤ん坊が、母親の片方の乳房をくわえながら、空いたもう片方を手で握る、此の両の乳房を独り占めにする料簡からだと申します。

そんな料簡の奴らが、花会の後、大半はやらて損した連中ですから、何とか帳尻合わせができる獲物は居ないか?神社の周りを探しております。

博徒「おーい!其処行くのは、銭屋の倅の安太郎じゃねぇーかぁ。」

安太郎「此れは、皆さんお揃いで。」

博徒「儲かったか?祭礼で?」

安太郎「ぼちぼちです。」

博徒「俺たちも、貴様ん所の仕出を取ってやったんだ、まぁ、話を聞け。その様子じゃ、仕出の掛取の帰りだなぁ?

って事はだ、銭を持ってるよなぁ?でだ。此れから俺たちは、ガラっポン!の続きを、そこの御堂でやるつもりなんだが、お前も付き合え!!」

安太郎「ご冗談を。此れからあと三軒、勘定を頂きに行かねばなりませんし、私は博打など致しません。ご勘弁下さい。」

博徒「いいよ、仕出の掛けなんぞ明日取りに行けば、今日は俺たちに付き合え!!」

安太郎「集金の銭は、私の物では有りませんし、私は博打など致ません!嫌です、帰して下さい。」

博徒「大人しく言っているうちに、言う事を聞け!ガタガタ抜かしてやがると、手足の二、三本、へし折る事になるぞ!!」


安太郎が無頼漢(ヤクザ)たちに囲まれて揉めている所へ、ちょうど丑松の菊松が通り掛かります。

丑松「若旦那!どうしました?!」

安太郎「菊松さん!!助けて下さい。この人達が無理矢理私を博打に誘って来るんです。」

丑松「こら!てめぇーら、うちの若旦那に、指一本でも触れてみやがれ、この俺が承知しないぞ!!」

博徒「しゃらくせぇ、お前は、銭屋の料理番じゃねぇーか、料理番が出しゃばりやがると、怪我するぞ!!」

丑松「お前ぇらみたいな田舎無頼漢(いなかヤクザ)に、やられる様なお兄さんとお兄さんの出来が違わい!!掛かって来やがれ、三下。」


相手は、山下の喜八以下、八人居りましたが、闇の丑松の敵ではありません。一発で、三人ほど伸ばして仕舞いますと、山下の喜八を残して逃げ出します。

喜八は、棒切れを持ちまして、丑松に殴り掛かりましたが、簡単に体を交わされて、脇腹をしこたま蹴り上げられて七転八倒致します。

喜八「野郎!よくも、俺様を酷でぇー目に合わせてくれたなぁ、覚えてやがれ!!」

丑松「覚えててやるよ!三下。俺がやった事だ、いつでも来やがれ、十人でもニ十人でも相手に成ってやるよ!」

喜八「いいだろう、今日の所は此れぐらいに、しておいてやるぜ!!あばよ。」


と、捨て科白を吐いて帰る喜八を見て、丑松は『お前は池乃めだかか!!』と、思いました。そして、安太郎を連れて、銭屋へと帰ります。

丑松「旦那、只今戻りました。」

安太郎「阿父っあん、只今。」

安兵衛「おぉ、無事だったか?一寸今、間違いがあったと知らせを聞いて、心配していたんだ。」

安太郎「ハイ、実はかくかくしかじかで。」

安兵衛「そうかぁ、其れは良かった。しかし、菊さん、お前は大変な事をしてくれた。」

丑松「エッ?!」

安兵衛「菊松、お前さんに捨て科白を吐いた山下の喜八は、村雨の松右衛門の子分の中でも、一番松右衛門から可愛いがられている奴だ。

弱いくせに、素人に因縁付けては巾を利かせる悪い奴で、正に、虎の威を借る狐だ。菊さん、たちが悪いのに、引っ掛かったなぁ。」

丑松「左様ですかぁ、そうなると奴等が此の家に押し掛けて来るかもしれませんが、『菊松は、もう居ない!暇を出した』と、追い払って下さい。跡はアッシ一人でカタ付けます。」

安兵衛「菊松!何を言い出すんだ。」

丑松「私ごときの為に、ご当家へご迷惑をお掛けする訳には参りませんし、私なりに、考えるところが御座います。

あの村雨の松右衛門という奴は、実の姉が代官河村清左衛門の妾なのを笠に着て、悪事の限りを尽くしておると小耳に挟んでおります。

ですから、アッシは常々、機会が有ったら松右衛門とその子分たちを懲らしめてやろうと思っておりました所、一つ江戸の本物は、この位恐ろしいんだよと、見せてやろうと思います。」

安兵衛「そんな!菊さん。無茶は止めて、うちの物置小屋にでも、当分隠れて居なさい。」

丑松「ご心配なさらずに、大丈夫ですから、旦那。短い間でしたが、本当にお世話になりました。もう、隠しても詮方ないので正直に申しますが、

私は、両國米澤町の菊松ではありません。訳有って本当の名前は申せませんが、江戸で、人を二人殺した凶状持ち、関わりにならぬが当家の為に御座んす。」

安兵衛「エッ!人殺し。。。」

ドン引きした安兵衛と安太郎を置いて、丑松は道中差を一本腰にブチ込んで、外の闇へと消えてしまいます。安兵衛は本当に狐に摘まれた心持ちてました。


銭屋を飛び出した丑松、半里ほど先の庚申堂へと入ります。と、申しますのは、村雨の松右衛門一家が銭屋へ押し掛けるには、必ず、この庚申堂の前を通るので、ここで待ち受ける作戦です。

漸く、夜が白みまして六ツの鐘が遠くで聞こえた頃、足音が近付くのを丑松は感じます。庚申堂の格子を少し開けて外を見ますれば、

村雨の松右衛門を先頭に、山下の喜八、玉屋の嘉十なと主だった子分二十人余りが、銭屋へと殴り込みを掛けようとしております。

この二十人が庚申堂の前に差し掛かったその時、丑松はタスキ十字に綾なして、着物の裾を尻ッ端折り、新しい草鞋の紐をきつく締め直して、戸を蹴破り外に出ます。

そして、電光石火!二十人の列のド真ん中に斬り込んで、いきなり二人を斬り捨てます。更に、脇差をぐるぐる回す様に斬り掛かる丑松に、突然襲われた松右衛門一家は統率が取れなくなります。

松右衛門や喜八が「斬れ!斬り掛かれ!」と叫んで指図は致しますが、いきなり斬られた二人は、一人が首が飛び、もう一人は胴真っ二つで腹わたが飛び出しております。

更に、三番手で、斬り掛かった玉屋の嘉十は、体を交わされ両腕を斬り落とされて狂った様に地面でのたうち回る始末です。

此れを見て、半数が来た道を一目散に逃げ帰り、残った七人もへっぴり腰で刀を前に突き出すばかりです。

「次は、どいつだ!!」と叫ぶ丑松に、「其れは、オランダ!!」と、洒落の一つも返せる奴など在りません。

ところが、そこへ村雨の松右衛門一家に援軍が参ります。代官・河村清左衛門、与力・篠崎源助、近藤宗兵衛が取方二十五人を引き連れて『御用だ!御用だ!』と駆け付けます。

其れでも、一刻ほど死力を尽くして抵抗する丑松でしたが、最後はハシゴで挟まれて召し捕りとなり、代官所へと連れて行かれます。


早速、代官所のお白洲で、代官川村清左衛門の前に引き出された丑松に、河村清左衛門の尋問が始まります。

河村「銭屋料理番、菊松!面を上げぇ。その方、道行く村雨の松右衛門一家の列に突然斬り掛かり三名を殺害致した事、不届き至極である。よって、詳しく吟味の上、きっと仕置き致す、そう心得よ!」

丑松「馬鹿を言うなぁ、田舎役人。俺が丸で山賊みたいに、通行人を襲った事に成ってるじゃねぇーかぁ。

耳糞が詰まって居たら塩梅悪いから、耳の穴カッ穿ってよーく聞きやがれぇ!あいつらは、銭屋へ殴り込みに行く途中だったんだ。

銭屋に着て店で暴れて貰っちゃ困るし、第一関係ねぇー旦那と若旦那、其れに女将さんを巻き込みたくないから、あの庚申堂前で斬り合ったんだ。

あいつら二十人からで、殴り込み掛けて来たんだぜ、一人で闘う俺が、先手必勝で斬り掛かって何が悪い。公平に裁いてもらいたぜ、お代官様よぉ!!」

河村「黙れ!悪党。事の発端は何だ?貴様が山下の喜八を昨夜大鹿野神社前で、打ち打擲したからであろう?」

丑松「何ぃ、寝言言ってんだ木端役人。寝言は寝て言えよ、起きて言うなぁ。その喜八って野郎が先に、嫌がる銭屋の安太郎さんを、博打に無理矢理誘って揉めてたから俺が止めたんじゃねぇーかぁ。

そしたら、喜八の野郎が先に、棒切れ持って殴り掛かって来たから、軽く一発蹴ってやっただけだ。」

河村「えぃ!黙れ、黙れ、山下の喜八は先に手出しなとはしておらん!貴様が先に蹴ったであろう?嘘を申すなぁ。」

丑松「はぁはぁ、お代官様は、妾が村雨の松右衛門の姉ちゃんだから、松右衛門一家の肩を持つんですねぇ?」

河村「無礼な!代官の前であるぞ!!早く罪を認めろ、菊松。」

丑松「おかしいでしょう。発端は双方の言い分が食い違うなんてザラにある。だから、公儀(おかみ)は喧嘩両成敗と決めたはずだ!!

江戸の白洲なら、こんな時は、俺も裁かれるが等しく松右衛門一家も裁かれるはずだ、片手落ちだぜ!!お代官様よぉ〜。」

河村「えーい、もう吟味打ち切りじゃ。菊松!貴様は受牢の後、膝折の原で縛り首だ。本日の白洲此れ迄、一同立ちませぇ〜!!」


此のままだと、この代官河村清左衛門の裁きで菊松として殺されると思った丑松、『実は、俺は江戸で二人殺して逃げている凶状持ち、闇の丑松だ!』と名乗り出ます。

河村「苦し紛れに、嘘を申すな菊松。大方、何処か他所で聞いた噂話を語りおるに違いない、『宿屋の仇討』の源兵衛のつもりか?!」

丑松「俺が江戸で殺したのは、直参旗本、しかも三千五百石取りの野間佐十郎だぞ?!その下手人、闇の丑松を、両國米澤町の菊松として間違えて処刑したと、公儀に知れてみろ!?

貴様は、間違いなく切腹。いや、切腹させて貰えずに、斬首だなぁ。お家は断絶、妾の、松右衛門の姉ちゃんも路頭に迷う!いいきみだ。」


この告白で、代官河村清左衛門は震え上がります。兎に角、丑松は一旦牢屋に入れられて、野間佐十郎殺しの調書を江戸町奉行所より取り寄せます。

そして、牢屋の丑松をこの調書に従って詰問しますと、下手人である闇の丑松しか知り得ない事柄をすらすら喋りますから、

此れはもう、野間佐十郎殺しの下手人、闇の丑松に相違ないと判断されて、所謂、オギチと申します差立駕籠に乗せて、護衛の役人が付いて江戸へと移送される丑松です。

そして、このオギチで、また、一つ間違いが起きてしまいます。。。闇の丑松にとっては、幸か?不幸か?次回をお楽しみに。



つづく