小半が我が家の格子戸を、ガラガラと壊れる様な音を立てて入ります。

小半「さぁ!丑さん、狭くて汚い処だけど昇がって頂戴よ。」

丑松は、松太郎という男の子を抱いて、部屋へと昇がって見ると、子供が悪戯をすると見えて、障子の低い所には、指で空けた穴が沢山に御座います。

更には、其の骨も折れたままになり、壁や畳の汚れも酷く、此れは見ていられません。そんな丑松は着物が汚れまいかと用心して座りました。

小半「松太郎!お前は、阿父っさんに遊んで貰いなさい。阿父っさんのお膝に行きなさい!!」

小半は、松太郎を丑松の膝に置いて、自分は火鉢の方へ行き、少ない燃残りの炭団に必死で火を起こしに掛かります。

膝に息子松太郎を乗せて、そんな小半を眺めていた丑松が、すまなそうに口を開きます。

丑松「なぁ、小半。お前やおふくろさんに、こんなに迄苦労を掛けるのも、皆んなオイラが悪いのさぁ!!本当にすまねぇ〜」


お前は、エリック・バートンかぁ!!(尾藤イサオとは言わないのが渋い)


小半「何を今更言うのさぁ。馬鹿お言いでないよぉ。アンタを悪党(ヤクザ)と知って私は惚れたんだ。騙したり騙されたりしちゃぁいないさぁねぇ。もう時期、湯が沸いたらお茶入れるからねぇ。」

其処へ、格子戸のあの音がして、更に、カランコロンと吾妻下駄を鳴らして奴が帰って参ります。腰に手拭いぶら下げて。。。


お前は、かまやつひろしか!!


此れが、小半のおふくろさん、お虎であります。

お虎「今、帰ったよ!」

小半「ハイ、阿母っかさん、お帰りなさい。珍しい人が来て居るんだよぉ。」

お虎「珍しい人?!誰だい?。。。アッ!お前は丑松じゃぁねぇーかぁ!!」

丑松「おふくろさん、暫くでした。」

お虎「暫くでしたじゃねぇーよ、この疫病神が!!よくもまぁ〜、この家に昇がれたもんだ!娘のお半(小半の本名)を孕ませといて、目腐れ銭置いてトン面しやがって!!

残されたアタシ等が、どんな地獄を見たか、お前は分かっているのかい!櫓下には居られなくなるわ、お半は身重で働けねぇー、その後は餓鬼の面倒も見なくちゃなんねぇ。

飲まず食わずのその日暮らしで、見てご覧?障子や襖は穴だらけ、炭や粗朶もろくに買えない貧乏暮らしなんだよ!!飢死、凍死にしなかったのが奇跡だよ。

お半!お前さんもお前さんだ、こんなクズ野郎を家に上げる事はないんだ!塩を撒いてやりたいが、その塩すら無い。あぁ、貧乏はしたく無いねぇー!!

やい!丑松、この始末をどう着けるつもりだい?お半は、お前に義理立てして、未だに旦那を持とうとはしない。

餓鬼は、まだ手が掛かるばかりで、朝から晩まで泣くのが仕事だ!ピーピー、ピーピー、のべつに泣いてやがる。煩くて寝ても居られ無いんだよ。

そうだ!男の子には、男親って言うじゃないかぁ、お前、この餓鬼を今日連れて帰っちゃ、貰えないかい?餓鬼が居無くなりゃぁ、お半も旦那を持つ気になるからさぁ。

其れから、餓鬼を連れて帰るなら、その餓鬼が締めてる帯は置いてって貰うよ。其処に麻縄が在るから、其れに替えてってくれ!いいねぇ?」

丑松「おふくろさん!俺も旅から十日ばかり前に江戸に着いたばかりだ。幸い今日は金子の持ち合わせもある。

どうですか?今おふくろさんが仰った様な事を、美味い酒を飲みながら、美味しい肴を摘んで、トコトン話しませんか?ホラ!此処に、取り敢えず、五両有ります。」

お虎「ご、ご、ご、ごぉ五両!!」

丑松「ハイ、五両。おふくろさん!すいませんが、此の五両で、酒と肴、貴女が好きな物を好きなだけ買って来て下さい。

また釣銭は、戻す必要は有りません。この家の生活の足しにして下さい。おふくろさん、酒肴の仕入れを宜しくお願いします。」

小半「丑さん!幾ら何んでも、そんなには要らないよ。」

お虎「お半!お前は黙ってろ!!丑松さんが、我が家の将来に付いて話し合いたいからと、お酒と肴をご馳走して下さるんだ!

私は、もう何十日も酒は飲んでないし、美味い物なんて。。。三月くらい口にしていないから、骨が剥がれかけてんだよぉ。

丑松様の『御意が変わらぬうち』に、アタイがひとっ走り酒と肴を買って来るから、サッ!五両よこしなぁ!!」


五両と聞いて突然態度が変わるお虎を見て、小半は実の親だけに恥ずかしく思い、丑松は相変わらずのザ・因業だと、この場は分り易いお虎の性格にやや感謝を覚えます。

一方、丑松の手から五両を放ったくる様にして買出しに出たお虎。行着けの魚政で、鰤・鯛・鮃に鮪の刺身の豪華盛合せを注文、

続いて酒屋では、伏見と灘の生一本を試飲。灘を選んで一両置き、此れで買えるだけ届ける様に指図します。

最後は、酒屋の帰りに瀬戸物屋にも寄って、茶碗、丼、大小の皿に、猪口と徳利を山の様に買付て、小僧に持たせて帰って来ます。


天保の当時でも、五両と言えば大金!それなりに使い手があります。此れだけの買い物をしても、まだ、三両は楽にお虎の手元に残っております。

時期に、魚政が刺身をお虎が帰りに届けた大皿に盛って来る。酒屋は灘の生一本を一斗樽に詰めて持って参ります。

さぁ!飲めや食えやの大宴会の始まりです。初手は、まだ、少し愚痴っぽかったお虎も、酒の量と共に上機嫌になり、遂には、諸肌魅せて襦袢一枚になり踊り出します。


お虎「なぁ!丑松の前だが、アタイだって苦労人だ。好き同士の二人を、生木を裂く様な真似はしたくないさぁ!!


丑松さん


三年ぶりにお半とは逢ったんだ、積もる話もお有りでしょう。今日は、うちに泊まって行きなさい。」

此の言葉を待っていた丑松、得たり賢し!!

丑松「では、おふくろさん!お言葉に甘えて、今日は此処へ泊めて貰う事にします。」

お虎「あぁ、いいとも!いいとも!それから、丑松さん、お前さんに相談だが、お前さんは立派な男だから、日に二分くらいの銭は楽に稼ぐお人だろう?

其れならば、この婆に、日に一分の小遣いを毎日くれると約束しないかい?私ゃ、お前さんに一分貰えるなら、お半の事を全てお前に任せて、毎日好きな酒を喰らう楽隠居生活をさせてもらうよ、どうだい!丑松さん。」

丑松「よぉーカズ。オイラも漢だ、日に一分で小半と夫婦になります。」


そんな約束をして、ズルズルベッタリのクッ付き合いで、二人は浅草福井町の此の長屋で夫婦生活を始めます。

しかし、丑松の博徒、悪党としてのシノギで、日に一分の銭を捻り出すのは至難の技で、一月もすると払いに窮してしまいます。

其処で、板前としての腕は確かな丑松。十数年ぶりで小半と松太郎の為に、正に昔取った杵柄、堅気の料理人になる事を決意します。

諸方口を探す中、千住小塚原の外れに、柏屋と言ういい料理屋に紹介を受けます。この柏屋、まずは奥州街道の入口千住に在り、旅立つ友人の壮行会、旅から戻った友人の祝迎会に利用されます。

また、此処小塚原には、処刑場に隣接して焼場が御座いまして、此処で骨を焼いた家族の食事会などの利用も御座います。

そんな両面から繁盛している柏屋ですから、給金も良く、丑松には願ったり叶ったりなんですが、千住小塚原へ浅草福井町からは遠くて通えません。

其処で、千住へ通える住処も探しましたら、聖天町に手頃な一軒家を見付けまして、家族でそちらへ家移り致します。

そんな中、丑松一人に働かせて、専業主婦に収まるのは忍び無いと、小半も、何か自分に出来る働き口をと探します。

すると、浅草奥山の茶屋勤めをしているお花と言う女性が、仕事の帰りが少しでも遅れると、『お前!客と間夫してやがるだろう?』と、夫が悋気で暴力を振るう。

此れに懲りて、茶屋勤めの権利を誰かに譲りたいと言う話を耳にします。其れは宜い、渡に船と、お花と言う女に会って後を譲り受けます。


アさて、この浅草奥山の茶屋と申しますのは、敷居鴨居に襖で仕切られた一軒家の茶屋では御座いませんで、かと言って開けっ広げと言う訳でもありません。

聯(れん)と呼ばれる細い板を立て、その聯と聯の間に葦簀(よしず)を張って仕切られた、そんな見窄らしい茶屋で御座いました。


丑松は河岸で魚を仕入れてから、柏屋へと入りますから、まだ暗い七ツ半には家を出ます。小半もその頃起きて、朝ご飯を作り、松太郎に食べさせて子守ッ子に是を預けてから、件の茶屋へ。

最後に、五ツ半を過ぎるとお虎が起きて来て、朝から茶碗酒をカッ!と喰い、スルメの足などを齧りなが、酔いが回ると昼寝をします。

八ツ半か七ツ頃に再び起きると、迎え酒を一杯煽り、丁度その時刻に、子守ッ子から松太郎を引き取った小半が帰宅。

すると、其れと擦れ違う様に、お虎は一分の銭を握り締めて、外へと飲みに出るのです。


この生活を毎日毎日繰り返して居るお虎は、徐々に此の夢に見たハズの隠居生活に、些か飽きて参ります。喉元過ぎれば熱さを忘れる。

酒を一滴も飲めず、飯すらろくに食えなかった、あの極貧に喘いだ三年間を、お虎が思い出す事は御座いません。

今は、丑松ですらお半の為に此れだけの事ができるのなら、もっとお金持の殿様やお大尽ならば、更に極楽境地の様な隠居生活が送れるのでは?と、夢見るのです。

このお虎と言う婆は、貪欲で因業、更に性悪と三拍子揃った極悪婆で御座います。こんな母親が別の噺にも出て来たなぁ〜と、考えて。。。

私は、三遊亭圓朝作『業平文治漂流奇談』に登場する、友之助が惚れたお村!このお村の母親、お崎に此のお虎はよく似ていると感じました。


一方、小半はと見てやれば、茶屋の歩合で日に一分くらいの稼ぎがだいたい御座います。売上が一分歩合で貰えるだけ稼いだら、ハツでも七ツでも早仕舞いで家に帰り、松太郎との時間を大切にしている小半でした。

此の日も茶屋の前で客を引く小半。今日も早仕舞いで松太郎の遊び相手をしてやりたい!そう思いながら、ご祝儀を貰えそうな上客を狙って居ります。


小半「あらぁ!野間の旦那じゃぁ、ござんせんかぁ?」

野間「お前は、小半!こんな所で何をしている?」

小半「其処の店で働いてんですよ。旦那、ちょっと遊んで行きません?」

呼び止められた野間と言う侍、黒羽二重の五つ処紋付に、仙台平の袴を履いて、黒鞘の細身の大小を差している、実に人品の良い侍です。


小半「旦那!鳩がマメ鉄砲喰らったみたいな顔をしないで、此方に座って下さい。」

野間「久しぶりだなぁ、小半。お前が櫓下に出て居た頃は、随分、追い掛けてお前を座敷に上げた。

だが、風邪で拙者が一冬遊びに出なんだ年に、漸く風邪が治り春になって花屋に貰いを掛けたら、小半、お前は退いてしまったと言われた。

其れから暫く、拙者はお前の行方を探したんだぞ!!だが、見つからぬ訳だ。茶屋に居たとは。今は何処に住んでおる?」

小半「今は聖天町の山車屋裏に居ります。母と二人ですから、家にも遊びに来て下さいなぁ。お待ちしております。」

野間「あの母上はお元気か?分かった、また、遊びに参ろう。ところで、櫓下を退いて直ぐに此方へ参ったのか?」

小半「いいえ、病など紆余曲折ありまして、どうにか苦労の甲斐あって、此方で商売できる様になりました。また、ご贔屓にお願いします。」

野間「では、また参る。」

小半「ありがとう御座います。」

侍は、二分置いて茶屋を出た。此れは本所錦糸堀の三千五百石取りの旗本、野間左馬之助の長男・野間佐十郎で御座います。

小半が、深川櫓下時代に、かなり入れ上げて追い掛けておりましたが、小半は丑松に操を立てて、野間の誘いを断り続けておりました。

また、この日も、小半は、丑松と言う亭主が有る事や、松太郎と言う息子の有る事は伏せて、野間を巧みに家に呼んで、ご祝儀を貰うつもりです。


野間佐十郎から二分の祝儀を受け取り、まだ、九ツ半なのに、店を早仕舞いして家に帰った小半。お虎は、迎え酒の最中で御座います。

小半「今、帰ったよ!阿母っかさん。」

お虎「今日は馬鹿に早いね、儲かったねぇ?!」

小半「そう、二分儲かったから早仕舞い。そしてねぇ、今日は珍しいお客さんが来たんですよ。」

お虎「珍しい客?私の知ってる人かい?」

小半「阿母っかさんも知ってる人よ!本所錦糸堀の野間の旦那が見えて、二分くれたんですよ。だから、家にも遊びに来て下さいって言っといた。」

お虎「成る程!そいつは上客の珍しい人だ。遊びに来たら、私も取り巻いて、酒をご馳走になりたいねぇ〜。」

小半「遊びに来ると言ってたから、失礼の無い様にね、阿母っかさん。」

お虎「当たり前だ!酒を奢らせる相手を怒らせる馬鹿が何処に在りますかぁ?!待ち遠しいねぇ〜」

そうとは知らず野間佐十郎は、二、三日すると、鼻の下を伸ばして聖天町の小半宅を訪ねて参ります。

小半が酒の相手をしながら、お虎と三人で、昔噺に花が咲きました。そして、丑松と松太郎の存在を野間佐十郎は知りませんから、其れからも、時々、遊びに来ては、一両、二両と祝儀を置いて帰るのでした。


つづく