さて今回は、第一話『丸利の強請』に登場したっきりで、ご無沙汰の闇の丑松のお噺で御座います。
余程宗俊からは好かれていると見えまして、「丑松!」「丑松!」と日頃から目を掛けられ可愛いがられておる丑松ですが、
ある時、間一髪!危ない目に遭いまして、江戸を三年の間、離れておりました。諸国を巡りながらの隠遁生活。悪党の宿命です。
我が國を褒め褒め、江戸の土に成る
と、言われる位でして、江戸っ子の丑松には、他所の國はどーも落ち着かない。何となく尻がムズムズする様な心持ちで御座います。
そんな丑松には、女が在ります。其れは、深川櫓下に在る花屋の芸者、小半です。小半は丑松が江戸表から旅立つ、少し前に孕っており、丑松は、三つに成っているその子に会うのも楽しみにしておりました。
丑松は、我が子が男の子なのか?女の子なのか?も、まだ知りませんし、金子は渡してから旅に出たとは言え、三年の月日を母親となった小半が、どんなにか母一人子一人で苦労しているだろうと心配をして居ります。
そんな二人の事を、遠い地方の見知らぬ國で思い出すと、無性に江戸が恋しくなり、『もう、三年経った。流石に熱りも冷めたであろう?!』と、丑松は思う様になっておりました。
そして、いよいよ江戸へと帰る丑松。真先に小半と子供に逢いに行きたい気持ちを抑えて、練塀小路の河内山宗俊の家へと、『帰って参りました。』と、挨拶をして、草鞋を脱ごうと思います。
丑松「御免なすって!河内山の御膳は、いらっしゃいますか?」
安次郎「ハイ!何方ですかぁ?」
と、取り次ぎに出た安次郎が、丑松を見て驚きます。三年ぶり、全く音沙汰無しが、突然現れましたから、足が付いているか?をイの一番に確認します。
丑松「ヤイ!安、何をじろじろ見てやがる。御膳はいらっしゃるかい?」
安次郎「いらっしゃいます。丑松兄ぃ!ご無事で、いつ江戸へ?」
丑松「昨晩は千住に泊まって、今、此処に着いた所だ。」
安次郎「そうでしたかぁ、直ぐに、御膳をお呼びします。其方の方で少しお待ち下さい。」
そう言って取次役の安次郎が、奥へと消えて行きます。何だかぁ、安次郎の顔ですら懐かしい!江戸に帰って来たんだ!と、実感する丑松でした。
安次郎「御膳、珍しい方がお見えです。」
宗俊「誰が来た?」
安次郎「丑松の兄貴です。」
宗俊「何にぃ?!丑松がぁ!そりゃぁ、宜かった、直ぐにこっちへ通せ!」
そう宗俊が安次郎に言うと、旅姿で丑松が現れます。
丑松「河内山の御膳、お久しぶりです。闇の丑松、只今戻りました。」
宗俊「いやぁ〜、丑松!其れにしても、旅焼けで真っ黒だなぁ、窶れて少し痩せたか?」
丑松「窶れちゃぁ居ませんぜ。暫くは東海道筋でブラブラしてたんですが、相州、駿府や三河は取締りが厳しくて、
甲州から信州を通り越後に暫く居て、そこから上州、常陸、上総、下総と巡り巡って、漸く熱りも冷めただろうと、昨日江戸に戻って参りました。
其れより何より、河内山の御膳がお元気そうで、結構な事で御座んす。」
宗俊「丑松、貴様も元気そうで何よりだ。今、思えば江戸を売る程、やばい橋を渡ったとは思わないが、其れも結果論だ。
暫くは俺の所に居て、存分に旅の垢を落として行ってくれぇ。何日何ヶ月、居ても構わねぇーからなぁ。」
丑松「有難う御座います。お言葉に甘えさせて貰います。其れから、帰って来て早々に、こんな事を言うと、惚気に聞こえて嫌なんですが、
御膳にお願いしていた、女房、小半の件は如何でしょうか?旅先で空を見る度に、此の空は江戸の空と繋がっている。
今頃、小半はどうして居るやら?子供は男の子なのか?女の子なのか?元気にしているだろうか?ちゃんと、おまんまを食べているやら?と、毎日の様に思いを巡らして居りました。
アッシが江戸を立つ時には、まだ、櫓下の芸者で花屋も繁盛しておりました。小半とアッシの子供は今も櫓下に住んで居るんでしょうか?」
宗俊「ナァ、丑松。お前にそう言われると、面目ねぇ〜。怒らずに聞いてくれよ。俺も身重の小半が気になっていたから、若衆を交代で毎日観に行かせてたんだが、
いよいよ臨月近くになり、座敷にも出られなくなると、小半は誰にも相談せずに、花屋の女将だけに暇をくれと言って、実の母親を連れて何処かへ引越しちまったんだ。
俺も、他ならぬお前に頼まれた小半の事だ、若衆を使い散々探したが、其れ以来、小半の居場所は分からず仕舞いだった。
其れがだ、一昨日だ。水野の中元部屋の博打仲間に、勘太って野郎が居て、そいつに久しぶりに会ったら、『小半姐さんを見た』って言うんだ。
何処で見た?と、尋ねたら、浅草見附茅町通りで、そりゃぁ汚い酷い服装(なり)した小半を見たから声を掛けたそうだ。
すると、勘太が言うには、顔を隠して逃げる様にして路地に消えたと言うから、茅町の辺りに居るんじゃないかと思う。安次郎にも手伝わせるから、丑松!茅町を探してみようじゃねぇかぁ。」
丑松「御膳、いろいろ有難う御座います。早速、浅草の茅町通りに行って来たいと思います。」
宗俊「いやぁ、待て丑松。貴様の早る気持ちは分かるが、もう時刻は八ツだぞ。其れに旅から帰ったばかりで、今日は千住から此処まで歩いて来たんだろう?
先ずは、湯にでも行って、食って一杯やって、たっぷり寝てから、明日朝から探しに行くがいい。安の野郎も一緒にやるから、そうしろ!!」
丑松「分かりました。明日からに致します。」
河内山の家に泊まって翌朝六ツ。眩しい朝日を浴びて安次郎をお伴に、丑松は、浅草茅町から福井町辺りを探しましたが、どーしても分かりません。
其れから二人して、数日。この界隈を虱潰しに探して見たが、小半と子供、そして小半の母親・お虎の姿は見付かりません。
付き合わせている安次郎にもすまないので、此の日からは、一人で探す事にした闇の丑松。いつもの様に、結城木綿の袷に、帯は三尺を締めて、その上に唐桟の羽織。
腰には莨入れを挟んで、その先のキセルには、黒い化粧紐を一寸結んでおりまして、この天保の頃の遊すび人達に流行った江戸の粋で御座います。
例によって茅町通りを、フラッカ!フラッカ!歩いておりますと、今は『菊水』と暖簾を染め上げた小間物屋になっておりますが、
元は此処には、菓子屋が在って、そりゃぁ美味い『みめより』を食わせてくれた!そんな事を思い出しながら通る丑松でした。
さて、この『みめより』と言うお菓子。金鍔と前後して登場した同じ様な羊羹系の菓子なのですが、勿論、『みめより』と言う名前は、長唄の「人はみめよりただ心」でお馴染みの『みめより』に由来するのですが、
この『みめより』を考案した菓子職人が、夭折の女形・二代目澤村田之助の贔屓だった事から、田之助の十八番・鶴屋南北作の「貞操花鳥羽恋塚」に因んで、『みめより』と名付けたんだそうです。
そんな昔の街並みを思い出しながら、歩いております丑松、其処へ横丁の路地から三つ?四つ?位の幼ない男の子がヨチヨチ駆けて参ります。
両手に大福を握る男の子、その背後を野良犬が付いて来ていて、男の子は時々、背後の犬を振り返ります。
恐いと思う男の子が駆け出しますから、尚更、犬は付いて来る。そんな悪循環です。そうこうしていると、丑松の目の前で、男の子が石に躓いて倒れて、片方の大福を握り潰し、もう片方は手から飛び出して犬の方へと転がります。
犬は、大福を与えられたと思いますから、喜んで咥えて持ち去ります。そしたら、男の子が火が点いた様に泣きじゃくります。
是を見ていた丑松、何となく可愛くなって、その子の側へ、パラパラと駆けて行き、
丑松「坊や?!泣くなぁ!泣くんぢゃねぇ〜。男の子だろう?!悪いワン公に大福を取られたぐらいで泣くなぁ。もう、泣くんじゃねぇ〜。」
抱き起こして、丑松が泥を祓ってやって、透かされましたから、シクシク堪えて嗚咽を漏らしております。
丑松「大丈夫だ。もう、泣くなぁ!オジちゃんが大福ぐらい買ってやる。何処で売っているんだ?坊や、オジちゃんに教えてくれぇ!!」
男の子は、まだ、シクシク言いながら指をさして知らせますから、其方を見てやると、確かに餅屋が一軒御座います。
丑松「彼処か?よし、買ってやる、ほら!付いて来い。御免よぉ!婆さん、この子が今買った大福が欲しい、一個幾らだ?四文。じゃぁ、是で五十個、袋に入れてくれぇ。」
婆「ハイ、毎度ありぃ!!」
丑松は袋から大福を二つ取り、男の子に持たせてやります。そして、
丑松「坊や、又、犬に襲われるといけないから、オジちゃんが家まで送ってやるぜ、坊やの家は何処だい?近くなのかい?」
男の子は、大福を両手に持って、片方を齧りながら横丁を進み四角を曲ります。その後を丑松が付けて参りますと、向こうの路地の角に女が立って居ります。その女、姐さん被りをした小股の切れ上がった粋な年増。
女「坊や!あんまり帰りが遅いから、阿母さんは心配になって、迎えに来たんだよ。行儀悪いねぇー、この子は、食べながら歩くんじゃありません!」
丑松「怒らないでやって下さい、内儀(おかみ)さん、途中、坊やは犬に襲われて大福を取られたんで、其れで取られる前に食っちまえ!って料簡が出ただけです。
其れから、此れは、坊やが余りに可愛かったもんで、大福を沢山買ってしまいました。皆さんで、食べて下さい。」
女「其れはマァ、有難う存じます。坊や!宜い事をしたねぇー、オジちゃんにこんなに沢山買って貰って、本当に有難う御座います。」
と、頭を下げた女が、丑松の顔を、ジロジロと見始めます。そして、
小半「お前さん!丑さんじゃないかい?!」
丑松「そう言うお前は、小半かぁ?眉毛を落としているから分からなかったぜ。」
小半「アタイも、真っ黒で少し痩せてるから、直ぐには丑さんだと分からなかったよ。」
丑松「お前が、この界隈に居ると河内山の御膳から聞いて、ここ十日ばかり毎日探した甲斐があった!ところで、この坊やは誰の子だい?」
小半「此れが誰の子かって?本気で言ってるのかい、お前さんの子だよ。松太郎!此れが、お前の阿父っあんだよ!抱っこして貰いなぁ。」
子供は無邪気にニコニコしながら、丑松の腰に縋り付いて戯れます。其れを上から見ている丑松の目からは、大粒の涙が落ちて、下から見上げる松太郎の顔にポタリポタリと雫が掛かります。
丑松「アァ〜、畜生!そうだったのかぁ。元はと言えば、みんな俺のせいだ。お前をこんな姿にして、苦労を掛けて済まない!ところで、今、何処に住んでいる?」
小半「この直ぐ裏に住んでんだよ。誰も居ないから一寸寄ってお行きよ。」
丑松「いやぁ、今日はよそう。改めて連絡するよ、逢いに行く日は。」
小半「馬鹿だねぇー。誰に気兼ねしてんだい?アタイは、この子と母の三人暮らしだよ。其れに新しい旦那なんて居ないから、安心おし!」
丑松「本当かぁ?!お前みたいに宜い女が。。。本当に一人なのかぁ?!」
小半「この服装(ナリ)で分かるだろうよ。旦那が居たら、もっとちゃんとしているよ。毎日やっと食っている様な暮らしだけど、三人なんとか生きて行けてる。」
丑松「そうかぁ、一人かぁ。分かった、そう言う人が居ないなら、折角だから、一寸と寄って行こう。」
小半「今、阿母っかさんは用足しに出て留守だから、気遣いは要らないよ。まぁ、阿母っかさんが帰ったら、あんな人だからさぁ、お前さんに罵詈雑言浴びせて毒付くと思うけど、我慢しておくれよ。」
丑松「お前の阿母っかさんの事は、よーく分かっているから、喧嘩にならない様に上手く我慢するよ。」
小半「じゃ、行こう丑さん!松太郎!」
小半と丑松の間に、松太郎を挟んで親子三人手を繋いで、長屋の路地へと入って行きました。
つづく